ゲーム機に飢えた元モンスターが「ゲームを禁止したい親」に伝えたいこと

はじめに

 初めまして。わたしはしがないバーチャルストリーマー兼フリーライターのうりです。
 ライターとしての名義は分けているのですが、せっかくなので配信で話したことで特に伝えたいことは、文字に残しておくことにしました。

 そんなわけで今日のテーマは、
「ゲーム機に飢えた元モンスターがゲームを禁止したい親に伝えたいこと」
です。

モンスターはこうして生まれた

 子育てをされている方の中には、「モンスター」と呼びたくなるお子様に出会うことがあるかと思います。ネットでよく見かけるのは、「家で禁止されているものを、他人の家でここぞとばかりに貪る」アレかなあ、と勝手に認識しています。

 タイトルでも言ってるので今更ですが、わたしは「ゲーム機を友達の家で何時間も使ってしまう」タイプのモンスターでした。

 ぶっちゃけいうと、わたしの親はそこまでガチガチの教育熱心さはありません。「大学に行くのが当たり前」といった無意識さはちょっと暴力的に感じないこともなかったですが、テストでひどい点を取ったら殴ってくるだとかそういう親ではありませんでした。かなりひどい点を取ったことはありましたが、その時も「どのみち連絡に困るので」という理由でスマホを禁止されることはなかったです。

 では、一見放任主義で自由そうな親の元でわたしがなぜモンスターになったのか。

 起こったことだけを言えば「ゲームを買ってもらえなかったから」なのですが、買ってもらえなかったのは親の好き嫌いと、親自身の子ども時代の経験からでした。

 年齢がバレそうで怖いのですが、わたしの幼少期はDSが恐ろしいぐらいヒットしていた時期です。今ほど情報のスピードも速くないため、DSと民放テレビ番組のどちらかを履修していないとクラスでは孤立してしまいます。
(そういう社会が悪いとか、コミュニティが悪いとか、親の教育が素晴らしいというツッコミは一旦待ってくださいね。普通にそれ言われると気がおかしくなりそうなぐらいつらいです)

 わたしの親は、おそらくほとんど好き嫌いだけでその2つともを幼少期のわたしから取り上げてしまいました。

ゲームをやらない時間で得たものより、失ったものの方が多い

 正直、どこにでもいると思います。狂ったようにゲームをやってしまう子って。それで自分の子の宿題が終わらなかった日なんかは「ヤバいな」って思う気持ちも、親を経験したことが無いなりに理解しているつもりです。
 ですが、ゲームを禁止する、処分する、そもそも買わないことでゲームの時間を削ることで得たものより、失ったものの方がはるかに多いと相対的に感じてしまっています。得たものの大きさも自覚はしているのですが、それを上回る勢いで、孤独感が心を塗りつぶしてしまうんですね。

失ったもの1つ目:社会性

 失ったものの1つ目は社会性です。これはわかりやすいかもしれないですね。
 子どもの共通言語って、意外と「同じコンテンツで使われてる言葉」だったりするんですよ。わたしはサザエさんのじゃんけんコーナーも、ドラゴンボールのかめはめ波も知らずに育ちました。だから、学校で同級生がサザエさんの真似をしてじゃんけんをしても、かめはめ波を向けられても何ひとつ面白い反応ができない。今でこそ大のポケモンオタクのわたしですが、小学生のころはピカチュウすら知りませんでした。面白い反応ができないわたしに対して優しくできるほど、小学生は大人じゃないんです。大人だって反応薄い人にわざわざ絡もうとか思わないですよね。
 共通言語を持ってないわたしは、コミュニケーションの機会を失ったわけです。みんながいうから面白いんだろうなと思ったわたしに対して親が言ったことは、「あんなものを面白がるなんてみんなバカだね」でした。大人になって親にこの経験がつらかったことを話した時も、「でもみんなバカだなって思うし」と悪びれる様子はなかったです。もうどうしようもないですね。親もそんな調子なので、わたしは自分でも思い出したくないぐらい、本当にかわいくない子どもでした。みんなの楽しみを害するような言葉ばかり発していたので、もうあらゆる意味でモンスターです。気づいたころには四面楚歌。明らかに自分が種を蒔いて返り討ちに遭っているだけなのに、それを「いじめだ」と言って泣いていたんです。害悪以外の何者でもなかったわたしに寄り添ってくれた学校の先生や、当時のわたしを知りながら今も付き合いを続けてくれている数少ない友達には感謝しかありません。


