見出し画像

「黒影紳士」season2-4幕〜花鳥風月〜花の段〜 🎩第二章 違和感が軋む音

――第ニ章 違和感が軋む音――

「変わった客人?」
 サダノブが聞くと黒影は、
「ああ、そうさ。サダノブが美人に珍しく尻尾を振らないのだから。白雪にでさえ見事な甘えっぷりのポチが。サダノブは警戒心を持っている。白雪は女の勘とやらでやっぱり気を許さない。そして、先程から風柳さんが茶ばかり啜って、話そうとしない。美人に照れている訳じゃなければ、理由はつく。刑事の勘が何かを探ろうとしている。そして僕も思うよ。……やっぱり毒じゃあないかって。偶然も重なれば必然。サダノブは如何読んだ?」
 と、一番顕著に態度が何時もと違うサダノブに、先ず黒影は聞いた。
「ゲストルームに呼びに行った時、作り笑顔では無く心底笑って挨拶したんだ。まるで気持ちの良い清々しい朝の様に。襲われたのは今日なのに、そんな安心しているのは何か変だと思った。部屋から一歩でも出れば、辺りを見渡しても可怪しくないんだ。俺だったらこう思う、此処に来てみたものの、本当に安全なのか?と。其れに一度ゲストルームに通して貰ったとしても、俺なら誰かと居たい。不安な時は皆んなそうだと思う。なのに、一人で距離を取るのは不自然だ」
 と、サダノブは言う。
「来るべくして来て、目標を達したかの様な気がするな……」
 其れに対して黒影はそう言った。
「風柳さんは?」
 黒影は、風柳に黙っている理由を聞きたい様だ。
「ああ、探偵は良くて刑事を嫌うのは、探偵を使って警察を欺きたいからだ。探偵ならある程度訳ありでも預かってくれる。なんか、刑事に知られたくない理由があるみたいだ。目の前にそんなのがいられちゃ勘が疼いて仕方無い。如何する黒影」
 風柳にもやはり理由はあった。
「やっぱり、必然だった様ですね。……如何するも何も、僕等は依頼を受けた以上は仕事です。何者かは調べれば良い。猛毒注意の時は、素直に風柳さんにお渡ししますよ。但し、今は今日の事件に関わる唯一の重要参考人です。犯人が逃亡した今、彼女からヒントを得るしかない。そうですね?」
 黒影は風柳に確認する。
「まあ、それに変わりは無い。暫くは役所勤めの隠居にでもなっておくか」
 と、風柳は刑事だと言う事に幸田 凛華が気付いてない様なので、そう口裏を合わせるようにとそう話した。
 黒影からの今後の方針の提案が決まると、風柳とサダノブは黙って頷き了解する。
 黒影は其れを確認すると白雪の部屋の前に立ち、ドアをノックした。
「白雪、聞いていたか?」
 そんなに、大きい声で話していた訳では無い。……が、
「うん、聞いたよ」
 中から白雪が答える。黒影は手に小さな小指程の機械を持っていた。
「混線するから返すよ。……後、、昼の花見が台無しになった事だし、此れから一杯サダノブと引っ掛けに行くが、白雪も一緒に夜桜見に行くか?」
 そう言うと、白雪は部屋から飛び出て来て、リビングに仕掛けてあった盗聴器を黒影の手から受け取り、
「其れなら私も乗るわっ」
 と、上機嫌になった。でも、手に返って来た盗聴器を見て悔しそうに、
「何で解っちゃうのかしらん?」
 と、黒影に言った。
「そりゃあ、「たすかーる」印は贔屓にしてるからね」
 と、黒影は言って笑う。
「サダノブ、そう言う事だ。行くだろ?さっき「たすかーる」に混線防止機器を頼んだ時に、穂さんも今日は仕事が終わりだと聞いたから、サダノブも来るからって誘っておいたよ」
 其れを聞くとサダノブは黒影を拝み乍ら、
「やっぱ先輩、最早神超越してますー」
 と、目をキラキラさせて言う。
「おい、ボディガードは俺だけか」
 本当は一緒に一杯引っ掛けたかった風柳が、黒影に聞く。
「……さっきの、本当は耳が痛かったんじゃないですかー?風柳さんなら余裕……ですよね?」
 と、黒影はにっこり笑って返す。
「あー、分かった。日本酒缶で良いからお土産頼んだよ」
 と、行って風柳は渋々承諾するしか無かったのだった。
 ――――

