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選択的夫婦別姓が進まないのは「天皇の制度」に深い関係がある件

▼新聞を読んでいると、たまに「日本という国の根源」に触れる記事を読むことがある。

2021年3月24日付の毎日新聞夕刊に、そういう記事が載っていた。選択的夫婦別姓の制度づくりが一向に進まないのは、「天皇の制度」に関係がある、ということを論じた、歴史家の加藤陽子氏のインタビュー。牧野宏美記者。適宜改行と太字。

〈任命拒否 へこたれていませんよ/「相似形の国や時代」から導く普遍性/別姓制へ「個人の尊厳」主題に〉

〈どうしても話を聞いてみたい人がいた。歴史学者の加藤陽子・東京大学教授(60)だ。政府が任命を拒否した日本学術会議の新会員候補6人のうちの1人だが、これまで記者会見やメディアのインタビューには応じていなかった。問題発覚から半年。今何を思うのか。研究者としての原点や社会のあり方までたっぷり聞いた。

 「私、へこたれていませんよ」。オンライン取材に応じた加藤さんは、張りのある朗らかな声でこう言い、笑顔で拳を上げてガッツポーズしてみせた。任命拒否問題の先行きについて尋ねた時のことだ。〉

▼筆者が興味深く読んだのは、インタビューの後半、「選択的夫婦別姓制度が進まない問題」だ。キーパーソンは井上毅(こわし)である。

〈反対論者が別姓を嫌がる理由は、歴史的経緯からも説明できるという。明治期、大日本帝国憲法と皇室典範を起草する際、政府内では女帝を容認する案もあったが、法制局長官の井上毅が、女系による皇位継承は天皇の性が変わること(易姓)を意味するとして強く反対。憲法は女帝を認めず、男系による皇位継承を決定した。

姓が変わっては万世一系という観念が崩れるという無意識ゆえの呪縛こそが、別姓を望む他者の選択をも制限すべきだとの意見を支えているように思います。家族制度が崩壊するという理由づけも、『別姓を認めればこの国のかたちが変わる』という危機意識ゆえと見えます」〉

▼加藤氏は、この問題は、とても深いところで歴史に左右されている、という現実を明快に論じている。この記事で最も重要なのは、

「万世一系という観念が崩れるという無意識ゆえの呪縛」という部分だ。

▼補助線をひとつ見つけておくと、記事の中で「易姓」という言葉が出てきたが、ここに補助線がある。

井上毅は「易姓」を猛烈に拒否したわけだが、これは、「天皇に姓がない」事実と関係してくる。

中国では、王朝が倒され、新しい王朝が打ち立てられることを、「易姓革命」という論理で位置付けていた。

「易姓革命」は『孟子』が出典なのだが、この論理を、日本は拒否した。

そもそも日本には革命は起きない、つまり天皇を倒すような動きは起きない、という国の構えをとったわけだ。

くわしい話は、たとえば松本健一氏の『「孟子」の革命思想と日本 天皇家にはなぜ姓がないのか』(昌平黌出版会、2014年6月)などに載っている。

▼この話は、一歩踏み入ると、輪郭をつかむだけでも面倒なので、またの機会にするが、易姓拒否の思想は、夫婦が結婚した時に同じ性にしなければならない、同じ姓にするべきだ、という現代日本を支配している思想と、まさに「無意識」の次元でリンクしていると考えることができる。

▼さて、そのうえで、先の加藤氏のコメント部分には、2つのポイントがある。

▼まずひとつめに、万世一系が崩れる、のではなく、万世一系という「観念」が崩れる、というところだ。

歴史的には万世一系ではないのだが、「天皇家は万世一系なのだ!」という歴史的、かつ政治的「観念」に支えられて生きている人々がたくさんいる、という事実を、加藤氏は示している。

▼もうひとつのポイント。それは、この「観念」は「無意識」である、という点だ。これが深刻だ。

なぜなら、ふだんは意識しないが呪縛されている、というのは、「思想」の次元の問題であり、日本の「文化」だからだ。

「法律」を変えましょう、という次元の問題ではない。

▼加藤氏は「婚姻で姓が変わることの不便さを強調するだけでは不十分。生まれた時の姓を名乗り続けられないことが、いかに自己決定権や個人の尊厳を奪う深刻な問題であるかという点から厳しく論じていかなければなりません」と語る。まったくおっしゃるとおりで、同意する。

構造的には、「天皇の制度」が、多くの日本人の(おもに女性の)自己決定権や個人の尊厳を奪っている、ということになる。

この構造そのものを壊そうとするのは価値的ではない。

「自己決定権」とか、「個人の尊厳」とか、「尊厳」に関わる次元で論じ、構造を変えていくやり方が、最も価値的だろう。

それは同時に、日本の「無意識」の「思想」や「文化」を本気で考えることになる。

(2021年3月28日)

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