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「発達障がい」よりも「自己否定」に困ってきた40年

わたしは、自閉症スペクトラム症ですが、
自分らしさの中に「自閉症」があると認められたのは40歳過ぎてからです。

自分を認め受け入れることは、
「早い方がいい!」とつくづく思います。

わたしも、まだまだですけれど、

小学生の時から「自閉症」や「ADHD」と
言われる「発達障がい」の部分を

否定して隠していたことは
まちがっていました。


大学を卒業して上場企業に入社して、
国家資格を取得して、資格を活かして働いて、

20代後半で年収600万円、
社内結婚。

「正解」をしていたつもりでしたが、
無理をしすぎて、性格にも、人間性にも、

問題を抱え誰にも相手にされなくなりました。

子育てはできなくなり、
周りに迷惑をかけて、
40代になってひとり暮らし。

布団から出られない、食べられない、何もできない
見聞きができない、味がわからない、

言葉は出てこないけど、
涙は止まらない、、、

ヒステリックでもあれば
ぼーっとしてなにも話にならない。

それでも、優しく手を伸ばしてくれる人もいた中で、

強く拒否したり、踏みつけにすることをくり返し、
ただただ、恩を仇で返すばかりの自分でした。

これが「正解」なわけ、ない。

無理をして得たものがあって、
例えば、経済的には余裕があったけれ
自分はずっと傷つけていたり、

自分に嘘はなくなってきたけれど、
他人を傷つけていることに気づけない
くり返しの中に「正解」はありませんでした。

心身が回復してきて、
深夜の工場でお弁当を詰めたり、
倉庫で作業をしたり、

飲食店やコールセンターなどで働き、
何年もお世話になりました。

だんだんと働けるようになってきたものの
経済的にも、体力的にも気力的にも無理が出て、

「この自分」で残りの人生をどうやって生きようか、
何をしたいのか、何をすべきなのか、
やっと向き合うに至ったのです。

本来なら、もっと若い時に、

「発達障がい」だからこそ、
「この自分」で「どう生きよう」と
本気で考える機会があった
のだと思います。

真剣に考えて、悩んで、
試行錯誤しながら

「社会に合わせる」努力と
「自分に合った生活」を創り出す努力
をする。

そうして生きるのだと感じています。

わたしは、まちがえてしまったけれど、

自分も他人も受け入れて、
自分も他人も大切にしながら生きること。

「自分」も「他人」も、
「経済的な豊かさ」も「個性」も
「心」も「身体」も
なにひとつ勝手に諦めないこと。

そう「生きる」と決めることが
「始まり」なのだと思っています。




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