「わぁー、綺麗」
 白雪が散る花弁を追い掛けて遊ぶ。
「本当に綺麗……」
 穂も見上げて言った。
「えっと……穂さんの方が……綺麗です」
 サダノブは穂の横顔に照れ乍ら言うと、頭を掻いた。
「やっぱ、チャラいのにロマンチストだな」
 と、黒影はサダノブを茶化したが、サダノブを見詰める穂は少し頬を赤らめる。
「やっぱり黒影は夜桜の方が似合うわね」
 と、白雪がにっこり笑った。
「……そうか」
 黒影は満更でも無く、嬉しそうだ。
 サダノブは其れを聞くと気付いた。ああ、先輩が似合う、似合わないをやたら気にするのは白雪さんの口癖だからだと。
「あっ、忘れないうちにお渡しします」
 穂が黒影に無線の混線予防機器を渡した。
「此れが必要な程盗聴されていたら、私なら一日だって暮らせませんよ」
 と、苦笑いして。
「慣れっこですよ」
 と、黒影は笑い乍らサインをして、
「はい、此れも忘れない内に」
 と、受領証を穂に返した。そして、クイっとウィスキーの入ったグラスを開けて小声で言った。
「ところで、サダノブの使っているゲストルームの一台、其方に繋がっていた筈だね?」
 と、穂の耳元でサダノブにバレないよう、黒影が聞いた。
「ええ、店長にも心配症なんだからと笑われました。黒影さんなら気付くと分かっていましたが……いけなかったですかね?」
 と、穂は言うと叱られると思ったのか、しょんぼり肩を落とす。
「否、構わない。人様の愛の形に兎や角(※当て字で使用される)言う気は無いんだよ。其れより今、ゲストルームに客人がいるのは分かっているね?」
 穂は黒影が仕事の話をしているのだと気付くと、一瞬目付きが変わった。
「ええ、あの心中騒ぎの美女ですね」
 と、穂が言うと黒影は思わず額に手を当てた。
「何時そんな高性能な小型カメラ迄仕込んでいたんだ。……今度其の新作、回してくれ。……で、数日その女……幸田 凛華の行動を監視したい。ウチみたいに男が多いと何かと監視し辛いんだよ」
 と、黒影が気まずそうに言うと穂は、
「まぁ、それもそうですよね。黒影さんならまだしも、サダノブさんが鼻の下伸ばして見てると思うだけで、腹立たしい。私の睡眠妨害です。……其の女、ぶっ殺します」
 と、両手を拳にしてパチンと合わせた。黒影は慌てて、
「否、君が言うと本当に冗談に聞こえないから止めておくれよ。僕だって白雪に半殺しにされると思うと、他には穂さんにしか頼めないんだよ。仕事の合間に偶に確認するだけで良いから。変な動きがあったら知らせてくれれば良い。くれぐれもぶっ殺さないよーに」
 と、黒影は手を出さない様に念を押した。
「半殺しなら良いですかねぇ……」
 穂がドス黒い声で言う。
「半殺しも駄目です。犯人も狙われる方も無事でナンボだよ。其れにサダノブは其の……穂さんの其の気性は知っているの?」
 と、黒影は聞いた。
「はい、偶に出ますよ。嫉妬した時ぐらいですけど」
 と、ころっと何時もの笑顔で笑う。
「あ、そうなんだ。……其れなら、良かったね」
 と、黒影は思わずサダノブを白い目で見た。
「何ですかー?先輩」
 サダノブは冷たい視線に、白雪と花弁を集めて遊んでいたのを止めて振り返った。
「否、楽しそうだなぁーと、思って」
 と、黒影は朗らかに笑った。
 白雪は集めた花弁を黒影に渡した。黒影は其の中から一枚花弁を取ると、注ぎ直したウィスキーに浮かべる。
「……閉じ込めた……」

 儚いとは消えたり散ると事前に分かるものに人は感じると云う
 だから、人の命もまた尊く儚いと想わずにはいられない……
 時が一秒一秒刻まれる事に悲観する者など何処にいるだろうか

