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「哲学なんて勉強してなんの意味があるの?」

哲学科の学生をしていると
よくこんなことを聴かれる。

「哲学なんて勉強してなんの意味があるの?」

いや正確には
不思議そうな目でもって
そう尋ねられる。

そんな僕の存在の本質を問うような質問を向けられて
僕が思うことはたいていいつも同じ。

「正直、自分でもよくわからない。」

だ。
僕は、僕のことが正直よくわからない。

どうして哲学を勉強したいと思ったのか?
僕は哲学が好きなのか?
哲学を学ぶことは僕にとって意味があるのか?

どれもこれもよくわからない。

そんな問いをときに自分に立てて
なんとなくわかった気になるような回答までは行き着いても
結局、「なんかそんな気がする。」
というレベルの回答にすぎない。

わかったようで、なんだかしっくりこない。
よくよく考えてみると
やっぱりよくわかっていない。

しかし
そんな、しっくりこなさ、わからなさが
なんだか心地よく感じられることがある。

きっと
僕は「わからない」という状態が好きなんだなぁ。
なんて思う。

哲学は
世界の当たり前を問うていく。

一度当たり前に疑問符をぶつけてみると
当たり前は、いとも簡単に崩れ去る。

世界がわからなくなる。

私ってなんだ?
本当に存在しているのか?
そもそも世界自体まずあるの?

何もかもわからなくなっていく。

たまに、テレビで「世界の衝撃映像!!」
みたいな番組がやっている。
巨大な高層ビルが
爆弾で一瞬にして崩れ去っていく映像が流れる。
丁寧に時間をかけて作られたものが
一瞬で倒壊する。
それに僕たちは
なんとも言えない爽快感を覚える。

哲学をして当たり前が崩れる気持ちよさも
なんだかこれに似ている。
世界は高層ビルで、哲学は爆弾。

世界はビルよりも大きいから
崩れるのにはより時間がかかるけど。

世界はいかにも理路整然なふりをしているが、
その実、けっこうメチャクチャだ。

僕は、僕のことがよくわからない。
世界のこともよくわからない。
しかも、わからない"僕"が70億人もいる。
まして、生物にまで広げれば
もうわけのわかってない存在が
もうウジャウジャ。
なんてのが世界だ。

世界はこんなふうに
実際、荒唐無稽、カオスそのものだ。

だから、
「わからない」という状態は
実は、ものすごく自然な状態なのかもしれない。

「わからない」は
だからこうも心地よい。
僕は「わからない」を求めて
哲学をしているのかもしれない。

結局、それもわからないのだけど。

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