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【ウモ星人からの書簡】 D57-5 T1B - 24/30 地球での最初の日々(後編)

#UMMO

D57-5 T1B - 24/30
手紙のタイトル:地球での最初の日々(後編)
日付:1967年3月27日
受信者:ビジャグラサ氏
原語:スペイン語
備考:全三十枚中、五枚の手紙。


地球での最初の日々(後編)

3月30日、二人の兄弟が頭蓋骨から尖った突起が出た脊椎動物を発見しました。全部で八頭です。兄弟から350m離れた場所にいます。防衛装備をして接近するようにとの命令が下されました。兄弟はEEWEEGOOに覆われており、その外見は、古典的でタイトなジャンプスーツに似ています。それは実際には胸や背中、腕や脚の表皮にスプレーノズルで吹き付けた薄い膜です。揮発性製品で、主成分はコロイド溶液中のシリコン化合物です。この液体を皮膚に吹き付けると、希釈剤が速やかに蒸発し、皮膚は帯電しない不透明で多孔質の薄い層または膜で覆わます。私たちが自然の中で仕事をするときに、着用する唯一の衣服です。

その色は、職種によって違います。私たちの惑星では、一般的にこの装備をする場合、カラーコードが使われます。しかし、当時地球にいたUMMOの兄弟たちは、効果的なカモフラージュのために茶色を使っていました。このような細かいことを詳しく書くのは、これからお話しする事件が、私たちにとって今でも驚くべきことだからです。

兄弟たちは、指示のあった動物の群れに向かって出発しました。それは単なる牛とヤギでしたが、UMMOには存在せず、その当時は全く未知の動物でした。乳房の形だけで性別が分かるのです。

ついにその群れの近くまでたどり着きました。さらに近づく前に、いつものように音や映像を記録する作業と、これらの動物が発する静電場や重力場を検出する作業を始めました。兄弟たちは15m離れた距離から隠れずに、この動物たちの奇妙な行動を観察しました。動物たちは兄弟の存在に気づきながらも、平然と草を食べ続けていました。

突然、その近くの大きな岩の陰から、私たちの服装とは違う奇妙な格好をした(思春期と思われる)人間が現れたのです。その服装は、これまで記録されてきた映像とは似ても似つきません。当初は判別がつきませんでしたが、性別は男性だと判りました。後で明らかになったのですが、彼は十一歳の少年で、父親の家畜の番をしていたのです。

その瞬間の兄弟たちの動揺と不安は、とても大きなものでした。彼らはその場を動かず、相手に唇の動きを悟られないようにするため、指で暗号通信を送り、地下基地のチーフに指示を仰ぎました。

少年は手に黒っぽいもの(おそらくソーセージか葡萄シロップでしょう。報告書には明記されていません。)を塗った黄白色の物質(パン)を持ち、三人の兄弟の前で物怖じすることなくのんびりと食べていました。特に驚いた様子もなくこちらをじっと見ています。

小さなUUGEEは兄弟たちにいくつかの言葉を話しましたが、もちろんその意味は分かりませんでした。そして、返事がないのを見て、更に近づき、額に手を当てて、じいっと彼らを見ました。ここで一連の誤解が生じたのは興味深いことです。後で少年(ピエール)の行動を分析すると、兄弟は太陽に背を向けていたので、額に手を当てる仕草は単に太陽の光を遮っていたことに間違いありませんが、兄弟はこれを挨拶だと解釈してしまい、挨拶を返そうとその真似をしたので、UUGEEはさらに驚いたことでしょう。

フランス人の少年は、私たちの兄弟の消極的な態度を見て、牛を呼び、恥ずかしそうに挨拶をすると立ち去りました。その間、チーフの指示で持ち場を離れなかった探検隊は、深く憂慮しながら地下施設に戻ってきました。早速、話し合いが始まりました。あまりの驚きに、地球の子どもの写真すら撮っていませんでした。もし撮っていたなら、ジェスチャーを分析することで子どもの態度を解釈するのに役立ったかもしれません。事態を重く見て、テレパシーでUMMOにコンタクトすることを真剣に検討しました。しかし、やはりOYAAGAA(地球)に到着する前から、そのような事態や、もっと深刻な事態が予測されていたことを認識する必要がありました。

