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「超エモい」は「いとあはれ」の子孫である件

▼「エモい」という言葉は、すっかり普及した。いろいろな場面で使われるらしい。「やばい」とは違う意味だ。筆者は使ったことがないが、エモいの意味について、2020年3月28日付の読売新聞を読んで目から鱗が落ちる思いがした。

三省堂の辞典編集で有名な国語辞典編纂(へんさん)者・飯間浩明氏いわく、

「エモいは、昔でいう『あはれ』だと思う。素晴らしいと感じ時も悲しい時も、情感を込めて表現できる」

〈飯間さんによると、「いとあはれ」は今なら「超エモい」となる。〉

▼埼玉県越谷市は2020年、「こしがやエモいマップ」を作り、すぐに在庫切れになった。企画段階で、市の役人から「エモいの意味がわからない」という声があがったが、越谷市の魅力宣伝大使の益若つばさ氏に「エモいの認知度は高まっている。使うなら今ですよ」と言われて、マップ作成に踏み切ったそうだ。

▼この読売記事では、「使い勝手の良い感情表現」を時系列の表にしていた。

平安時代は「あはれ」、「をかし」、

ずっと下って昭和時代は「すごい」、

平成時代は「やばい」、

そして令和時代は「エモい」だという。

▼学校の古文の授業で、やたらと「あはれ」が出てきて、意味がよくわからないことが多かった。平安時代の人間は、なんにでも「あはれ」を使う。そのつど、なんとなく意味はわかるが、ボンヤリとした印象だ。

しかし、いわれてみれば「すごい」も「やばい」も、なんにでも使える言葉である。そうか、「すごい」も「やばい」も「エモい」も、「あはれ」の子孫なのか、とストンと納得した。

▼そうかそうか、「エモい」は「あはれ」か、と感心していたら、飯間浩明氏が東京新聞夕刊で「このことばクセモノ!」という連載を始めた。「あ」から始まって、60回ほど続くそうだ。2020年4月16日付は、その4回目「え」の回で、「エモい」が取り上げられていた。

もともとは、パンクロックの一種、エモーショナル・ハードコアの略称「エモ」から来たといいます。(中略)その「エモ」が「エモい」として一般化すると、必ずしも激しい気持ちを表すだけではなくなりました。むしろ、静かに湧き起こってくる気持ちを表すようになりました。

 いろいろな場合に使われるので、「意味が分からない」「曖昧だ」と評されることもあります。でも、日本語にはずっと古くから、「エモい」に相当することばがあります。古文の授業で習う重要単語のひとつ。そう、「あはれ」です。

「あはれ」も、さまざまな場合に使われます。秋の夕暮れを見てしみじみと抱く感情も「あはれ」。心のこもった文章を読んで感じるのも「あはれ」。さびしい気持ち、人を気の毒に思う気持ちも「あはれ」です。千年前の宮廷人が現代によみがえったら、「いとあはれ」の代わりに「超エモい」と言うはずです。

古文の「あはれ」に相当する意味のことばは、ここしばらく失われていました。私たちは「いいねえ」とか「すごいねえ」とかいうことばで代用していましたが、情感には欠けました。それが、「エモい」の登場によって、古典に出てくる人たちと同じ情感を現代語で表せるようになりました。〉

▼知らないことばかりである。歴史を遡(さかのぼ)るものさしを持っていれば、直近の時代の変化に右往左往せずにすむ場合がある。「流行語」も、そのものさしの一つだ。

日本語の歴史のなかでは〈外来語が形容詞になるのは難しい〉という。外来語由来の先輩として「ナウい」「エロい」「グロい」が挙げられていたが、たしかに、他に思いつかない。

▼エロ・グロ・ナンセンスの時代については、以前メモしておいた山室信一氏の連載が続いていて、

最近は、「エロい」の意味の変遷について論じていた。

▼「あはれ」も「ナウい」も、かつて流行語だった。生き残ることばもあれば、死語となることばもある。言葉は時代の鏡である。「エモい」は時代の何を映し出しているのだろう。

「緊急事態宣言」の下、東京ではゴールデンウィークに合わせてさらに「ステイホーム週間」が始まった。これまでよりも、いっそう「エモい」物事が求められ、同時に、「エモい」の意味内容もさらに変わるかもしれない。

(2020年4月25日)

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