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『ドライブ・マイ・カー』文学を文学的に映像化した作品

世の悲痛に慣れた平穏
平穏に隠れた世の悲痛
それらを機微に感じられて
とても面白かった。

私的にこの作品を一言で表すなら
文学的だった
ということになる。

まったく文学的だった
と言ってもいいと思う。

文学的すぎて
偶然が起こりすぎる
つまり
運命が定まりすぎている
ことが嫌にすら感じられる。

嫌悪を覚えさせるというのも映画の1つの価値で
この映画にもそのような意図もあったのだろう。

文学的だと感じられるのは特に
様々な言葉が象徴的に組み込まれている
というところにある。
「福音」「創作」「寄生」「煙景」「自慰と自制」「犬」「父子」「ゴミ」。。。
枚挙しようとすればいくらでも探しうる。

この象徴的などれか1つに着目するだけでも
この映画の見え方はまったく変わってくるだろう。
『ドライブ・マイ・カーにおける福音』
というタイトルで、レポートも書けそうな具合だ。

1度観た段階では
これらの象徴を追うことはできない。
そういう意味でも
また観たいと思わされる稀有な映画だ。

また考えながら観たい。
分析したい欲求が誘引される。
分析へと招きいれる作品は
観客の想像力を取り入れていくから
必然的に面白くなる。

この映画は
具体的にどのシーンが面白かった
と語るのが難しい。
というのも
あらゆるシーンに象徴が漂っているから
全体として面白いのである。

これほど文学を文学的に表した映画
を観るのは初めてだったように思う。

アカデミー賞に期待✨

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