何が起こるか全く分からなかったので、最も適切な防衛・防護策を決めることになりました。地下施設の入り口は閉鎖してカモフラージュし、1200UIW経過するまで外に出ないことにしました。外界との接触は、送風機と、光学視覚と画像・音声・力場を記録する装置だけでした。

1950年3月31日、上記の重大な事件から467UIW近く経過したときに、周辺および(光学観測装置で唯一観測可能な)ラ・ジャヴィ村で、前日に出会ったUGEEと牛の群れ(今回は九頭)が377ENMO離れた場所を横切るのが見えました。今回は動きまで忠実に撮影され、生理的な形態や服装の細部まで拡大することができました。

その後、500UIWの間に、UGEEが通った場所よりも遠くで、光学観測域を横切る他の人間の映像が撮影されました。二人の成人男性でした。

当時を振り返ると、ただただ感嘆するばかりです。事実関係は、その後、関係者とさまざまな議論を重ね、推測したものです。例えば、今も生きている子供のピエール・○○(明らかな理由で姓を伏せています)が、私たちの服装に驚いて、両親やディーニュの当局に知らせに走らなかったのは信じられないことです。この少年は私たちの正体を知りませんでしたが、彼とは頻繁に接触し(今でも続いています)、よそ者の奇妙な「ぴったりした服」には特に驚かなかったと言います。二年前、この付近で三人のドイツかスイスの測量士が測量しているのを見たことがあり、二度目の経験であまり驚かなかったのです。私たちを「外国人」と思ったそうです。彼は、子供らしい好奇心が満たされず、それを解消するために私たちと再会したかったのです。次の日(三十一日)には、その外国人たちがいないことにがっかりしたそうです(この日、探検家の兄弟は、地球人の反応を予測して、あえて外に出なかったことをお忘れなく)。

次の外出までのUIWの間に、三十一日に撮影された大人たちの服装に似た服をAEEWWIEE(柔軟で弾力のある灰色の物質)を使って作ることになりました。ボタンはアルミ合金で模造されていますが、実際の使い方はわからないままでした。ネクタイはIGUUXOOペースト(色は黒)で服と一体でしたが、これは画像で見る結び目やバンドが、外見的な特徴でしかわからなかったからです。ポケットからハンカチが出ていたので、その部分も真似して、スーツのスリットからGIIXAA YUXAA(薄いシート状の合成食品)をくしゃくしゃにして(その機能がわからないまま)はみ出させました。今となっては、ディーニュの中心部の通りの真ん中を兄弟がこの恰好で歩いていたらと思うと、ゾッとします。地球の人なら、普通の衣服に使われている伸縮性のある布を、あの粗悪な模造品と見間違えることはないでしょう。しかし、兄弟たちの厳格な基準でこの危険は避けられました。外出は夕方か、せいぜい午後にすればいいというだけの問題でした。

1950年4月2日、誰も私たちを警戒していないようでしたので、私たちの存在を知る地球人が密かに私たちを監視しているという仮説も踏まえつつ、即席の地球人風の服装で白昼に外出することにしました。二人の兄弟は今回、捜索・防御の装備に加えて、以前のレポートでお話しした、簡単に解釈できる表意文字で書かれたメッセージのコピーと、数日前に地面に散乱していた排泄物のついた新聞、ル・フィガロの断片を持っていきました。

数日前に見た哺乳類といつも一緒にいる地球の子供を探しに行くことになりました。

UGEE(子供)は兄弟たちを見て手を振りましたが、それが敵意なのか挨拶なのか警戒しているのか理解できず、彼らはじっと立って少年の反応を待つことにしました。少年は屈託なく近づいてきて、彼らに何かを訊ねたに違いありません。地球のものを真似たとはいえ、前回出会ったときよりも不思議な服装をしていたので驚いているようでした。違う服装なのに、UGEEが彼らを認識したのは不思議なことです。

UGEEは奇妙な容器(魔法瓶でした)を取り出し、別の包みを広げて中身を彼らに差し出しました。身振り手振りでの活発な会話が始まりました。一人の兄弟は、その食べ物のタンパク質の向きが違う(右旋性と左旋性があることはご存知でしょう)かもしれない可能性を考えつつも、リスクを承知で疑われないように敢えてその食べ物を受け取り、兄弟には断るように注意しました。