 でも黒影は違う。
 時が刻まれる毎に命も削れる事を忘れてはいない。
 ただ、其の削られ行く一秒が美しいと思えるならば、花弁と同じ、散るも良しとする。
 ――――

「よいしょっと……」
 サダノブが黒影を背負って帰って来た。白雪はサダノブを応援して茶化している。
「何だ、だらしない」
 風柳は其の姿を見て思わず言って笑った。
 白雪は、
「はい、お土産」
 と、風柳に日本酒缶とお摘まみの入ったコンビニのビニール袋を渡した。
「おっ、此れは有難い」
 と、風柳は待ってましたと缶を開けた。
「黒影、ハウス!」
 と、白雪が二階への階段を指差すと、黒影はズルズルと素直に二階の自室に向かって行った。
「あんな泥酔でも白雪さんの言う事は聞くんですねぇー」
 と、サダノブは呆れて言った。
「当然よ」
 と、白雪はきっぱり言う。
「其れより夕飯は如何する?今からじゃ、白雪も大変だろう。お客様もいる事だし、酒にも丁度良い。……良しっ、久々に寿司でも取るか」
 と、風柳は上機嫌で言った。
「やったー!」
 白雪とサダノブはハイタッチして喜んだ。
 ――――

「ぅーん……飲み過ぎた」
 頭を抑え乍ら、黒影はベッドに転がるでも無く、パソコンの椅子にゾンビの様に手を伸ばすと引いて座った。ゆっくり一回転すると、パソコンに向き直りカタカタと作業を始めた。
「知名度が上がってわんさか出て来たなぁー。……今や美人は利得とは限らないっと……」
 そう言い乍ら、幸田 凛華の情報を搔き集めた。美人が心中……然もネット上から消されたとあれば、陰謀論や付き合いたいなんて馬鹿げた話も話題には出るし、住所を特定する輩もいる。住所特定止まりか……黒影が諦め掛けた時だ。
「……此奴に騙された……か」
 他は何時も通りの反応といった感じだが、一人だけ違う反応……。然も此の手の書き込みを普段していないのが窺えた。
「怪しいな……」
 黒影は其のデータを記録した。
「黒影ー!お寿司食べる?」
 白雪の声がする。
「ああ、今行く……」
 そう言って黒影は慌てて下に降りた。

 ――――――
 翌日、黒影はある会社に出向いた。
 昨日観ていたニューストピックを制作した会社だ。
「おや、態々其方からお出でになるとは珍しい」
 と、尋ね先の社長が黒影を見るなり言った。
「やはり、自己紹介するまでも無かった様ですね」
 と、黒影は気にもせずにっこり笑う。
「まさか本当に実在していたなんて。此方が幾ら嗅ぎ回ってもスポンサーが強すぎて歯が立たんのですよ。黒い帽子に黒いコート……まるでネットの中の噂みたいに出ては消え、決して足跡を残さない。何時しか影の化身とまで我々の業界では言われた貴方が、こんな小さな会社に何用で?」
 と、社長は聞いた。
「……ある情報が欲しくてねぇ」
 と、黒影は社長が勧めたので一礼してソファーに腰掛けた。
「……情報?貴方が探す程の情報が此処に在りますか如何か……」
 と、社長はクスッと笑う。
「僕のスポンサーなら確かに一時間で手に入る。表面上の情報ならね。でも知りたいのは其れじゃあない。其方のお得意なもっと生臭い情報が欲しいのですよ」
 と、黒影は話す。
「……あの美女の心中の一件ですね。あの時の記事、書けなくて此方は大慌てでしたよ」
 と、社長は溜め息を吐いて言った。
「あれでも努力したそうです。情報は小さくなりましたが、一部残しただけでも良しとして下さい」
 黒影はそう言って苦笑いをする。
「あの美女、今此方でお預かりしています。周辺と過去、全部洗い出して頂きたい。勿論、小さな探偵社の小銭でなんて言いません。情報の対価には見合った情報を……そう思いませんか?」
 と、黒影は本題に入る。
「貴方の情報にはそんな一人の女の情報程の価値、足元にも及ばない。……と、成ると他の情報ですか……」
 と、社長は何を切り出してくるのか、楽しみな様だ。筋金入りの情報通と言ったところか。
「この事件を解決したら他より一番にお知らせします。……同日同じ場所で殺された女の事件と関わりがある。……今は其れだけです。あくまで今はね……」
 其れを聞くと社長はごくりと唾を飲み込む。大きな事件の匂いに嗅覚が騒いでいるのだ。
「……確証は?」
 思わず社長はそう言ったが、
「確証は僕が此処に現れた事です」
 それを聞いて納得した様だ。
「確かに此れ以上の確証は無い。分かりました、調べて使いを寄越しましょう。……ところで……」
 社長室の監視カメラを見上げて社長は、
「今日も足跡を残さないで帰られるのなら、せめて備品は壊さずにして頂きたい」
 と、言った。黒影はクスッと笑うと、
「勿論。……交渉成立ですね。宜しくお願いします」
 黒影は社長と握手すると、帽子を取り会釈して去って行った。
 黒影が去った姿を見るなり、社長は慌てて監視カメラ映像に獅み付き、先程まで写っていた筈の黒影の姿を血眼になって探す。
「糞っ!何て速さだ!」
 モニターを確認した社長は思わず机を強く叩いた。
 残ったのは黒影の去る細く伸びた影だけだった。
 ――――

