見出し画像

名古屋グランパスエイトと出会った、ゆうたろうさんの30年間を振り返る

今回のOWL magazineは、『すたすたぐるぐる埼玉編』であなたのサッカー旅記事作りますプランを購入してくださったゆうたろうさんと名古屋グランパスの物語をお送りします。

ゆうたろうさんはJリーグ開幕当初から名古屋グランパス一筋。筋金入りのグラサポです。記事中で、闘病生活中も生きる活力を与えてくれた名古屋グランパスと歩んだ30年間を振り返ります。

J's GOAL、公衆電話など、当時を知らないサポーターは頭にハテナが浮かぶような単語が並びます。読み進めると思わず「ええ!?」と言いたくなるような、開幕当時のサポーター秘話もてんこ盛り。

それでは、ゆうたろうさんと共にJリーグ開幕当時にワープしてみましょう!

■きっかけはJリーグ開幕戦の大敗とマスコット


──スポーツ観戦にハマったきっかけはお父様の影響だとか?


ゆうたろう そうですね。父親が長崎出身で西鉄ライオンズ時代からのファンだったんですよ。僕が生まれた年にちょうど所沢に移転してきたので、また試合を観に行くようになったみたいです。私は7つ上に兄がいるのですが、兄は物心ついてしまっていたせいなのか、あまり野球に興味を示さなかったみたいなんですよね……。

逆に僕は、3歳くらいから球場に連れて行かれてたんですが、興味を持ちました。その頃の記憶はなんとなくしかありませんが、そんな流れで自然に西武ファンになりました。それが、スポーツ観戦を始めるようになったきっかけですね。

──ご両親は長崎で、ご自身は東京。名古屋グランパスとは接点がないように見えるのですが、グランパスを応援するようになったきっかけを教えてもらえますか?

ゆうたろう 中学校1年生の頃に、来年Jリーグが開幕するということで、世の中がすごく盛り上がっていました。世の中が騒いでいるから、どこか応援してみようかなって思ったんです。ただ、読売と日産は嫌だなって思ってたんですよね(笑)

──その理由は?

ゆうたろう サッカーのことを知らない自分でも知っているくらいメジャーな2チームだったからです。あの頃は、元日になると決勝戦で読売と日産が戦っているなっていうのは、子供ながらに認識していました。そういうのもあって、その2チームは有名過ぎてなんか違うなって……。

関東だし、その他の関東のチームを応援してみようかなとも考えたけれど、あんまりピンとこなかったんですよ。

たまたまその年(1992)の当時のナビスコカップの準決勝、清水エスパルス対名古屋グランパスエイトの試合のダイジェストをニュース番組で見ました。その時に小倉隆史のドリブルを見て、サッカーのことは良くわからなかったけれど「なんかすごいぞ」って思ったんです。名古屋は準決勝で敗退してしまいましたが、その時になんか気になる存在になりました。

あと、マスコットですね(笑)

──マスコット?

ゆうたろう よく日本地図にマスコットが描かれていて、クラブの所在地を示しているようなイラストがあるじゃないですか? それを見た時に、10チームの中でグランパスくんだけユニフォームを着ていなかったんですよね。それが妙に気になっちゃったんです(笑)

──たしかに! 言われてみたらそうですよね。

ゆうたろう ネットも今より全然発達してない訳だから、関東に住んでる僕と名古屋のタッチポイントは全然無いように見えると思いますが、当時はJリーグが開幕する前だったので、盛り上がっていて、色々なクラブがニュースとかでも結構取り上げられていたんです。

知り合いが新聞屋さんをやっていたので、中学生の頃から配達の手伝いをさせてもらっていたんですが、読売系の新聞屋さんだったので、スポーツ報知が置いてあったんです。

手伝いをするかたわらで、余っているのを読ませてもらっていたんですが、当時の報知は各チーム情報のところに、マスコットの顔が描かれていました。そこに描かれているグランパスくんを見て、可愛いなって思っていたのをハッキリ覚えています。グランパスくんが可愛い、小倉のドリブルすごいっていう感じで、どんどんグランパスに興味が湧いていきました。

中学校の生徒手帳が偶然赤でシールを貼って使っていた

──最終的な決め手はなんだったんでしょうか?

ゆうたろう 1993年5月16日の開幕戦の0-5。

──その対戦相手は鹿島ですね??