このとき、兄弟が初めて地球の食べ物を口にしましたが、害はありませんでした(このことは、あなたにとっては些細なことに思えるかもしれませんが、あなたの想像を超える重要性があるのです)。それというのも、ある惑星で有機分子の柱が右旋性を示す確率は、統計的に左旋性を示す確率と同じであるという、すでに廃れた仮説に対して、WAAM(宇宙)のすべての生物は同じ分子配向を確立しているという仮説を幾度も確認しているのです。

地球人の子供は兄弟の言語にあまり驚いていないようで、少年は他の惑星から来た存在に驚いていないと判断して唖然としたほどです(当時はまだ、地球人が地球上の言語をすべて理解していると信じており、捕捉した地球の電波の断片はすでに専門家が区別していたことを忘れてはなりません)。つまり、牛飼いは探検家の兄弟を単なる外国人だと思っていましたが、兄弟たちは少年が自分たちのことを地球外生命体だと分かっていると確信していたのです。

早速、兄弟の一人が、いろいろなものを指さして、UGEEがそれを自分の言語で言うという作業が始まりました。この少年は、自分に求められていることをすぐに理解し、フランス語の教師として得意げに、簡単な物や動詞の通訳をしてくれたのです。兄弟がフランス語の新聞の断片を持ち出すと、子どもは少し苦労しながらも全ての段落を読んでくれました。

兄弟たちの内心の喜びは、あなたの想像をはるかに超えるものでした。子供のジェスチャーとその言葉は、本人に気付かれることなく、光学・音声記録しました。地下施設の仲間たちは、重力波送信機を使って、その様子を忠実に追っていました。地球語(この場合はフランス語)の音素の意味を知るだけでなく、文書に印刷された記号や文字の本当の意味はわかりませんが、その音素の解釈を知ることがいかに重要であったかは、お分かりいただけるでしょう。その日、田園地帯にある物や人体の一部、「取る」「食べる」「飲む」「起きる」などの動詞の不定詞に対応する119の言葉が、この地球のUGEEのお陰で明らかになりました。


UMMOAELEWE
言語:スペイン語
部数:1

OYAGAA(地球)で過ごした最初の日々

これまで、この惑星に初めて到達する以前の歴史的な日々と、三機のOAWOOLEA UEWAがディーニュ(フランス、バス=ザルプ県)周辺に到着したことを簡潔に述べてきました。

次の段落では、フランスに滞在した最初の数カ月間について、歴史的な総括をしたいと思います。UMMOAELEWE(UMMO総評議会)は遠征隊から送られてきた驚くべき報告書を見て、正体を知られることなくこの惑星のOEMII(人間)の間に入り込める可能性(当初、そんなことは考えられませんでした)を考慮し、最初の観察計画を修正して、兄弟を地球上に分散させることを決定するに至りました。

その数週間の間に私たちと接触したフランス共和国国民の中には、簡単な理由から、名前を伏せた方もおられます(彼らが私たちの身元を疑わなかったと信じるに足る理由があります)。

天体暦で日付を省略したり、参照番号を削除するのは、この情報が専門家の手に渡ると、私たちにとって不利な身元の証明になる危険があると判断したからです。

また、この歴史には、私たちが地球の社会ネットワークに密かに同化する過程の重要な段階での、実際にあったいくつかの価値ある逸話も省きました。これはフランス国家の人々や公的機関(中央省庁、場合によっては地方自治体)との接触についての話です。ただし、これらの接触は、もちろん偽名を使い国籍を偽って、何らかの方法で、書類として登録されていますが、明白な理由により、言及されないことを希望します。

当時のフランス政府の行政・技術部門は、私たちがフランス領に到着したことを全く知りませんでした。地元の新聞に掲載されたニュースや、私たちの降下を目撃した数少ない農民の間で広まった噂は、この惑星のいたるところで「空飛ぶ円盤」が出現したという、フランスの新聞に掲載されたニュースに紛れてしまいました。ビドー内閣は、当時、深刻な問題に直面していました。例えば、フランスの専門家が熱中したインドシナ紛争に加え、ガス・電力紛争に直面していたのです。フランスの情報機関ドゥージエーム・ビューロウ(Deuxième Bureau)は、北朝鮮軍が南の自治領への侵攻計画を検討しているという不穏な情報も入手しており、この惑星の世界の緊張を思いがけない形で悪化させる可能性がありました。

