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「黒影紳士」season2-9幕〜誘い〜 🎩第四章 舞への誘い

――第四章 舞への誘い――

「綺麗ね……」
 白雪が美しい舞を見て黒影に言った。手でも繋ごうと思ったのに、黒影ときたら未だ影絵と舞台を見比べて……。影絵と同じ瞬間が来るのは何時かと緊張した面持ちで見上げている。
白雪は繋ごうと思った手の行き先を失い、少し頭にきて黒影の腕に獅み付いて意地悪をしてやる事にした。
 黒影は白雪が勢い良く獅み付いた反動で少し斜めになると、やっと白雪を見た。丁度その時、白雪の目にも黒影が持っていた影絵が低くなり見える。
「……?……此のもさもさしてるの何?」
 白雪が、不思議そうに其の影絵の竹の間に描かれた、動物の丸まった様な毛達磨を指差して言った。
 黒影も其れに今気付いたのか、顎に手を置き考え込んでいる様だ。
 黒影は唐突に白雪を風柳に預けて、何処かへ行こうとする。
 タブレットはバックライトがアートの邪魔になるので使えない。何かを調べようとしている事しか風柳にも理解出来なかった。黒影はサダノブの腕を引っ張り気付かせると、バッグヤードを指差し走り出す。
「えっ?先輩、何?何?もう舞台始まってるんですよ?」
 と、サダノブは急な黒影の行動に慌てて言った。
 勿論、黒影は喋れないので無言で走るのだが、何か急いでいる様に見えた。
 やっとバックヤードに着くと、アートの邪魔にならないので黒影はタブレットを使い始める。
 ……急いで昨日のリハーサル映像をチェックするぞ……
 と、書いてサダノブに見せた。
「今からですか?」
 サダノブが聞くと黒影は確かに頷いた。
 サダノブは急いで近くのスタッフに、昨日のリハーサル映像を観せて貰えないか無線で原尾 章宏に確認して貰う。構わないとの返事があり、其のスタッフがスタッフの休憩室にある映像が観られる場所迄案内する。
「此方です。観終わったら閉まって置いて下さいね」
 そう言い乍らディスクを取り出し、セットすると出て行く。黒影は早速椅子に座ると、早送りして其の映像を観て行く。
「こんな早くて何か分かるんですか?」
 と、サダノブが聞くと、黒影は映像を観たまま頷く。
 手元には演目が書かれた紙を横に置き、演目の始まりと終わりにチラチラ見て確認している様だ。
 黒影は演目一覧表に、終わるとタイトルの横にチェックを入れた。
「あれ?……一曲多いですね?」
 全部のタイトルにチェックが入ったのに、もう一曲入っている。
 ……アンコールか、特別ゲスト枠かも知れない。此処迄あの流山元総師範が出ていない。大取りに出て来る可能性が高いな……
 と、黒影はタブレットに書いてサダノブに見せる。
「成る程、スタッフ内でも秘密って事ですか」
 ……時間から言って長唄だな。「春興鏡獅子」か。藤川 派が最後か?世襲制の厳しい世界だ。リハーサルはそうでも本番は流山元総師範が踊るのが筋だ……
 黒影はタブレットに書きサダノブに見せる。
「優雅で綺麗ですね」
 サダノブは思わず舞を見て言った。
……そう思うだろう?きっと原尾 章宏が言っていた迫力はこの後だ……
 と、黒影はタブレットを見せるとにやりと笑った。
「えっ……嘘?……此れ歌舞伎じゃないんですか?」
 春夏秋冬の美しい舞の後、頭に真っ白で長い歌舞伎の様な髪型で振り返ったと思うと、前半と打って変わり荒々しく真っ白な髪を振り乱し踊り始める。足音も激しくジャンプをしたり、床に叩きつける音は荒々しい。
 ……此れは狂言の一種だ。踊りを強要され育ち、美しい踊りを踊る様になったが、最後は獅子の踊りをするんだ。すると、獅子其の物に成ってしまったと言う話だ。
 と、黒影は軽く踊りの内容を説明した。
「へえー、ちゃんと全部お話しになってるんですねー。でも、確かにジャンプも荒々しさも凄いですけど、落ちてはいませんね」
 と、サダノブは言う。黒影は、
 ……ああ、リハーサルでは落ちていない。だが、影絵を見ると竹林の下にこの獅子の髪の毛が落ちていたのを、さっき白雪が見付けた。かなりのジャンプをする演目で視界も獅子の髪で見辛い。何か起こるとしたら、此の演目に間違い無いだろうな……
