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職場で名前を呼ばずに話しかけられた悲しさ

上記ツイートで自治体の #非正規公務員  のことを名前を呼ばずに雇用形態名で呼ぶところが多く、

「戦力外」と見做され、「ひとりの人間」として見てもらえない悲しさがあるという声を聞く。

実際、家族的な都道府県の外郭団体に #契約社員  として勤務したことがあり、一緒に働く仲間に名前を呼ばずに話しかけれたことがあることから、

本当に私のことが嫌いなのかと疑ってしまった。

中3の頃に同じクラスになった私を嫌った不良のひとりに自分の名前を呼ばずに話しかけろと言われたことがあることから、

物理的な距離感がないのにも関わらず、その関連性があると感じたのと同時に、「疎外感」を感じており、他の仲間に対しては名前を呼びながら対応していたことに対して悲しくなった。

その人にとっては、

#非正規社員  という立場上、いざとなったらすぐ辞めてしまうというリスクから、直接的に「嫌い」という言動や態度で示さず、「忘れても良い存在」であると見做し、「無関心」という手段で「私」の存在を打ち消している。

人間の感情は、

「好き」か「嫌い」の二択しかなく、職場では「嫌い」という意思表示をしたら大人気ないと見做され、業務に支障がでるので自分として不利益になる者に対して傷つけない形にする「無関心」という手段でシャットアウトしている。

#公務員  の世界は、

正規の試験で構成された者で構成されている為、創意工夫を必要とする頭脳労働等の仕事をする機会がない非正規を粗末に扱うのが当たり前であるという図式に則っていることから弱者と区別するというやり方で行われていると思う。

乱暴にいえば、

非正規→情緒 正規→効率 を求めたことによる「食い違い」があることによる互いの「余裕のなさ」を物語っている。

正規は諸事情で同形態の人員と業務の委託等の事情による影響で多忙になっていることに対して、

非正規は一般企業の同形態でいる者同様のデメリットを認識しているのと同時に同じ働いている「仲間」として認められない #生きづらさ  に連動して、人格を持った一個人であることや、キャリア志向が生まれ持った性質であることを理解してもらいたいという #承認欲求  で示している。

契約社員として働いていた頃は、

多数の異なる雇用形態であっても、対等に敬意を持って名前を呼びながら話し掛けたことを心がけた反面、通常の人間関係でいえば人によって態度を変えるタイプを嫌う行為と同様であるということにスイッチが入ってしまう為、空気とみなされる「差別」としか言いようがない。

#とは #労働問題






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只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。