ゆうたろう そう、鹿島との開幕戦。あれがもし0-1とか0-2、もしくは名古屋が勝っていたら、実は応援してなかったかもしれないんですよ。

──そうなんですか?

ゆうたろう ジーコに3点取られて、アルシンドに2点。けちょんけちょんにやられている姿を、中学2年の時にテレビで見ていました。その姿を見て、変なスイッチが入っちゃったんですよね。

「俺が応援しなきゃダメだ」って。そこから、早30年です(笑)

1994年のサッカーマガジン。東京でグランパス好きと言うと『ピクシー来たからでしょ?』と聞かれるので、ピクシー入団前のこのサッカーマガジンを見せています(笑)

■試合日は「J's GOAL」。公衆電話に駆け込む中学時代


──ここからは、開幕当時の雰囲気を聞いてみたいんですが、Jリーグ開幕時は中学2年生。クラスでも盛り上がったりしていたんですか?

ゆうたろう やっぱり世間的にも盛り上がっていたので、そういう話にはなりますね。僕は東京の学校に通っていましたが、もちろん名古屋を応援するクラスメイトは1人もいませんでしたよ。

──そりゃそうですよね(笑)

ゆうたろう サッカーの話をしたりはするんだけれど、なんていうかな、浮いてるまではいかないけど、名古屋の話で気が合う友人はいなかったですね。ヴェルディ、マリノスが人気。アントラーズやレッズもそこそこ人気だったけど、ジェフとフリューゲルスはあんまり周りにはいなかったかな。僕の肌感覚だと、マリノスが1番人気だった気がします。

今ではSNSを通して一緒に観戦する仲間が増えましたが、中学生から20代後半くらいまではずっと1人で関東開催の試合で名古屋を応援していました。ちなみに、初めて名古屋のホームで試合を観戦したのは、高校生になってからですね。

──高校生で1人で東京から名古屋まで試合を観に行ったんですか? すごいですね!

ゆうたろう これがまた不思議な縁で、僕が高校生の頃、父親が名古屋に単身赴任することになったんです。それで夏休みを利用して、父の単身赴任先に会いに行くついでに、名古屋での試合を観に行ったのがきっかけです。

それでも中高生の頃は、関東でも頻繁には行けなかったので、関東で開催される試合も行けて年間3試合とか。その頃から、観戦した試合のチケットは全部取ってありますよ。

──ええ!? 全部ですか?

ゆうたろう もちろん! 30年分全て保存してありますよ。1994年、国立競技場で行われた名古屋グランパスvsガンバ大阪の試合が、初めての試合観戦です。

──すごい! この時代のチケット、初めて見ました。めちゃくちゃ感動しますね。

ゆうたろう 最近QRコードのチケットが多くなりましたよね。一応それも印刷はして保存していますが、味気なくて嫌だなって思っています。

観戦チケットは試合記録も印刷してファイルに保存

──そうですよね。私は断然紙チケット派なので、気持ちがめっちゃ分かります。

ゆうたろう 当時は千葉テレビがジェフ戦の招待をしていたので、グランパス戦に応募したら抽選に当たったんですが、その時のチケットもありますよ。学生にとっては、そういうのも嬉しかったですね。

外出中は公衆電話に駆け込んだりしていましたよ。試合中に公衆電話に駆け込むって意味、わかりますか?

──公衆電話は分かりますけど、試合中に駆け込むとはどういうことなんでしょう?

ゆうたろう 当時はネットの速報なんて、もちろんありませんでした。だから、今のように試合結果を知るために、とあるサービスを使っていたんです。

「J's GOAL」って知っていますか?

──知っています。

ゆうたろう きっと当時を知らない人は、HPだと思っていると思いますが、1番最初の「J's GOAL」って、電話の速報サービスだったんですよ。

──えぇ!? そうだったんですか?

ゆうたろう 家の電話や公衆電話から、電話をかけると試合の速報を教えてくれるんです。当時は携帯電話なんかもなかったので、外出中は公衆電話から電話をかけて、試合の途中経過を聞いたりしていました。

今のナビダイヤルみたいに高い料金だったわけでもなくて、1分10円くらい。10分ごとに更新される速報サービスでした。当時は試合数が少なかったというのもあると思いますが、試合速報を電話で聞けていたんですよ。

──それこそ初めて知りました!! すごい!!