 と、文章で伝える。
「じゃあ、此の獅子を踊る人が被害者……」
 黒影はゆっくり頷いた。
 ……他は如何でも良い。獅子を監視し守れば良い。今は……「君が代松竹梅」だな。此れも長唄だ。20分程度ある。未だ間に合う、急ぐぞ!……
 黒影はそう言ってディスクを取り出し、慌てて仕舞うと舞台に急いだ。
「風柳さん!獅子です!髪の長い獅子を守れば良いそうです!」
 と、サダノブが帰って来るなり風柳に言った。
「獅子?」
 風柳は何の事かと聞いた。
「急に荒々しい獅子に変わる演目が、此の後に始まります。其の演者が被害者だそうです」
 と、黒影が言っていた事を簡単に説明する。
「よぉし、分かった。獅子を守るぞ!」
 黒影は白雪と「君が代松竹梅」を観ている。竹の上に梅の花、悠然たる松が竹を一層引き立てている。美しい三人の舞が軈て終わった。
 ……次か。……黒影と白雪とサダノブはじっと舞台を見上げる。風柳は下で観ている観客やスタッフに目を配った。
 立ち止まって観ている観客、其の導線を確保するスタッフ。風柳はスタッフの顔だけでもと、薄暗い中で覚える。観客の出入りは自由なのでなかなかスタッフの様にはいかないが、獅子が現れる前後だけでもと目を光らせた。
 若竹の美しい緑の光の奥に、ぼんやりと舞台が浮かび上がる。背景にはプロジェクションマッピングで、舞台に覆い被さりそうな程、堂々たる松が風に揺れて、下から見た其の景色は圧巻と言っても過言ではなかった。時々風で落ちる松の葉が竹の上を滑り落ちる細かい演出がされている。光る竹林の裏には石橋が現れ、舞台手前の柵も全くと言って良いほど目立たず、同化していた。最後の大取りに相応しい荘厳で美しい景色だ。
 金の袴を履いた橋川 流山が現れ、一瞬観客が淀めき静かな歓喜と緊張感を与えた。長年受け継がれた其の舞は、どの形も美しく流麗なものだ。しなやかなのにキレがあり、観る者を惹き込む。
 ……黒影は見惚れた次の瞬間に目を疑った。
 此の曲……此の石橋……。此れは、「春興鏡獅子」では無い!
 もう一人の銀の袴と赤い着物の、少し小柄な演者が出て来た時、其れに気付いた。
 此れは紛れも無く「連獅子」と言う演目。二体の赤獅子と白獅子の親子獅子が現れるのだ。
きっと、リハーサル後に演目を変えたに違いない。
「……どっ、何方が落ちてくる?!」
 風柳も動揺を隠せない。
 如何落ちて来るかも、何方かも分からない状態だ。
 黒影は仕方なくタブレットを使いサダノブに、
 ……何方かの殺気は読めないか?……
 と、聞いた。
 サダノブはじっと一人ずつ見詰めて思考を読もうとしたが、頭を横に振り言う。
「……駄目だ。踊りに集中していて、お互い殺気立っている」
 と、答える。此の踊りは親獅子が子獅子を石橋から落とすシーンがあり、今正に転がり落ちる場面で、舞台が狭いので緊迫していた。
 次第に二人の踊りは荒々しく、舞台を踏み荒らし観客は其の迫力に息を呑んだ。そして、とうとう二人は二体の赤獅子と白獅子と姿を化す。
 舞台の上で赤と白の髪が激しく回る。白獅子は其の御年を感じさせない勢いで高くジャンプし、舞台に轟く音で着地し強さと悠然たる風格を見せ付ける。其れも舞台ギリギリの柵を何度も踏み越え掛かりながら。
 風柳は其の度に前に走りそうになるが、やはりプロは柵に当たろうがギリギリを責めて、其の迫力を見せ付ける。プロジェクションマッピングの舞い上がる牡丹が美しく、獅子の舞いと共に花弁を散らす。
 そして、赤獅子も負けじと迫力を見せるが、橋川 流山の迫力には遠く及ばない気がした。
 そして、赤獅子と白獅子の立ち位置が変わって直ぐ、事件は起きた。
 立ち位置が変わって赤獅子が白獅子の前の柵止めを使った時だった。其の二匹の獅子の攻防に耐えかねたのか、柵がバキバキッと音を立てて、折れてしまう。赤獅子は慌てて柵の折れた端に捕まった。風柳は慌てて真下に移動しようと竹林を掻き分けるが、努力虚しくも落下し竹の切っ先に刺さる。
