2022年10月30日「叱る依存に気づかないと」
みなさん、おはようございます!こんにちは!こんばんは!公立小学校教員のむっちと申します。『日々楽習』を合言葉に、日々学び続ける教師・大人を目指しています。2児のパパになったことで、持続可能な働き方・学び方も、日々模索中です。よろしくお願いします!
はじめに
二日間投稿ができずにいました。
「書く習慣」の要約動画を見てからは、書くことが苦に感じていません。
しかし、疲れを理由に書けずにいました。
疲れた時はかけなくて良い。書ける時に書けばいい。自分を追い込みすぎず、書くことに向き合えています。
今ならKindle Unlimited対象だということに気づきました!!
早速、自分でも読んでみます!
本題
今日はこっちのお話です。
教師として、二児の親として、大人として、社会人として、日々の言動を振り返ることができました。
本書を読みながら思ったこと、日々の生活を振り返って気づいたこと、ダラダラ書いていきます。
誰のために「叱る」の?
まずもって、「叱る」という行為は誰のためか?また、なんのために「叱る」のか。皆さんは意識したことはありますか?
「叱る」ことで、欲求が満たされるのは、「叱る人」です。
「叱られる人」には、ネガティブな感情だけが植え付けられます。
「叱る」ことで、「叱られる人」は危機回避のために、一時的に、表面的に良くなったように見せます。というよりは、「早くこの状況を終わらせたい」という気持ちが強くなるようです。
社会の間違った見方「叱らないと成長できない」
「叱る」には、「叱られる人」を成長させる効果はほとんどありません。
それよりも「ネガティブ感情」を与え、「逃避行動」を加速させるようです。
これらは、社会が勝手に生み出した誤った価値観に過ぎません。
しかし、このような価値観が社会に蔓延しているから、「叱らないと」「強く言わないと」と「叱られないように叱る人」が出てきてしまいます。
また、スポーツ経験者、運動部の人たちは、自分自身が「厳しく」されてきて、成長したという「間違った経験」があります。
その経験をもとに、自分自身が指導者や上司になったとき、「叱る」「厳しい指
導」をしてしまいかねません。
「叱る」が有効なのは
叱ることが有効なのは、「何か危険なことを止めたい時」です。
例えば、「喧嘩で他者へ危害を加えようとしているとき」「高所で立つなど、命の危険がある時」などが考えられます。
さらに、その行為が止まったり、やめたりした後に、さらに「叱る」のは意味がありません。
「叱る」の目的は、行動を「やめさせる」ことにあります。
「なんでこんなことしたんだ!」と追い討ちをかけるような「叱る」は必要ありません。
自分は「権力者」である自覚
「叱る」ということは次のような意味があります。
上の立場のものが下の立場の人間にする行為だと考えます。
確かに、教師ー生徒、親ー子の関係の中で、上下の関係に見えますが、ここに危険が潜んでいます。
教師や親は、自分が「権力者」になりかねないことを強く自覚する必要があります。でないと、自分の思いと違う行動に対し、イライラしてしまいます。それだけで済むなら良いですが、「叱る」ことでコントロールしようとしてしまいます。
先述しましたが、「叱る」ことで人は成長しません。
むしろ、ネガティブ感情だけが蓄積されていきます。
厳しさは自分でつくるもの
人間が生きていく上で、成長するために「厳しさ」は必要です。
しかし、他者からの「厳しさ(叱られる)」ことは、不要です。そうではなく、自分自身が困難や課題と向き合い、その中で、ぶつかる「厳しさ」こそが人間を成長させます。内発的な厳しさが、人を成長させます。
間違っても、「厳しくしないと、この子が困る」「社会に出たときに困らないように」という、こちらの都合や価値観で厳しくしてはいけないと思います。
終わりに
ダラダラ、文脈もなく書き連ねてしまいました。
読んで、思ったことを書いたので、それは違うだろと思われるかもしれません。
また、本文の内容とズレていたらすみません。
読んだ直後に、印象に残っていることを自分の思いと合わせて、アウトプットしました。
本書を読んだ方も、まだ読まれていない方も、「叱る」についてのお考えをコメントしていただけたら嬉しいです!!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!