「殺害された遺体の身元はもう分かりましたか?」
 一仕事終えた黒影は風柳に聞き乍ら、コートと帽子を掛けてリビングの椅子に座る。
「ああ、分かったよ。其方の交渉は如何だった?」
 と、風柳は聞く。
「ええ、滞りなく」
 と、黒影は白雪が出してくれた珈琲を飲んだ。
「先輩、何処行ってたんですか?」
 サダノブが不思議そうに聞いた。
「ああ、ちょっとした情報屋が立ち上げた小さな会社だよ。情報の為なら多少非合法も厭わない。常に情報で頭がいっぱいの中毒者の集まりさ」
 と、答えた。
「随分、気嫌いする言い方ですね」
 と、サダノブは不思議そうに聞く。
「何時もはライバルの様な立ち位置だからね。気を抜けば此方の情報を掠め取られる。利害関係が一致した時にしか一緒に動きはしないよ」
 と、黒影は話した。
「さて、そろそろ本題だ」
 風柳がそう言うと、白雪も席に着いた。
「二件目の被害者の名前は曽我 紗奈絵(そが さなえ)31歳。現在、夫の曽我 春輝(そが はるき)との間に小さな娘、優麻(ゆうま)ちゃんがいる。ネットで買った物をブログに上げるのが趣味で小遣い稼ぎだったらしい」
 風柳は知らなかったみたいなのでサダノブは、
「ああ、アフィリエイトブログっすね」
 と、言うと風柳は、
「あっ、其れだ其れ」
 と、思い出した様だった。
「夫の曽我 春輝によると、曽我 春輝の稼ぎは普通だ。だが亡くなった妻の曽我 紗奈絵はアフィリエイトでコツコツ稼ぐので、良く友達とランチに行くとは知っていたが、特に誰とかは聞かなかったらしい」
 風柳が続けた話に黒影は、
「ちょっと羽振りの良い主婦ってだけな印象ですが、其の友達って言うのは、女性か男性か……特に愛人の可能性とかはありませんでしたか?」
 と、聞いた。
「そう聞くだろうと思って念入りに調べたんだが、夫以外の異性の気配は全くもって無かった。昔の同級生にも会わないし、同窓会すら行った事が無いと夫も話している。あまり家族以外は興味が無い感じの人だったらしいな。家庭的と言うか、内向的と言うか……」
 と、風柳はほんの少し悲しそうな目で言った。
「最近は、情報が何でも手に入るから、そういう他人と関わらない人も増えています。孤独感は感じていないと思いますよ。其れに、曽我 紗奈絵には友達もいたのなら、ネット上の希薄な友情以外の頼れるものが、ちゃんとあったと言う事です」
 と、黒影は風柳に話す。
「ああ……希薄な関係は楽で良いのも分かるんだがなぁ。いざと言う時に誰もいない仏さんを何人も見てきたからな」
 風柳はよくそんなご遺体が上がった日には言ったものだ。
 ……本気で相談出来る奴が、一人でも側にいたなら、消えなくても良かった命だった……と。
 悲しみに死んだのか、孤独に負けて死んだかすら分からない。見えない虚無感が其の命を押し潰したのだろうと、風柳は言っていた。
 刑事にも黒影達でさえも救えないものが、其処にはあるのだ。今回の殺された曽我 紗奈絵に、其れに似た何かを風柳は感じていた。
「……その友達……本当に友達だったんでしょうか?」
 黒影は風柳を見て言った。
「彼女のパソコンとスマホをお借りしたい」
 と、風柳にはっきりと言った。
「あ、ああ。警察が念の為に調べているが、急ぎか?」
「ええ、出来れば其方の解析が終わってからでも構いませんが。多分ロックが掛かっています。ロック解除の時短の為にも、此方に一日貸して頂きたい」
 と、黒影は申し出る。
「んー……一応掛け合ってみるよ」
 と、茶を濁らせたが、根負けした様だ。確かに、解除キーが必要になるとすれば、時間が掛かる。黒影がタダで開けてくれるとなれば、向こうも願ったり叶ったりな話だ。
「何で黒影はサイバーセキュリティでも鑑識でもなく探偵に拘るんだ。警察関係者に成ってくれれば、楽に話は進むのに」
 と、風柳は愚痴を言った。本当は同じ警察で仕事をしたかったからだろう。
「それじゃあ、難事件を漁れないじゃあないですか。其れだけですよ」
 黒影は何を今更と言った風に笑う。
「事件の虫だな、お前は」
 呆れた風柳は本の虫に喩えてそう言った。