失ったもの2つ目:何かを全力で楽しむ気持ち

失ったもの2つ目は、「何かを全力で楽しむ気持ち」です。
 わたしは何かを楽しんでいるとき、「これを楽しんでいるわたしって、バカなんだな」「もっとほかに有益なことに時間を使えたらよかったのかな」という罪悪感に苛まれるようになってしまいました。バーチャルストリーマー兼ライターとかいう、いかにも人生楽しんでそうな肩書を持っているにも関わらず、です。
 多分、ゲームを買ってもらえないきっかけが「勉強ができないから」とかであれば、まだ納得がいったんだと思います。勉強との折り合いをつけられなかったわたしの責任ですから。ですが、最初にも言った通り、我が家でゲームを禁止されていた理由は親の好みの問題です。ゲームが欲しいと言えば、ゲームへの嫌悪感を切々と説かれ、わたしの説得に折れて買ったあとは「買うんじゃなかった」と言われ続ける毎日。そして運悪く、配布ポケモンや限定マップなどのデータが入ったソフトをおそらく同級生に窃盗※されてしまい、親の「買わなきゃ良かった」が決定的になりました。

※「おそらく同級生に窃盗」…様々な状況からしてある同級生が明らかに黒だったのですが、その同級生はネグレクトの被害者で、親と連絡がつかずこの件について大人同士での話し合いはできませんでした。最終的にその同級生は転校し、有耶無耶のままになったためこの表記にしています。

出典はうりの記憶

 わかりますよ。ゲームソフトって安くないですし、「誰の金で買ったと思ってるんだ」と思う気持ちは大人になった今痛いほどわかります。でも一応被害者であろう娘に「管理が悪かった」「良いデータなんて見せびらかすんじゃない」って言わなくても良かったと思うんです。
 度々親から聞いていた話ですが、そうやってゲームに嫌悪感を示していた親自身も、当時流行していたアニメや漫画を禁止されて育った子どもでした。自分が許されなかったことを娘が楽しんでいるという状況を、許せなかったのかもしれないと今は思っています。
 わたしはゲームにのめり込む一方で、「楽しんでいる自分」を許せなくなってしまいました。幸か不幸か、ゲームをしなかった時間で楽しんでいた歴史の勉強である程度時間を潰すこともできてはいたのですが、最終的には心を病んでせっかく手にした仕事も続かず今に至ります。仕事を楽しむことすら、心が苦しくなってしまうのです。

塾に通わせるお金があるなら、ゲームは買った方がいい

 残念ながら日本は学歴社会です。わたしも大学まで出てその恩恵を受けている以上、「学歴なんて関係ない」と無責任には言えません。しかし、これだけは、わたしのような苦しみを再生産しないために責任を持って言いたい。それが「塾や家庭教師を雇うお金があるならば、ゲームを買え」です。それもきちんと、子どもが希望する機種を、です。

 友達と一緒に遊んだ経験というのは、大人の想像以上に子どもにとっては重要な体験だとわたしは思います。勉強方法を友達に教えてもらうのと同じように、人によって違うゲームの攻略法を勉強してお互いを高め合うことができます。そして、人間関係の基本的なことを学べます。例えば対戦順は公平性のあるくじ引きで決めるとか、習い事で早く帰らないといけない友達との時間の過ごし方を考えるとか。こうしたお互いへの配慮は、テストで良い成績を取る以前にとても大切なことです。
 モンスターであるわたしは、これらの機会のほとんどを失っているため(あるいは、あったけど言葉が届かなかったため)、大人になってから学ばなければならずかなり苦労しました。親に「好き」を否定されたわたしの自尊心は地の底にあり、何度も不健全な人間関係を結んでは壊してを繰り返しました。とてもつらかったです。

 もちろん、子どもの中にも所謂「改造厨」と呼ばれる違法なプレイングを楽しむ悪いヤツはいます。ですが、ゲームごと禁止するのではなく、そうしたプレイングの違法性を説明し、興味関心の矢印を違法な部分から外して良い方向へ繋がるようにしていくのが親の仕事だとわたしは思います。
 こういう悪いヤツとの出会いも大切で、子どもは実際に悪さしていることを目撃することで、「何が良くて何が悪いのか」を具体的に学べます(わたしが経験した窃盗や、直接危害を加えられるみたいな経験は避けた方が良いのはそうですが…)。
 ゲームやスマホといった、トラブルの諸悪の根源となるものから遠ざけ、安全過ぎる箱庭の中で大事に大事に育てることにわたしはメリットを感じません。ゲームをコミュニケーションや知的好奇心の入り口として、色々な人や情報と触れ合うこと、そして何よりも、ヒヤっとする出来事も含めて楽しんでいる姿を許されたこと、「良い影響を持ち帰ってくれる」と信じてもらえた経験が、人生を豊かにする礎になると思います。

 

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