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「アイデンティティー政治」は白人至上主義者の十八番である件

▼コロナ・パンデミックの影響で、アメリカでは、トランプ大統領がホワイトハウスの地下壕に一時避難する事態になっている。ウイルスが直接の原因ではない。黒人差別に抗議するデモが大きくなったためだ。

▼まず、概況記事を二つ。

一つは2020年6月1日配信の共同通信。

〈米抗議デモ、各地で暴徒化 首都など40都市で夜間外出禁止〉

〈米中西部ミネソタ州ミネアポリス近郊で黒人男性のジョージ・フロイドさん(46)が白人警官に暴行され死亡した事件を巡り、5月31日も米各地で抗議デモが起き、一部が暴徒化した。米メディアによると、デモ激化を受けて夜間外出禁止令が出たのは、首都ワシントンなど全米の40都市以上。AP通信によると、この数日間に少なくとも4100人が拘束された。

 米紙ニューヨーク・タイムズは、外出禁止令を出した都市の数は公民権運動を率いたマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺された1968年以来の規模だと伝えた。

 一連のデモはこれまでに全米の75都市以上に拡大し、収束の気配はない。15州と首都ワシントンでは計約5千人の州兵が動員された。デモは英ロンドンやカナダ、ドイツにも飛び火し、国際的な広がりも見せている。〉

▼二つめ。2020年6月3日付の毎日新聞から。

〈米中西部ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性が白人警官に首を押さえつけられ死亡した事件を受け、トランプ米大統領は1日、暴徒化した抗議デモ参加者の鎮圧について「すべての州知事に州兵を動員して市街地の完全制圧をするよう求めた」と述べ、州当局に強硬な措置を取るよう求めたことを明らかにした。知事が拒否した場合には「軍も動員する」と表明し、連邦政府の軍の投入も辞さない考えを示した。

 米軍が国内の混乱収拾に動員された場合、1992年に白人警官による黒人男性への暴行に端を発した「ロサンゼルス暴動」以来となる。〉

▼その後、軍は動員しなくなったようだが、大統領のトランプ氏が火に油を注ぐ言動を繰り返しているため、全米で収拾がつかなくなっている。

▼なぜこんなことになるのかについて、少し前、はからずも

「アメリカのあちこちに「反マスク法」という法律がある件」

というタイトルでメモを書いておいた。3回に分けて、エマニュエル・トッド氏の移民論を読んだので、気になる人はご参考にどうぞ。

▼いま、アメリカ関連のニュースは、白人による黒人差別をめぐる動きであふれ返っている。

そのなかで、筆者がとくに大事だと思ったキーワードについてメモしておく。「アイデンティティー政治」という言葉だ。2020年6月2日付で産経新聞が使っていた。

〈暴徒化した黒人が平然と破壊行為におよぶ様子は、自らが属する人種や社会階層の権利を最大限に主張することが正義であるとする「アイデンティティー政治」が醜悪に拡大した現実を映すものだ。〉(黒瀬悦成ワシントン支局長)

▼このあと黒瀬氏は、トランプ大統領が指摘した「アンティーファ」という「極左過激派勢力」の分析に力を入れる。6月3日付の見出しは

〈米デモ 「国内テロ」に変貌〉

あたかも全米の「デモ」が「テロ」になったかのような印象を与える。

▼この見出しのような、単純明快な話なのだろうか、と思っていたが、日本経済新聞の6月2日付は、〈各州では極左勢力に加え、混乱に乗じて白人至上主義団体や薬物カルテル集団が入り込んでいるとの情報もある。〉と指摘している。(ワシントン、中村亮記者)

▼また、6月3日付に載った共同通信の記事には、こう書いてあった。

暴徒化には極右の関与も指摘されているが、右派には自分の支持者が多いためトランプ大統領は批判していない。

 トランプ氏はこれまで白人至上主義者を擁護するような発言をしており、今回もデモ参加者が訴える米社会の構造的な人種差別について反応を示していない。〉

▼この共同記事には、大事なポイントが二つある。

一つ。極右の関与について、トランプ氏が言及していない、ということ。言及するのは極左のみ。

二つ。トランプ氏は構造的な人種差別を無視している、ということ。

▼これらの記事を読んで筆者は、〈米デモ 「国内テロ」に変貌〉という産経の見出しは、やりすぎであると感じた。

▼読売新聞が、どういう扇動(せんどう)が行われているのかを細かく記事にしていた。たしかに組織的な動きがあるのだが、今のところ背景はわからない、ということが明記してあった。

〈ニューヨーク市警幹部によると、5月28日~31日に抗議活動に関連して逮捕された約790人のうち、7人に1人が州外在住者だった。市外の「無政府主義者」グループが、火炎瓶の材料や攻撃用のブロックなどを用意し、暗号化した通信手段で連絡を取り合いながら、デモ現場を自転車や車で転戦したケースがあった。略奪や破壊は、「高級店を選んで襲撃するよう指示を出していた」としている。(中略)5月30日に警察車両に火炎瓶を投げ込んで逮捕された2人は弁護士だったが、組織の実態や背後関係は明らかになっていない。〉

▼テロは、デモの時に起こしやすい、ということがわかる。しかし、ここが重要な点だが、だからといって、「デモ」を「悪」ととらえる早とちりは、百害あって一利なしである。悪はテロであり、デモではない。

