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誰かの幸せを祈ること、私の幸せを紡ぐこと

こんばんは。yoiです。
最近のことについて少しお話ししたくなったので、こうしてPCと向き合っているのですが…。

前回のひとりごとnoteにて宣言していた次回予告を潔いほど無視して、とあることを書きたい、書いておかなきゃダメだとなった。
だから「日常の祈り」について、備忘録として記録したい。

ことの発端っていうものは特にないのだけれど、最近祈ることがとても増えたし、その言葉が目に留まるようになった。
祈る、って言葉を聞くと宗教だったり何か信仰しているものに対する願いごとの類いをイメージしがちだと思うけど、少し違う。

前置きが長くなって申し訳ないんだけど、ここからは私の脳内のことを、上手くまとめられるように書いていきますね。


じわじわと体感する、小さな祈りの存在

日常生活をこなす中で、ふと感じるのが誰かへの祈り。
小中高の時代のクラスメイトや、少し話しただけの同級生、Instagramのストーリーで見かけるアルバイト時代の尊敬していた先輩や「そういえば…」で思い出す退職していった会社の先輩。

私の人生で、ほんの僅かだけど関わりを持った人であることは確かだし、実際問題幸せでいてほしいという密かな祈りを捧げている。

格段好きだったわけでもないけれど、きっとみんなが幸せになれば良い世界が続いていくだろうし。
その程度だけど、ほんの小さな祈りを続けている。


そして、好きだった人へ

25年も生きていれば、異性や同性など性別関係なく、好きだった人の1人や2人は存在すると思う(個人差があると思うのでこれ以上は追求しない)。

これから先は、きっと交わることはないと思うけれど。
確かに好きだったあの人には、心を優しく癒してあげられるような綺麗な花束を贈りたい。

そして何よりも、幸せな出逢いを経て煌めきのある豊かな人生を過ごしてほしい。

私があの人の人生に責任を持つことはこの先ないと思うけれど「こんなに穏やかな気持ちを教えてくれて本当にありがとう」という意を込めて、朽ちることのない祈りを続けたい。
いつか人生を振り返る時に、またあの人を思い出しては祈りを捧げるのだと思う。


物語の中に住む人が、幸せであることを祈っている

小説に登場する登場人物たちも、きっと物語の先で生き続ける。
だからこそ、物語のその先で小さな幸せを噛み締めて生きていてほしいと思うし、それまでのストーリーを超える本当の幸せに出合ってほしいだなんて願っている。

これも一種の祈りだと思うし、そうした祈りを続けることで私の中でも物語が生き続けていく気がする。

実際は言葉を交わしたことのない人物だけれど、その先の人生がきっとあると思うから。そのための祈りを捧げていきたい。


誰かが私の幸せを祈っている、かもしれないし

誰かの人生の幸せを祈ることで、私も誰かから幸せを祈られているのかも。
まぁそんな都合がいいことはないと思うんだけど、そう考えてみるだけでも十分に幸せな気持ちになれると思う。

世の中上手くできていますから、自分だけ幸せでいればいいだなんて発想も偶にしてしまうけれど(笑)それも人間らしくて好き。
けれどやっぱり、ささやかでも良いから。
キラキラとした柔らかい日差しに包まれて過ごす昼下がりのような幸せが、私の祈りに乗っていけばいいと正真正銘、思っている。

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