ですので、当時フランス語を知らない兄弟たちの未熟さゆえに、うっかり漏らしてしまったかもしれない僅かな情報を、技術部門が上層部に伝えたとしても、それは確実に却下されたでしょう。実際、1959年に私たちが公式メディアを秘密裏に調査し、私たちが地球の南部に到着したことについて何らかの疑惑を記録したであろう当時の文書をすべて入手したとき、この「事件」についての言及は全くありませんでした。



フランスの十代の羊飼い(今も存命)が、私たちの正体を怪しむことなく、新聞からいくつかの文章を読み上げ、私たちはその音を録音し、そうやって私たちの言語をフランス語に翻訳し、印刷された文字の意味を理解できたという夢にも思わなかった好機に恵まれたことはすでにご説明したとおりです。

兄弟は、この中途半端に教わった言語を習得するために、しばらく地下基地に籠ることにしました。新聞の切り抜きに印刷された言葉は、まだ意味不明なものが多かったですが、フランスラジオ放送を継続して受信していたことが大きな助けとなりました。残念だったのは、テレビ放送を映像に変換する機材がなかったことです。対流圏の反射のおかげで、他国からの微弱な信号も検出できましたが、受信するのは音声なので、当然ながら兄弟には全く理解できませんでした。

1950年4月24日はUMMO第一次遠征隊にとって歴史的な日となりました。このとき、私たちは不思議な惑星、地球の社会構造について、ごく初歩的な概要を把握していました。私たちは、UGEE(フランスの子供)と再び接触しました。彼は初歩的な教養しかありませんが、あるキーワードの意味を兄弟に説明し、それが自治国家の存在、貨幣の意味、地球人の習慣などの重要な側面に充分な光を当てました。フランスのボーイさんは、4月22日付の「ル・モンド」紙と4月17日付の「ル・フィガロ」紙の二紙を提供してくれましたので、兄弟はそこから色々なことを学びました。例えば、重病と噂されるスターリンという人がいることを知りました。UGEEはスターリンについて「彼は共産主義者の司令塔だった」としか知りませんでした。兄弟は文章の中に繰り返しその言葉を見つけましたが、それは謎に満ちていました。4月23日付の「ル・モンド」24日号に、蒋介石が海南を去ることになり、共産党が島の首都、海口を占拠しているというニュースが載っていました(蒋という言葉が機械か実体か社会集団かOEMIIかについて、その少年からは聞き出すことは全くできませんでした)。しかし、兄弟はとても大切なことを学んでいたのです。この惑星は、言語や社会構造が同じではありません。地球のOEMIIは、独特な形態の文化の特徴を持つ大きなグループと結びついており、信じられないことですが、あるグループや国籍を装って他のグループや国で自己紹介しても大丈夫でした。存在しない言語を使っても疑われることはありませんでした。

1950年4月24日、基地から2KOAE離れた民家への侵入を計画しました。住民を驚かせたり、危害を加えることはなく、後で損害を補償する一連の窃盗を実行しました(1952年のケースと同様)。これは、フランスのバス=ザルプ県で行われた四件の窃盗行為と、それ以外のフランス国内およびヘルヴェティア共和国で行われた十八件の窃盗行為の内の最初のものです。いずれも被害者に怪我はなく、数ヵ月後には全員が補償を受けました。兄弟がお金を盗むことなく入手し、必要な身分証明書を偽造し、いくつかの武器の特徴を知った時点で、私たちにとっては正当であるそのような行為を中止することにしました。

4月24日の夜、四人の兄弟が田舎にある孤立した建物に押し入りました。それまでは、私たちのUULEWUA(任意の高さで動く球体の検知装置)を使って人の位置を記録していました。 その日の午前三時、一つの部屋で寝ていた労働者たちと、家主の夫婦とその子供三人が、眠っている間に麻酔をかけられました。

