見出し画像

自分らしさの欠片を集めて

例えば、
新学期の自己紹介
道徳の授業の「心のノート」
流行だったプロフィール帳
受験の面接
就活の自己分析
自己PR

小学生の頃から、自分らしさとは何か、自分とはどんな人間であるかを知るために、様々な場面で教育されてきたように思う。

内面の場合は上記のようなものだけど、外見においての「自分らしさ」の教育に覚えはなく、周りに流されるように、恥をかかずに溶け込めるよう変化してきた。

以前こんな記事を書いたけれど、最近髪をバッサリ切ってきた。少し襟足を刈り上げるくらいのショートヘア。

化粧を意識し始めてから、案外1、2年前まで、まつ毛は長く上向きでバサバサに、それこそが美しさであり正しさだと思っていた。髪はサラサラで、あるいはコテで巻いてくるくるにして。

だけど、別にまつ毛が下を向いていようが関係ないし、髪が短くてもまとめていても、自分が満足出来ていればそれでいい。
口紅の色だって薄くてもいいし、ファンデーションだって塗らなくてもいい。下地とコンシーラーがあればじゅうぶんだ。

女の子らしさとか、女性らしさとかに、なんとなく違和感があった。それはわたしの性的嗜好の話にまで及ばなくとも、純粋に、そこに私らしさはないと思ったのだ。

23歳になったけれど、爪を何週間も伸ばし続けて、そこから削って自分らしい長さをを目指している。
髪を胸まで伸ばし続けて、ボブにしてショートにして、いい塩梅を目指す。
服の系統も、髪の色も。

少しずつ、自分が納得できる外見に折り合いをつけている最中なんだ。
遅くなってしまったけど、少しずつ。

自分らしさとは、「ときめき」より「しっくり」を集めていった先にあるんじゃないか、と思うようになったのは最近だ。これは内面においても通ずる部分がある。

「しっくり」を選ぶという現時点での結論は、ただ単に私が保守的な人間だからかもしれない。
このままだと面白みの無い人間が加速するんじゃないかという不安もあるけれど、今のところ、これが私が一番無理をせずに居られるかたち。

もう少し自由でもいいのかな、とか、みんなが好きなものを好きじゃなくても大丈夫かな、とか、そんなことを思う。
もっと楽に生きていきたい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?