ゆうたろう 公衆電話で速報を聞いて、名古屋が勝っているとガッツポーズをしていた。周りから見たら、変な中学生だったんじゃないかな(笑)。
今でも速報のフレーズを覚えていますよ。男性の機械的な声で「J's GOAL リアルタイムJリーグ」というアナウンスで始まりました。

僕の場合は、グランパスの地元に住んでいるわけでもなかったので、中継がほとんどなかった。だから、電話速報を重宝していましたね!

あと、ラジオでサッカー中継を聞いたことはありますか?

──ラジオ中継を聞いたことはあります!

ゆうたろう ラジオの放送で名古屋戦が割り当てられたら、電話の速報よりは状況が掴めるので、ラジオで試合の状況を聞いていたりしました。

──ラジオでサッカー観戦って、難しいですよね?

ゆうたろう だからもう想像ですよ。

──やっぱりそうですよね? 初めてラジオでサッカー中継を聞いた時、自分の頭の中で状況を再現してるけど、これって正しいラジオの聞き方なの?って思っていました。

ゆうたろう そうですよ。ラジオを聞いて、自分の頭の中で再現するんです。イメージを膨らませるんですよ。

高校生の時、足の巻き爪の手術をしたんですが、その時に瑞穂で開催されたセレッソ戦と手術の時間が被っていました。足先の部分麻酔だけだったので、先生に許可を得て手術室にラジオを持ち込んで、聞きながら手術を受けていました。そのくらい、グランパスに熱中していましたね(笑)。

今でこそ、名古屋グランパスのある生活が当たり前になっていますが、振り返ってみても。なんでそこまでのめり込んだのか、今となっては不思議でしょうがないですよ。
もしかしたら野球は見慣れていたから、サッカーが新鮮だったのかもしれない。1点の重みというか、重要性みたいな部分が魅力的に見えたのかもしれないですね。

■名古屋グランパスが与え続けてくれる「生きる意味」


──それだけハマっていたサッカー観戦に行くことが難しくなってしまった時期があったということを聞いたんですが……?

ゆうたろう そうなんです。僕は今20年くらい精神疾患と付き合っています。その間、2006年と、2007年に2回入院をしました。

入院している時に、みんなが集まる場所に設置してあるテレビで日本代表の試合が放送されていました。本来ならそこで大好きだったサッカーを見ることが気晴らしになるはずだったんですが、5分も経たないうちに具合が悪くなってしまったんですね。そのくらい精神の状態が悪かったんだなって、今改めて振り返るとそう思います。

──今まで楽しめていたものが楽しめなくなってしまうという経験は私にもありますね。私の場合は、働いていた会社が合わなくて土日にスタジアムに行くどころじゃなかった。休日に布団から出られないということもザラにあって……。なので、ちょっと前の時代のJリーグのことは分からないのに、昔のことは分かるんだねとか言われることもあります。

ゆうたろう 僕は当時留学生の女の子と付き合っていたんですが、ドライブがてらカシマサッカースタジアムまで試合を観に行ったりしていました。仕事が忙しいながらも、その子との付き合いは続いていたんですが、僕の知らないところで彼女が事件に巻き込まれてしまっていたんです……。それがきっかけですね。

彼女は授業について行けず留学が続けられない状況になってしまっていたようなんですが、親にも言い出せず、彼女は帰国をするという選択を取らなかったんです。相談した友達の友達がちょっと悪い人で、結婚すれば日本に居続けられるということを言ったみたいなんですよね。

それを僕に言ってくれればよかったんですが、僕ではなくて顔も知らない人と偽装結婚をするという手段に踏み切ってしまいました。

──本当にそんな世界があるんですね……。

ゆうたろう 僕もそんなのは漫画やドラマ、遠い世界の話だと思っていたのに、自分が付き合っていた彼女がそんなことになってしまったんです。

そこできっぱりさよならっていう選択があったにも関わらず、またここで変なスイッチが入っちゃったんですね。彼女を助けるために、裁判に出たり、向こうの両親に会いにいったりしていました。仕事も忙しくて帰宅が深夜を回ることもザラにあったので、自分の生活と彼女のことで手一杯になってしまって、スタジアムに通うどころではなくなりました。生活が本当にぐちゃぐちゃになってしまって……。

そのストレスだけではありませんが、結果的に入院することになってしまいました。本当にどん底に近かったのでスタジアムにはもちろん行けてませんし、試合結果も後追いで「そうだったんだ」くらいになってしまいました。

──立ち直りのきっかけもグランパスだったんですよね?

