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【不登校】不安や心配になるから、苦しむ未来。しあわせでいるから、しあわせな未来。

子どもが「不登校」になると、
「不安」や「心配」になるのは、なぜでしょう。


「学校」に行くのが「正しい、ふつう」だと
信じていて、

「間違え、失敗」だと嫌なことがある、
と信じていたり、

「学校」に行くと「幸せになる」といった

「学校」に行くと何かしらのメリットがあるのだと
信じているからではないでしょうか。

もしくは、「不登校」は「悪、損、不幸」といった
何かしらを、信じているからなのだと思います。


なにを信じているかは人それぞれですが、
つまり自分の「信念」が、
「不安」や「心配」を生み出している、

と言えるのだと思います。


「不登校」が「不安」や「心配」を生んでるのではなくて、

子どもが、心配をかけてきているのではなくて

自分の「信念」で、
自分が「心配」になっていて、

「不登校」という「子どもが学校に行かない」ことは
実は、誰も困らせていないのです。

↑こちらでも、書きましたが、
「発達障がい」が、わたしを困らせていたのではなく、

「発達障がい」があると、人にいじめられる、
人に笑われる、人にバカにされる、、と
損をすると信じていたので、

「発達障がい」のある自分を否定し、
その強い「自己否定」で、
わたしはずっと困っていました。

実際に「いじめられる」ことがあったとしても、
「いじめ」がわたしを苦しめない考え方、行動、

しあわせでいる選択はあったはずなのに
まったく思い浮かばなかったです。


気にしなかったり、場を変えたり、
何かしら選べたはずなのに

「こんな自分はダメなんだ!」と
決まっていると信じていたのです。

どんなことがあったとしても、
落ち込んだり、嘆いたり、自分を責めたりしたから
苦しかったです。

気にしなければ、
苦しくない。

わたしは、
自分で自分を責めたから
苦しんでいました。

自分を責めて、
くよくよして、
苦しかったのです。

発達障がい、まったく関係がなかったで
す。

だから、子どもの不登校をきっかけに、

自分が今、「不安」や「心配」があったとして、
その「不安」は、
自分の「なに」が生み出しているのか。


わたしは、
どんな考えを信じて、
どんな感情を生み出していて
こんな感じなのか。

自分を知るきっかけにして、
自分を不安や心配から解放して、
自分らしさをとり戻していく
ことで、

それは、まちがいなく子どもにも
いい影響があることだと思っています。

自分が「不安」や「心配」を生み出す
考え方を信じて苦しいことを、

子どものせいにしなくなる、ということは
とても穏やかな気もちになれるものです




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