 白雪は口を両手で塞ぎ、サダノブは目の前の光景を受け入れられずに、未だ呆然としている。風柳は赤獅子の藤川 香が刺さったままの竹をへし折り、地面に降ろしてやる。
脈や息を確認したが、もう息絶えていた。
 舞台は此の騒ぎに真っ暗になる。
「待てっ、犯人がっ!」
 黒影は掠れた声で、真っ暗になった舞台に手を伸ばす。
 影絵で見たならば此れは事故では無く殺意があると言う事。こんなに真っ暗にされては、犯人に逃げられてしまう。……黒影は真っ暗な会場の中、スタッフの羽織を着た人物の中で、此の場から去ろうとする者を必死で見付けようと目を凝らす。然し見当たらない……まさか、犯人は堂々と未だ此の場に居るのか?否、もしかしたら舞台下や竹林の間を擦り抜けて出てしまったかも知れない。
 余りの悔しさに黒影は思わず帽子を取り、床に叩き付けた。

 ――――――――――

「木霊と採光」のイベントは其の後中止され、警察が来て関係者全員の事情聴取をとったが、関係者の多さに事件は難航を極めた。此の儘単なる事故で終わるかも知れない。……そう思われた。
 黒影は未だ、あの事件を追っている。風柳から、二人分の負荷にあの柵が耐えきれ無かった様だと聞かされても、其の破損部分の写真を暇があれば見たり、事情聴取の内容に目を通す事を止めなかった。
 ……殺意がある限り、其れを許しはしない……
 其れが、黒影の変わらないスタンスの様なものだからだろう。
「一番近くにいた橋川 流山だって、危うく自分が落ちるかも知れなかったんだ。他に舞台には不備は無かったし、事故じゃないと証明するには難しいぞ」
 と、あれから考え続ける黒影にもう諦めたらどうだと言いたそうに、風柳はそう言う。
「殺意があれば、何かが残る筈。残らなくても引き摺り出します」
 と、喉の調子も良くなって来た黒影は言う。
「全く……頑固だな。まあ、止めても無駄なのは分かっている。好きなだけ調べてみなさい」
 と、風柳は溜め息を吐き乍ら新聞を広げる。
「黒影、あーん」
 白雪は黒影にお粥を冷ましてから口に運んでやる。黒影はあの事件の週刊誌を読み乍ら口を軽く開ける。
「先輩、いーなぁー」
 其れを見たサダノブは羨ましそうに言った。
「なら、サダノブも口の中、ズタズタにされてみるか?穂さんが甲斐甲斐しく看病してくれると思うぞ」
 と、黒影は皮肉めいて言う。
「いやいや、せめて風邪ぐらいで結構です」
 と、サダノブは苦笑した。
「黒影、何読んでるの?」
 と、白雪が週刊誌を覗き込む。
「藤川流と橋川流の確執って記事。本来なら伝統芸だから藤川流に組織が合体するなら納得行くんだけどね。幾ら橋川 流山の現役が難しいとは言え、新流で派生した藤川流が大元になるのは世襲制である日本舞踊の世界ではご法度なんだよ。もし、勝手に勢力の強さで藤川流が名乗っているんだとしたら、橋川流からしたら相当な怒りを買ってもおかしくはないんだ。こう言う勢力図はゴシップ誌の方が調べが早いからね」
 と、言う。
「で……やっぱり仲は悪かったんですか?」
 と、サダノブは緑茶を飲み乍ら聞いた。黒影もやっと飲めるようになった珈琲に舌鼓を打ち、
「表向きは合同で踊ったりイベントもしているらしけれど、元の橋川流は相当腹わた煮えくりまくってるみたいだね。そもそも藤川流が勢力を持ったのも、元はと言えば橋川流から名取と言う資格があるんだがね……其の有資格者を大量に生徒ごと裏金で引き抜いたらしい。通常なら破門されるべき行為だけど、其れで勢力図が変わり橋川流は文句が言えない状態だったみたいだね。元々家元の橋川 流山はあまり抗争に口出すような人では無かったから、上手く利用されてしまったのかも知れないな。そんなものにも見向きもせず、踊り一本の人格者だったからね」
 と、話した。
「人格者ですか……。文化人とも成ると、やっぱ他とは違うんですかねー」
 と、サダノブは人格者と呼ばれる人間の思想を読んでみたいと思う。
「……あんまり期待しない方が良いよ。文化人や人格者と呼ばれる事は、窮屈さもあるものさ。怒りたくても怒れない……何時も平常心であれなんて、鍛錬の賜みたいに言われるけれど、本人が望んでいるかは分からないからね」