ゆうたろう そうですね。2回目の入院の後、長期で休職をしました。8ヶ月会社を休んでいましたが、会社に復帰するにしてもほとんど家にいる生活だったので、動いても大丈夫ということを確認したくて、瑞穂に足を運びました。

大宮アルディージャに4-0で勝ったのですが、その試合で本当にパワーを貰いました。今まで止まっていた自分の生活が回りだすきっかけになったのを、よく覚えています。

ブランクはありますが、その時の行き先としてグランパスの試合を選んでいるということを考えても、自分の中で本当に大きな存在なんだなって思いますね。その時も今も思うのは、グランパスの試合を観に行くと元気になるということ。自分には本当に大切な存在です。

昨年ガンの告知を受けた時も、立ち直るきっかけをくれたのはグランパスです。ガンの告知を受けた晩、僕は何をしたと思いますか?

──まったく想像が全然つきません……。

ゆうたろう とりあえず、今まで自分が行ったことがないスタジアムで開催されるグランパスの試合を検索しました。

──えぇ!? 告知を受けた晩ですよね?

ゆうたろう そうです。調べたら鳥栖と広島で行われる試合がありました。当初は行くつもりはありませんでしたが、急遽行くことにしたんですよね。それくらい名古屋グランパスは僕にとって生きる意味になっています。

もちろんガンの告知を受けた時はショックでした。

じゃあ何をしたら気持ちを冷静に保つことができるんだろう? と考えた時に思いついたのがそれでしたね。それから結局、新しくなってから行ったことがなかったので、ヨドコウ桜スタジアムにも行きましたよ(笑)。

──すごい行動力ですね!

ゆうたろう 昨年の7月7日はガンの全身転移がないかを調べる検査の日でした。その日は天皇杯の開催日ということで、検査を受けた後で間に合う、行ったことがないスタジアムで行わる試合がないかなと思って検索しました。すると、カンセキスタジアムとちぎで天皇杯の鹿島アントラーズと栃木SCの試合があることがわかったので、その試合も観に行きましたよ!

グランパスの試合じゃなくても、スタジアムに行くと味わうことができる高揚感からパワーをもらったり、幸せな気持ちになることができるんですよね。

さらにその1週間後、ガンの転移があるかないかの検査結果が出る7月14日には日帰りで名古屋の港サッカー場にもグランパスの天皇杯の試合を観に行きました。転移がないと言われ安堵して新幹線の中で静かに泣きました。結局、試合は前半終了後に雷雨中止になっちゃいましたが、検査結果が良くても悪くても病院からスタジアムに直行しようと決めて計画していました。

検査結果がどちらに転んでも、スタジアムに行けばパワーをもらえますからね。

2021年、日本平で撮影

──「クラブが生きる意味になっている」という話はサポーターの中でもよく言われる話だと思いますが、まさに文字通り生きる意味になっていますね。最後の質問になりますが、ゆうたろうさんにとって、グランパスを一言で表すと?

ゆうたろう アイデンティティーですね。

「名前とあと一つだけで自己紹介をしてください」って言われたら、僕は自分の名前と名古屋グランパス信者ですという風に答えます(笑)。

出身地や血液型とか自分のことではなく、名古屋グランパスのことを書きますね。そのくらい僕の中では大きな存在ですし、サッカー旅ならぬ人生旅に欠かせませんね!

──ありがとうございました。

この15年くらいは仲間も増えてスタジアムではワイワイ。

■引き続き、まだまだ物語の主人公を募集中です

「あなたのサッカー旅記事つくりますプラン」は、サッカー旅の話だけではなく、クラブとの出会いや思い出まで、あなたが伝えたいことにフォーカスして記事を書きます!!

『すたすたぐるぐる信州編』の先行販売でも、旅記事プランを購入できます。この機会にぜひ、自分と愛するクラブの歩みをインタビュー記事にしてみませんか? 

貴重な開幕の話をたくさんの人に読んでもらいたいので、この記事のシェア、スキを宜しくお願いします。

ここから先は

0字
スポーツと旅を通じて人の繋がりが生まれ、人の繋がりによって、新たな旅が生まれていきます。旅を消費するのではなく旅によって価値を生み出していくことを目指したマガジンです。 毎月15〜20本の記事を更新しています。寄稿も随時受け付けています。

サポーターはあくまでも応援者であり、言ってしまえばサッカー界の脇役といえます。しかしながら、スポーツツーリズムという文脈においては、サポー…

この記事が参加している募集

休日のすごし方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?