ここでも、これから、原発被害者への差別しかり、コロナ感染者への差別しかり、リスクを「白か黒か」「ゼロか100か」の二元論でしか考えられないーーということは、実際には、考える、ということをしないーー日本人の悪いクセが頭をもたげそうだ。

▼さて、産経新聞は「アイデンティティー政治」に言及していたが、筆者が思い出したのは、2017年、シャーロッツビルの事件の時に、ウォールストリートジャーナルが出した社説だ。

〈【社説】白人至上主義の背景にある深い病巣/アイデンティティー政治という害毒〉

という見出しだった。

▼シャーロッツビルの事件とは、2017年8月、アメリカ東部バージニア州のシャーロッツビルという町で、白人至上主義者たちの集会が行われた。(彼らは挑発するためにわざとこの大学都市を選んだ)

白人至上主義に反対する人たちが抗議したのだが、その一群に白人至上主義者の若い白人男性が車で突っ込み、32歳の女性を殺した事件だ。(犯人は、仮釈放なしの終身刑になった。)

▼必要なところを引用しておく。適宜改行太字。

〈このドナルド・トランプ時代にはお決まりのパターンだが、政治家とジャーナリストは12日に起きたバージニア州シャーロッツビルでの暴動をトランプ氏の発言や意図を巡る議論に矮小(わいしょう)化させている。

トランプ氏についてどう思っていようと、それは間違いだ。今回のような出来事を引き起こしているのはアイデンティティー政治(人種や性別など特定のアイデンティティーに基づく集団の利益を追求する政治)というさらに大きな害毒であり、それはトランプ氏が退任したあとも消えないだろう。

▼この記事を読むとわかるように、この記者は、「アイデンティティー政治」は、トランプ氏一人の問題よりも、はるかに大きな害毒である、という認識のもと、「アイデンティティー政治」という言葉を使っている。

〈バージニア州で示された具体的な病気は、リチャード・スペンサー氏、デービッド・デューク氏、ブラッド・グリフィン氏らが率いる白人至上主義の運動だ。平和的な抗議活動をしていた人々の輪に車が突っ込み、若い女性1人を死亡させ19人にけがを負わせた事件の責任はひとえに彼ら3人にある。

 スペンサー氏の下に集う群衆は注目を集めようと努めており、悪意を持って進歩的な大学都市のシャーロッツビルを選んだ。11日夜のデモではクー・クラックス・クラン(KKK)を連想させるたいまつを使ったが、孤立した若い白人男性をさらに多く取り込む方法として政治的に抑圧された被害者を装っている。

(中略)トランプ氏は、大統領選でアイデンティティーに関する強迫観念を利用したかもしれないが、それを自ら醸成したわけではない。

同氏は病因というより症状に近い。

ただ大統領としてアイデンティティーの強迫観念を批判する特別な義務がある。他の政治家もそうだ。

だが私たちが週末に見た民主党議員はほぼ軒並み、トランプ氏に対して「白人至上主義」のこん棒を振りかざすことしかしていなかった。まるで話はそれで終わるとでも言うようだった。

 話は終わっていないし、根底にある分断の政治に私たちが対峙(たいじ)しなければ今後も終わらない。〉

▼トランプ大統領の存在は、「病因」というより「症状」に近い、という分析は鋭い。安倍晋三総理もまた、日本が抱える深刻な問題の「病因」というより「症状」に近い、と考えたほうが、「病因」として考えるよりも、はるかに価値的だろう。

▼それはさておき、「アイデンティティー政治」を、「左」が使った時には「醜悪」であると批判し、「右」が使った時にはその「言及を控えて」記事を書く、というのは、フェアではないと筆者は感じる。

白人が黒人を理不尽に殺したことが発端であるこの事件について、「アイデンティティー政治」という言葉を使う場合、まずは白人の側が陥(おちい)りがちな「アイデンティティー政治」に言及すべきだ。

アメリカにおける「アイデンティティー政治」は、「左」も使うが、何よりも「白人至上主義者」たちの十八番である。

産経の黒瀬氏が、根拠の乏しいトランプ氏の発言に従って左派批判に傾いたのは、それだけこのアメリカの状況に危機感を覚え、アメリカを鏡として、日本の状況に切迫感を持っている証明かもしれない。

もっとも、6月4日付の産経新聞で黒瀬氏は、共同通信の1日遅れで〈白人至上主義者が極左なりすまし/ツイッター、アカウント停止〉という見出しの記事を出しており、〈デモに乗じて極左と極右の情報戦が活発化している可能性が出ている〉ということで、それまでの「左」批判から、「右も左もどっちもどっち」論に転換している。

▼トッド氏の『移民の運命』の第2章から第4章を読むと、アメリカの白人は黒人をとにかく怖がっている、黒人恐怖症だということがわかる。人間を判断する唯一の基準は「見た目」であり、それは建国以来、現在まで変わらない。

▼『移民の運命』におけるアメリカ論は、以下のような文章で結ばれている。

〈人間の外見を分類の最終的基準として選択するということは、アメリカ文明に関する何かしらの根本的なことを暴露している。本質よりも外見に優位を認めること、そしておそらくは内面的なものの存在を認める能力がある程度欠如しているということである。

これは何よりもまず個人主義的であると定義される社会にとっては逆説的な態度である。

アメリカの政治哲学における個人とは結局実体を欠いた表面にすぎないということになるのであろうか。〉(135頁)

(2020年6月5日)

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