盗んだものは、約七万(旧)フラン、衣類、身分証明書(同様のものを偽造するのに使用)、ペン二本、修道女をかたどった湿度計、鍵、切手、トラクターの請求書と支払明細書の束、裏紙数枚、牛の飼育に関する専門書、コンバインの特徴を解説したテキスト、トラクターの解説書など。子供用の百科事典、トイレットペーパー、小さな虫除けスプレー、目覚まし時計、白熱灯(スペインではボンビージャと呼びます)二個、石鹸一個。電気スイッチとエネルギーメーターのほか、トラクターの付属品数点、錠剤のチューブ薬数本、宿題の入った小さなバッグ、男物の靴六足と女物の靴二足(そこにあった全て)、ラジオ受信機、レモンジュース一本、ジャガイモ二個、壁の暦、剪定バサミ、石油ランプ一つを持ち去りました。

その一部は400mほど離れた場所に隠して翌日の夜に回収し、残りは地下基地に持っていきました。

兄弟は八日間、基地に留まり、奇妙な道具を分析し、印刷物の文章と部屋の中から持ってきた絵を翻訳を試みました。すべてが魅力的でした。兄弟は、あの奇妙な白壁の部屋を歩き、当初は植物性であることがわからなかった物質でできた家具を調べました。人工の光で窓から異常が見えないようにしながら、IYIA 5の息子UURIO 79、OBAA 7の娘UORII 19、ADAA 65の息子ADAA 66(1957年地球にて死亡)はその夜、史上初めて地球の住居を調査しました。外ではISAAO132の息子ODDIOA 1が作戦を指揮していました。

寝台には、麻酔ガスの効果で二人の地球人が眠っていました。地球ではYIEが髪を伸ばしているということはすでに知っていましたが最初は性別がよく分かりませんでした。布は小さな断片を切り取ってから取り除きました。二人の服を部分的に脱がせ、脇の下と下腹部から汗を採取し、頭部、腕、陰部、脚部から毛髪を採取しました。また、鼻粘液、まつ毛、外陰部分泌液のサンプルも採取しました。撮影された物以外にも、家具や調理器具、床や壁などに穴を開けて定量のサンプルを取り、撮影した画像(一種の立体写真)に記号を付けました。

地球人から唾液のサンプルを採取することはできませんでした。また、盗んだジャケットの中からはライターとタバコが見つかりました。

近くの建物に繋がれている牛からサンプルを採取する時間もありました。二匹の犬は大きな「吠え声」(これは、この日に記録されたメモの最も正しい翻訳です)をあげたため、麻酔をかけなければなりませんでした。

収集品の種類は多く、少量のサンプルも豊富に得られたのですが、不思議なことに分析の結果、正確な化学組成は分かったものの、その機能や使い道についてはほとんど分かりませんでした。

例えば、鹸化したエステル(石鹸)を何に使うのか、判断がつきませんでした。石油ランプをどう使うのか、帰納的な方法で調べましたがすべて失敗しました。電気エネルギーメーターの小型モーターが交流電圧で駆動していること、目盛りのついた文字盤がエネルギー機能を記録していることが分かり、驚きましたが、それが電気で時間を測定するのか、何か他の周期を磁気で測定するのかが分かりませんでした。古い目覚まし時計の機能については、多くのUIWを割いて興味深く調べました。当初は万が一、発信装置が付いていたら、遠隔で存在を察知されるのではないかと心配しました。その単純な機械の特性はすぐに分析されました。カチカチ音がするので、時間積算機として使うのか、とても疑問に思いました。

ランプのフィラメントを採取するために、ガラスに穴を開けるという重大なミスをしたために、機能の特定が大幅に遅れました。このフィラメントは、電気的ストレスが加わると急速に酸化し、溶融します。葉巻は、以前に撮影した他のOEMIIの画像で特定しました。これは、ガスを出して地球人の呼吸を助ける特殊な装置と解釈していたのを覚えておられるでしょう。兄弟は、その中に自分たちが期待していたような複雑な機構がないことにがっかりしていました。謎は深まりました。

しかし、紙幣や衣服、履物といった実用品を見つけたことは、間違いなく他の物よりもかなり重要性が高かったです。

その平和なフランス人一家を襲った手痛い強奪に対して、後で秘密裏に充分な補償をしましたが、あなたは厳しく非難なさるだろうと存じております。また、兄弟たちは、この行動による直接的な影響を懸念していました。全員が外出を禁じられ、周囲を遠巻きに観察し、可能な限りの防衛策を講じました。しかし、農場で観察される騒動や小さな村の出入りにもかかわらず、何の異常も起こりませんでした。そして、その夜、近くに隠してあった一部の物品が回収されました。

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