能登半島地震報道の局面が変わった話 「北國新聞」2024年1月8日付などを読む
▼能登半島地震が起きてから1週間経った。局面は変わった。以下、引用の太字は引用者。
「北國新聞」2024年1月8日付1面肩に、能登半島地震取材班による〈災害関連死 防がねば/「全村避難」ためらわず〉という記事が載った。災害発生直後の救命活動は終わりつつある。
▼岸田政権の動きが鈍い。石川県の動きも鈍い。これまでの「常識」と比べて、後手後手に回っているように見える。
いっぽう、被災地の最前線の努力の様子も、まだ十全に伝わらない。
ただ、探せば見つかる場合があるのが当世のSNSの利点で、陸上自衛隊・中部方面隊の旧Twitter(ツイッター、現「X」)のアカウントを見ていると、自衛隊員たちが、民間人では到底進めなさそうな道なき道を、【救援物資を歩いて運んでいる写真】がたくさん出てくる。この救援活動には、マスメディアも同行取材できないと思う。
▼「北國新聞」2024年1月8日付3面の見出しは〈甘い被害想定 支援遅れ/「災害度低い」県、26年見直さず/備蓄物資、初日に底つく/避難所の暖房器具不足〉
〈犠牲者が120人を超えた能登半島地震で、被災者支援が立ち遅れている。6日午後時点で約3万700人が石川県内の避難所に身を寄せるが、厳しい寒さをしのぐ暖房器具などが不足し、備蓄物資が初日に底をついた自治体も。断水でトイレや風呂は満足に使えず、感染症対策もままならない。石川県が「災害度は低い」とした26年前の地震被害の想定は更新されておらず、行政の対応の甘さに批判が上がる。〉
北國新聞が正面切って県政を批判し始めた。以下、見出しのとおりの記事が続く。記事の末尾は〈県防災会議の震災対策部会で委員を務める金沢大の平松吉浩教授(地震学)は「喫緊の課題だったが、県の腰が重かった。今の知事になって動き始めたが、間に合わなかった」と残念がった。〉
▼全国紙では、岸田政権批判で鳴らしている「朝日新聞」が、珍しくゆるい政権批判を載せた。2024年1月8日付2面。見出しは〈能登地震1週間ー手探り続く/政府 状況把握に苦慮/半島、道路寸断…初動遅れ批判も〉(西村圭史、矢島大輔、成沢解語)
選んだ言葉が「手探り」であり、「苦慮」である。「初動遅れ批判も」という見出しもあるが、あまり目立たない扱いだ。
〈8日に発生から1週間を迎える能登半島地震は、いまだに被害の全容が見えない。安否不明の人は約200人に上り、物資を届けるのが難しい孤立集落も多数残る。政府と自治体が手探りの対応を続ける中、浮かび上がった課題とは――。
能登半島では、新たな被害が刻々と明らかになっている。岸田文雄首相は7日午前放送のNHKの番組で、厳しい表情で語った。「大きな道路のみならず、中山間地にある中小の道路も次々と寸断されていく。物資の搬入一つとっても、大変困難な状況が続いている」
地震発生直後の1日夕、首相は官邸幹部らに「これはひどい災害になるんじゃないか」と語っていた。だが、道路や通信インフラが破壊され、状況はなかなか分からなかった。日没直前というタイミングに加え、集落が点在する半島という地理的な特性が障壁になり、被害の深刻さの一端が見えてきたのは同日午後10時を回ってからだ。
「住宅の倒壊が多数あり、道路も寸断」「過去にない広範囲の被災だ。電気・水も止まっている。携帯電話もつながらない」
石川県の輪島、珠洲両市長から電話で聞き取った首相は、初会合を開いたばかりだった特定災害対策本部を一転、非常災害対策本部に格上げするように指示し、自らが本部長に就いた。官邸幹部は「初めは被害の程度がわからず、役所も非常災害対策本部にする段階ではないと言っていた」と話す。〉
▼以下、陸路も、海路も、空路も、現場での臨機応変の対応も、自衛隊投入も、できることをしている経緯が報道される。
〈一夜明け、多くの住宅やビルの倒壊、大規模火災などが確認されると、官邸幹部らは国土交通省の幹部らを官邸に呼んだ。まず指示したのは、早急な救助や支援物資のためのルート確保だ。だが、道路は亀裂や陥没が相次ぎ、土砂崩れも起きていた。余震も懸念され、同省幹部は「すぐには……」と声を詰まらせた。
空路もすぐには使えなかった。半島北部の輪島市にある能登空港は、滑走路上に深さ10センチ、長さ10メートル以上の亀裂が4~5カ所見つかった。海上ルートも指示したが、港は岸壁がひび割れし地盤も隆起。津波で転覆した船も行く手を阻んだ。食料や水、生活用品をのせた支援船が輪島港などに接岸を試みたが、海が荒れたこともあり断念。5日に接岸できたのは七尾港だった。
政府は2016年の熊本地震での対応を参考に被災地との情報共有や指示をスムーズにするため、各省庁から幹部級職員を石川県庁などに派遣した。政府の「指示待ち」ではなく現地で臨機応変に判断できるようにするためだ。国交省からは6日までに本庁の審議官ら13人を派遣している。