 ――――
 サダノブと白雪はお留守番。風柳は事件の捜索で出掛けた。少し頼り無いお留守番組みだが、何とかなるだろう。
 あれ以来、二週間帽子の女は現れていない。其れにいざサダノブが危険とあらば、穂がスタンガンでも持って近くを彷徨いているだろう事は分かる。         出掛けて暫く歩くと、聞き慣れた穂のバイクのエンジン音がしたからだ。
 タクシーに乗り指定の喫茶店で待ち合わせる。
 小さいがなかなかに味のある純喫茶で居心地が良い。
「あっ、すみません。お待たせしました」
 一人の女が黒影の前に駆け寄って来た。
「鞄は彼方に置いて、必要書類と貴重品だけ此のテーブルに持って来て下さい」
 そう、黒影は座ろうとした彼女を手で制止し、奥の死角になる席を指差した。
 女は言われた通り、奥の席に鞄を置き、ファイルとボールペン、財布を持って戻って来た。
 黒影はボールペンを手に取り確認し、財布も悪ぶれも無く開けて確認する。免許証を確認すると、
 「高頭 弘(たかとう ひろむ)さんで宜しかったですか?他にも胸ポケットにボールペンがありますね?」
 と、黒影は素直に出す様にと、テーブルをコンコンと軽く鳴らす。
「……やっぱり小細工は効きませんね」
 と、素直に胸ポケットのボールペンもテーブルに置いた。
「対価以上の情報提供をする気はありません。此方も慈善事業ではありませんから、お互い様です。気を悪くされません様に」
 と、言い乍ら黒影は自分の鞄から金属製の箱を出し、中に其れを閉まった。
「お話が終わる迄此方で預からせて頂きます。終わったら返すのでご心配無く。ただ、財布の中のカード式の方は壊れると思っておいて下さい」
 と、黒影が言ったのを聞いて、
「あゝ、其れまで……。最後の頼みの綱だったのに。やっぱり無駄でしたね」
 と、残念がり乍らも高頭 弘は笑った。
「私、ずっと黒影さんのファンで。何時も手掛かりを見付けたくて探して何年も経ちます。其れが今は探偵社をしているなんて驚きました」
 と、高頭 弘は目を輝かせて話した。
「あまり事務所には居ませんがね」
 ……と、だけ答える。間を置いて、
「何で貴方なんですか?」
 と、黒影は聞いた。
「えっと……だからファンだからです」
 と、高頭 弘は答える。
「此の僕が今時ハニートラップに引っ掛かるとは、あの社長でも思わないと思いますが……」
 と、疑いの目を隠す事無く黒影は言った。
「其れは違いますよ!此れでも昔より社長も丸くなったんです」
 高頭 弘がそう言うと、
「ほう……如何やら社長さんと親しい間柄という事ですか」
 と、黒影は言った。
「あのぉ、私で推理遊びしないで下さい。珍しい人に会えるぞって、社長が此方に寄越してくれただけです」
 高頭 弘は、案外顔に出易いタイプの様だ。
「……半分は信じましょう。問題は取引き内容次第ですが……」
 と、黒影は話を進める様に言った。
「では、此方の書類に目を通して下さい……」
 高頭 弘はテーブルの上に見える様に書類を置いた。
「あのすみません。お客様、ご注文は如何されますか?」
 その時、ウェイターが来たので黒影は見えない様に、スッと書類を摘み横の席に伏せると、
「否、すまなかった。僕はアイス珈琲で。高頭さんは?」
「同じもので」
 と、言って注文した。
「黒影さん、珈琲好き何ですかー?」
「ああ……」
「今度美味しい珈琲屋、良かったら教えますよ」
「結構だ。君といると、ゆっくり珈琲も飲んだ気がしなくなるに決まっている」
