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「障害者不要論」の植松聖被告に当たる加害者に対して極刑賛成

#津久井やまゆり園  殺傷事件の加害者である #植松聖  被告の裁判員裁判で、

#社会的弱者  である #知的障害者  利用者に対して、所作の不器用さに苛立ち、「社会のお荷物」扱いとし、殺して処理するといった残虐な人間であると感じる。

人並みに出来ない知的障害者に対して、スタッフは社会復帰を目指す為のお手伝いを任務としているが、

植松被告は、利用者の機械で鈍重な動作等が可笑しくて使い物にならないと判断し、「社会人」として失格という烙印を押したことになる。

障害者当人は抱えている障害が原因となったものを知らずに生きており、そのような所作をしただけで何も知らない赤の他人から笑われる苦痛を知っており、

#生きづらさ  を感じており、植松被告に否定的な発言をされる筋合いはない。

それによる過剰反応でコンプレックスを抱きながら、

自分にしかない「幸せ」を模索しながら生きようとしていた。

そういう私も被害者同様の経験があり、本来ならばやれそうなことを植松被告の供述と同様な理由で禁止、制限を受けていたので、

全ての一般社会でも「 #障害者不要論  」ならぬ、「社会的弱者不要論」に通ずるものがある。

私がごく普通の所作をしただけで、執拗に忠告されたり、罰則を与えるといった精神的苦痛を受けており、

人並みに出来ないもどかしさがあり、受け入れられず、居場所を失った。

実父に私が社会的に不当といったことに対する意見や指摘をしても、世間を渡れないといった侮辱を受けているのは勿論、過去に同様な理由でいじめられた経験があったので、

「不要論」に相当する人間であると思い悩んだことがある。

植松被告の供述相当をした加害者らに対し、

#マウンティング  をして心の安定を図ろうとしているものの、被害者に置かれている環境や心情を共有しない残虐な集まりであったことに気づく。

担当した裁判官はそのことに準じて

「死刑」を求刑し、植松被告の身勝手さによる生きる幸せを模索している社会的弱者の身を考えていないのが理解できる。

一言でいえば、

#日本国憲法  でいう #生存権  を乱用したことに当たる。

近年の #労働の権利  を一方的に奪われたことによる社会的弱者になってしまい、

強者中心社会であることを実感しており、犠牲者のみならず、別の形で不本意な人生を歩んでいる人達にとっては、植松被告どうよ、一刻も早く加害者に社会的制裁を与える機会を与えられることを望んでいる。


#生きづらさ #とは



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只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。