 と、黒影は言った。
「さて……食事も済んだし、殺人事件当日の映像を見ても構わないかな?」
 と、黒影は皆んなに確認する。遺体慣れしてしまっているので特に誰が反対する訳でもなかった。黒影は遠慮なくノートパソコンの映像を再生した。
「……やっぱり妙なんだよなぁ……」
 と、黒影がぼんやり観て言う。
「何がですか?」
 サダノブもノートパソコンの動画を見に来て聞いた。
「ほら……此処の、獅子の髪を同時に回す此の見せ場さ。此処は力強く髪を回転させ床に叩き付けるのだけどね、通常なら揃うと美しいとされているんだよ。なのに、橋川 流山は合わせようとすれば出来るだけの技術があるのに、赤獅子に動きを全く合わせていないんだ。以前、橋川 流山が他の時に同じ連獅子を踊った時が此方」
 と、黒影はもう一つの画像を出して再生して見せる。
「あっ、本当だ。結構身長差もあるのに息がぴったりですね」
 サダノブはあまりの違いに驚く。
「次第に息が合うのが此の演目の物語でもあるし、身長差があっても息ぴったりに回している様に見えるのは、背が高い方がゆっくり回したり、背が小さい方は大きく見せて回すから成せる技で、かなりの熟練の技がいるんだよ。……僕が思うに、あえて合わせなかった。合わせたく無かった様に見える」
 と、黒影は感想を述べた。
「其れだけ、仲が悪いって事ですかね。……でも其れを出してしまったらプロじゃないですよね?」
 サダノブの言葉に、
「実にその通りなんだ。プロなのにプロらしからぬ動きをした事に、何か意味があるように思えてね。……其れと、舞台ギリギリの柵に当たってでも踊る橋川 流山だが……彼なら当たらずとも距離の調整なんてのはお手の物だった筈なんだ。最初は迫力の為に態と踏み込んだり、ギリギリを狙ったと思っていたけれど、足だけ見てみると態々柵に負荷を掛ける様に着地したりしている。此処で出来るだけヒビを入らせ強度を弱らせておけば、後は普通に踊り、入れ替わった瞬間に赤獅子の藤川 香が滑り止めに使うだけで、落とせたと思うのだよ。入れ替わり後、白獅子は前ギリギリに出る。合わせて踊る赤獅子も当然前ギリギリに出る羽目になった訳だ」
 と、黒影は橋川 流山の思惑だったのでは無いかと考えている様だ。
「ほら、其れに此の柵のヒビを見てくれないか。明らかに入れ替わる前の白獅子の方からヒビが入り割れたのが分かる」
 と、黒影は柵の写真も見せた。
 其れを聞いていた風柳は、
「其れはそうかも知れないが、あくまでも出来る状態にあったと言うだけで証拠にはならんな。本人が自白するしか無い」
 と、言う。
 「其れなんですよねー」
 黒影は腕と脚を組み、天井を見上げた。白雪は、
「あら?じゃあ逃すつもり?……らしくない」
 そう言って黒影にお粥を食べさせ終えると片付けて、庭へ出て行った。
「……怒っているんですかね?」
 サダノブが、黒影に白雪の事をコソコソ聞いて来る。
「……そりゃあ、怒ってるよ。僕も含めてだけど」
 黒影はそう言って笑う。
「言ってる事とその笑顔、一致していないんですけど」
 サダノブが苦笑いし乍ら言った。
「此の儘逃げ切られるのは確かに癪に障るな」
 と、風柳も言う。
 黒影は黙って庭のベンチに座る白雪を見ていた。
 ……一番浮かばれないのは、アレか……。
 木陰に揺れる白雪の影が風の音がする度、散っては戻るを繰り返す。
「サダノブ、自首して貰いに行こう!」
 黒影が唐突に立ち上がり言う。
「そんな事、出来るのか?」
 風柳が不思議がって聞いた。
「幾ら俺でも、思考を読んで突き付けたとしても難しいですよ?」
 と、サダノブは言う。
「分かっている。……サダノブの力は凶悪犯向けだからな。きっと橋川 流山にも罪の意識は少なからずある。其れは殺した人数や殺し方が如何のでは無い。初犯だから逆に罪の意識が強い筈。其処を突くしかないな。今償わせなければ、彼は今後其の機会を失ってしまう。償いは救済では無い。けれど、如何向き合うかで彼の後の人生は変わる。償わず過ぎてしまえば何れ其の苦しみから逃げよう様と、更なる狂気に変わるかも知れない。今を逃す訳にはいかないんだ。彼が人として生きる道を選ぶなら、今頃其れに気付いているだろう。……完全犯罪など在ってはならない。被害者の無念が聞こえるから、僕は行く……。僕自身の「何時も通り」を遂行する為に」