「えー、もう色々持ち込みませんから」
「信用出来ないな」
「うー……」
 高頭 弘はがっくりし乍らも、仕方無く話を進める。
「幸田 凛華……相当、手を焼きましたよ。書き込みの追跡だけでも何万個ですよ。流石にウチでも絞るだけ絞りましたが、一部です」
 と、黒影に言って、プロフィールの次の資料を見る様に手を出し捲った。
「おい、自分で見れる」
 と、出された手を払い退けた。
「その爪先のカメラが邪魔だ」
 と、言う。
「……あっ、外し忘れていました。分かりました、今外します!」
 と、付け爪を外し始めた。
「其れにしても此の記事、下らない叩き文句ばかり良くこんなに出るもんだ。ストレスの吐口にでもしていたのか?」
 そう黒影が言うと、高頭 弘は付け爪を外し終え、其れを黒影に渡した。丁度ウェイターがやって来て、一瞬ぎょっとした顔をしたが、珈琲を葱々と置いて行った。
 黒影は深い溜め息を吐き、
「高頭さん、貴方のお陰で僕は立派な変質者扱いになりましたよ」
 と、言った。高頭 弘は、
「何だか、すみません」
 と、苦笑いをする。
「でも、此れ……ただの誹謗中傷文じゃ無いんですよ。実は此れ、ライバル企業を陥れる為の書き込み請負のビジネス何です。口コミ、評判サイト……凡ゆる物に書いています。其れも複数アカウントで同時に」
 と、真面目な顔に切り替え、幸田 凛華には羽振りの良いサイドビジネスがあった事を告げた。
「確かに此れは厄介だ。狙われるのも無理は無い。然し此れだけ一斉に書き込んだんだ。其れなりに費用や技術もいた筈だが……」
 と、黒影は聞いた。
「そうです。其れを教えていたのが、如何やら亡くなった曽我 紗奈絵さんらしいのです。二人で組んで良い仕事を教えるからと、鼠講紛いの事をしていました。資金は其れで調達したのでしょうね。知り合いの此の手の仕事請け負い人に聞いたら、かなりプロに近いやり口だと褒めていましたよ」
 と、高頭 弘は二人が繋がっていたところ迄調べたと言う。
「十分過ぎる情報だ。裏は此方が固める。社長に探偵社を始めてからはご縁を大切にしているとお伝え下さい。実に優秀なスタッフが揃っていると。其れと……其の潰しのプロを紹介してもらっても良いですか?守秘義務は必ず守ります。此の事件のキーになる人かも知れない」
 と、黒影は言う。
「此れは私が黒影さんのファンだからお教えするんですよ。珈琲、奢りですよね?」
 と、高頭 弘は小声で言った。
「ああ、勿論珈琲代なんかで良ければ」
 と、黒影はにっこりと爽やかに笑う。
「うーむ……その笑顔に負けたっ!如何ぞっ!」
 高頭 弘は一枚の名刺を出した。
 裏返すと表向きでは無い、裏の住所や連絡手段が書いてある。
「此れは此れは……感謝します」
 彼女が出る時に箱の中の物を渡す様ウェイターに頼み、黒影は先にレジで支払って出て行った。
「あっ!」
 高頭 弘は慌てて箱の中の物を取って、店の外に飛び出す。遠くの交差点を曲がったのかスーッと横に伸びる影。
 ……まだ間に合うかも!
 全速力で走って交差点を曲がる……が、黒影の姿は見えなくなっていた。
「社長の言った通り……。追い掛けても無駄な人……か」
 高頭 弘は一人残されて、息を切らし乍ら茫然と言った。
 ……まるで夢でも見ていたみたい…
 そう思った。

🔸次の↓第三章へ 

この記事が参加している募集

読書感想文

お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。