精神障害者の親友が言った「そんなことないよ」発言を分析した〜友人同士の旅行の打ち合わせ〜

高校で知り合い、自死した #精神障害者 の親友が私の不当な発言や行為で忠告されて反発すると、

必ずといっていいほど、「違う」ではなく、「そんなことないよ」と言っていた。

初めは肯定する意味として捉えていたものの、

実際は否定するという意味であるということに気付く。

具体的に挙げると、上記執筆記事の友人同士の旅行の行き先やその打ち合わせに行くための食事の場所で私が何気なく提案しただけで、

その当時は共通の友人のひとりが初職を自己都合退職をして、三ヶ月間の給付制限を受けており、無収入になっている状態になっていることを慮れと言われたことから亀裂が生じた。

私が言った意見に対して、

当時は収入が少なく、立場が弱い #契約社員 でありながら、初職の先輩達に悪く教えられたことを引きずった状態だと読まれたことから、そらなりの自覚をしてほしいという意味を込められた戒めの言葉も込められている。

確かに初職よりは年収が上がるというということや、#非正規社員 の身分でも #正社員 同等に働き続けるというお言葉を雇い止めされた前職の面接で当時の総務部長から受けており、浮かれていた後悔をしている。

親友の言葉は #黒字リストラ#改正労働契約法 による 失業で将来的に生活苦になることも込められており、

生前の彼女はお母様からすれば頭が良い娘であるという証言と一致している部分がある。

反対に言わせると、 #失業保険 の給付制限を受けていた友人は

本来ならばそんなことをしている場合ではないと突っ込みたくなるが、どうしてもかなり安いコストで凝縮して遊びたいという意見を強引に取り入れたとしかいいようかない。

友人グループの中で当時の手取り年収が一番高かった私が我慢して折れる形となり、

安い上に不味く、建物が古い店に対してケチを付けて怒らせた。

残りの三人は、

私の揚げ足を取った発言云々よりも話が楽しく盛り上がればそれで良いと反論された。

その彼女は上記記事のようなファーストフード店や行きつけのサイゼリア等のファミレスでも、グルメ雑誌で紹介された店よりも

いくら粗末な感じであっても何とかなるというポジティブな性格を見習って欲しいという意味も込められており、彼女の気持ちを踏みにじったことになる。

普通の人ならば、

激怒して「違う」と言いかねないが、厳格な家庭や会社以外の世界を知らない私の人格に配慮して、反論をしたことであるということに気付き、「そんなことないよ」という言葉の裏に温厚な親友の仲間の配慮は勿論、普通の人の感覚をオブラートしているというより、言葉の裏をがあることも考えさせられた。

#note感想文 #生きづらさ #HSP






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只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。