 ……そうだ。何時も通りじゃないと心地が悪い。そんな物の為にと思うかも知れない。けれど、被害者の何時も通りは一瞬にして消えた。僕らの何時も通りは、とても無力で弱いから……。だから守らなきゃいけなかったんだ。明日もまた小さな事で笑える様に。
 サダノブは黒影が何時も通りじゃないだけで、洞察力や観察力、其れに冷静な判断まで欠いてしまう時を何度か見て来ている。黒影にとっての何時も通りは、安寧と言う尊いものだったのだと、其の黒影の言葉に思い知らされた。
 黒影の守り築いてきた其の安寧は、周りの人々を笑顔にする。例え其れが元罪人でも、被害者でも、残酷な真実でも、何人たりも……何者ですら其の安寧は等しく彼の影の中にある。其れが崩れてしまうと言うのなら、行かない理由など何処にも無い。
「俺も行きますよ。らしくない先輩じゃ、困るんですよねー」
 と、サダノブは頭を掻き乍ら言った。
「じゃあ、俺は自首の準備だな」
 風柳は立ち上がり、車のキーを取り出した。
 黒影は庭の白雪の前に立ち止まって、言う。
「待たせたな。……らしくない事はしない事にした」
 そう言って、ベンチに座る白雪に手を伸ばし微笑む。
「何時も、遅いのよ……」
 そう言い乍らも、白雪は笑顔で黒影の手を取って立ち上がる。
「……黒影……」
 白雪が車まで歩く途中、声を掛けた。
「ん?」
 黒影は白雪を見て視線を少し下げる。
「私、やっと一緒に歩ける様に成ったの。……でも、可愛く無いから嫌いにならないでね」
 と、良く分からない事を言った。黒影は少し考えて……
「別に可愛くなくても、白雪は白雪だ。嫌いになんかならないよ」
 と、一体何の話しだか検討も付かないけれど、分かる事だけで返事をする。
 怒っていても、冷たくても、拗ねていても、大人びて見える時も、一度だって嫌いに思った事は無い。だから、何を不安に思って言っているのか分からなくても、きっと変わらないものがある。
 ――――――――――

「広いな……」
 思わず、古いが何年も磨き上げられてきた黒い艶のある美しい木造建築の歴史を感じ、風柳が言った。
 広大な敷地に圧倒される。本家となれば風格さえ漂う。あまりに広いので、風柳は車を駐車する場所すら分からない。念の為アポイントは取っていたのでスマホから連絡すると、中からお弟子さんだろうか……スタスタ小走りで出て来ると案内してくれた。
 廊下は歩くとギシギシと音を立て歴史を感じさせた。古い物であるのは確かだが、防犯用にもなっているらしい。
「今、お呼びしますから、此方でお待ち下さい」
 と、広い座敷に上げられる。何十畳の畳だろうか。横には大きな池と季節の花が控えめに揺れている。
「……落ち着くね」
 白雪が、庭から吹き込む柔らかい風を受けて髪を直し乍ら言った。
「ああ……」
 黒影は白雪の仕草から目を離さないまま、白雪の出先に言った言葉の謎をまだ考えている。
池の反対側で橋川 流山が水面に浮かぶ舞台で、ゆっくり舞っていた。其の景色は周りの自然と溶け込み、時間を緩やかな安らぎに導く。
 ……あんな風に、毎日欠かさず踊っていたのだろうな……
 橋川 流山……今は何を思って舞っているのだろう。
 黒影は其の姿を目に焼き付ける様にしっかり見ていた。彼の最後の舞になるかも知れないからだ。
 嵐の前の静けさとは正に此の事。
 あの舞が終われば、舞台は色も景色も変わるだろう。
 暫くするとお茶を出され、橋川 流山のお努めも終わった様だった。黒影達が来ているのには気付いているが、きちんと対面するまで話したりはしなかった。
「すみませんね、お待たせして」
 と、汗を拭い着物の衿を整え言った。
「いえ、お忙しい中お時間を取っていただいただけでも有難いのに、素晴らしい舞まで拝見させていただいて……」
 黒影は帽子を横に取り、一礼する。