自衛隊も次々投入されている。現場の部隊は2日の約1千人を皮切りに、3日に約2千人、4日に約4600人、5日には約5千人、6日には約5400人、7日には約5900人に増員した。ただ、11年の東日本大震災では発災の翌日に約5万人から約10万人に、熊本地震では2日後には当初の約2千人から約2万5千人へと、首相や官房長官らのトップダウンで増員を決めている。〉
野党からの、自衛隊派遣が「逐次投入」になっているという批判などを紹介した後、〈かつて官邸で災害対応にあたったある省の幹部は「政治主導のパワーを感じない」と話す。〉
▼「逐次投入」という批判は真っ当に聞こえる。ただ、陸上自衛隊・中部方面隊の書き込みを見るかぎり、1月2日にたくさんの隊員を派遣しても、動きようがなかったのではないか、とも思う。実態がわからないから、判断がつかない。ひと月、ふた月経てば「文藝春秋」や「中央公論」に当事者の手記やインタビューが載り始めるだろう。
▼上記の「北國新聞」3面と、「朝日新聞」2面とを、対県政・対国政の観点で読み比べると、「北國新聞」の県政批判のほうが「朝日新聞」の国政批判より舌鋒鋭い。
▼震災発生から1周間が経ち、政権中枢との意思疎通のチャンネルを持っている人からの苦言が出てきた。
「北國新聞」2024年1月8日付3面の「北風抄」。手島龍一氏の記事だ。
▼その前に、8日付の「北國新聞」で目にとまった記事を、前出の3面の他に、二つメモする。
一つは、先に挙げた1面肩の記事から。
もう一つは、5面の「月曜手帳」(地方部長・岩田稔弘)。
▼まず、1面肩の記事。
日弁連の災害復興支援委員会副委員長の永井海氏による、「新潟県中越地震で旧山古志村が『全村避難』したように、安全な住まいが確保できる場所への広域避難を実施すべきだ」というコメントを引用。さらに永野氏の意見を紹介し、次のように論を結ぶ。
〈永野氏によると、被災地からの避難を促進するために大事なのは「警察や自衛隊、消防などが被災地で徹底的な防犯体制を講じること」だ。「山古志村でもそうだったが、自宅が空き巣などの被害に遭わないか気にかけ、避難をためらう被災者も多い」。だからこそ安心して避難できる環境を地域社会が用意する必要がある。
能登人は我慢強く、遠慮がちなのが美徳だが、今は、人のお世話になって避難することをためらう必要はない。温泉に漬かるなどしてホッとすることが災害関連死を防ぎ、命を守ることにつながる。〉
▼次に「月曜手帳」から。
〈現地から送られてくる原稿には、家を、家族を、ふるさとをなくした人たちの悲痛な叫びがつづられていた。〉
〈紙面には限りがあるから、いつもならデスクをして文章を手直しながら、入りきらないと言い聞かせて大胆に記事を削ってきた。ただ、今回はどの原稿も短くしたくなかったし、できなかった。過疎と高齢化という厳しい環境にさらされてもなお、懸命に紡いできた日々の証しのような気がした。〉
二つの論説から、北國新聞の編集幹部が共有している切迫感が垣間見える。
全村避難やむなし。
彼らは、奥能登のいくつかの集落は、そこまで追い詰められていると認識している。
「北國新聞」のルポを読み、これだけ余震が多い現状を考えると、複数の全村避難が生じる可能性がある。
▼さて、3面の「北陸抄」、手島龍一氏の記事から。岸田総理が災害対策のために閣議で決めた「40億円の予備費」が少なすぎる、という真っ当な批判である。病院船の指摘も、とても重要だと思う。
〈人々が日々の暮らしを営む国土の上に統治システムが築かれ、それが国家となる。それゆえ国土と国家は安全保障の表裏をなしているのである。
だが、日本の政治リーダーは、災害への備えと国防を別のものと考えてはいないだろうか。政府が国民の暮らしを安寧に保てずに、国家の安全保障など全うできるはずはない。同時多発テロを経験した米国は、そんな苦い経験から国土安全保障省を創設した。
岸田政権は今次の災害に40億円の予備費を支出すると閣議で決めたが、これでは国土の復旧はもとより当座の救援にも事欠くだろう。その一方で日本海の彼方の脅威に備えるとして誘導ミサイルの開発・整備を柱に5年間で総額43兆円の防衛予算を計上した。
だが、国産誘導ミサイルの改修は先行きが不透明で、敵基地に届く米国製ミサイルを大量に買い付けざるをえなかった。国民の命と財産を守る真の安全保障とはいかにあるべきか。その根幹が揺れ動いている。
いま日本に大型の病院船や災害補給艦があれば必要な救援物資を迅速に海から被災地に届けることができる。筆者はコロナ禍のさなか、当時の岸田政調会長に「100億円を超える国費をマスクに投じるなら病院船の建造を」とじかに伝え、病院船の建設費は2隻で100億円に満たないと説明したことがある。
大災害で真っ先に役割を果たすべき公的機関が十分に機能していない。被災した人々はそう気づくと、自分たちが知恵を絞って助け合いに乗り出している。(中略)
公的な機関を率いるリーダーが果断な指揮を躊躇(ちゅうちょ)するなか、最前線に身を置く人々がその空白を埋めるように目覚ましい働きをみせている。〉
▼手嶋氏らしい堅実な筆運びだ。
▼24面には識者の声として、SNSにくわしい木村玲欧氏の話、復興庁事務次官だった岡本全勝氏の話が載っていた。次号以降で要旨を紹介する。
(2024年1月8日)