「ああ、如何ぞ足は崩して下さいね。全く気が利かない者ばかりで。……足枕も椅子もありますから」
 と、正座していた黒影達を気遣う。
「じゃあ、少しお言葉に甘えて……」
 と、黒影は一度立ち上がると態々脱いで横に畳んだコートを広げ、バサっと着るなり座り直した。橋川 流山は其れを見るとカッカッと笑い、
「やはり自分の形を持っている方は、其の儘の方が自然で美しい」
 と、全く遠慮すらしない黒影を気に入ってそう言った。
「僕には僕の流儀があるもので。……けれど流山先生にもそう言ったものはあった筈ですよ。曲げた流儀は美しくない事ぐらい、貴方なら分かっていらっしゃると思うのですが……」
 と、黒影は言ってにやりと笑う。夕暮れてきた赤が、其の瞳を何時もより真っ赤に染め、燃え激らせている様だった。
「また気の早い鷹だ。宵の方が狩るには良い機会でしょうに。……然し、私は長い人生で一度も、鷹が獅子を狩るなんてお話は聞いた事が無いのですよ」
 と、何処か儚い目で夕暮れを見付め、流山は言う。
「其れはきっと……鷹は自ら捕らえに行かないからです。けれど鷹は何時弱るかと、根拠良く獅子から目を決して離さず、何時何時(いつなんどき)も獅子を観察している。まるで逃げられない影の様に」
 と、黒影は話す。
「……其の追い掛けっこには終わりがあるのかね?」
 と、流山は冗談でも無く真面目に聞いた。
「あります。……終わらせに此処へ来たのですから」
 黒影はそう答えた。
「……そうでしたか。此処は私の舞台。貴方に隙入る場所でもあれば良いのですが……」
 流山は何年も踊り続け、磨いては汗も血も滲んだであろう古い染みも残る舞台の中央にスッと座り、腕を袖に潜らせ組んで言う。
「……其処が獅子の至る座……ですか」
 と、黒影は問う。
「さあ、ずっとただ当たり前に此処にいただけだよ。長年いた場所に安心感を持っただけで他に何も考える暇も無かった」
 流山は懐かしそうに視線を遠くに飛ばし言った。
「藤川 香さんを殺したのは、何故ですか?」
 黒影は真っ直ぐ其の目で睨み聞いた。
「貴方は如何思いますか?」
 流山は問いには答えず、黒影に聞いた。
「勢力を持ち過ぎた藤川流は、確かに橋川流からしたら気に入らない存在であったのは確かでしょう。そして、今回の「木霊と採光」の仕事を橋川側に許可無く受けたのも気に入らない。けれど、貴方はそんな周囲を気にする器の人間には思えない。
 きっと、「連獅子」を持ちかけたのは藤川 香さんの方ではないですか?本来なら橋川流から次の継承者を決め踊るべきところを、何故か貴方は引き受けた。連獅子には高い協調性が必要とされる。其れを見極める為、貴方はあえてあの日……自分から合わせる事が出来たのに合わさず、如何程(どれほど※正しくは何れ程と書くが、意味が同じに付き此方を採用す)ついて来れるのか試したかった。此れから新、旧共に生き抜くには其れが必要だったから。
 貴方はただ、師として試練を与え、正に崖から這い上がれるのなら手を差し伸べようと思っていた。ところが、其れにはあまりに未熟過ぎて貴方を落胆させた。……違いますかね?」
 と、黒影は推測を話した。
「まあな、あれには随分期待していたし尚更厳しくもした。其の反発で橋川を目の敵にはしていたが、可愛い反抗期にしか思っていなかったよ。踊りを見れば分かる。
 香さんは香さんなりに、私と違う居場所を探していた。何時迄も私の目には孫娘の様に、未だ手毬をついて踊っているんじゃないかとさえ思える。何をしてやれば良かったのか……今も分からん。迷い殺気に満ちた踊り方をするあれを、もう見たくは無いと思った。美しい艶やかなままで……そう、今も願ってしまうよ」
 ……軈て日が落ち、夜の帷が落ち始める。
お弟子さんが数人入ると、灯りを燭台や行燈に点して行く。舞台の四隅の篝火が美しい月を讃えている様に舞い上がる。鷹と獅子の平行戦の終わりは何時やらと、風柳は車の中で缶珈琲を開けて月夜を見上げ待っていた。

🔸次の↓season2-9 第四章へ↓

お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。