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ずっと隠したかったこと。プロフィールに書けた!
久々にTwitter(X)のプロフィールを更新。
ずっと隠したかったこと。
虐待毒親サバイバー、パワハラ&抑うつ経験者。
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今回は特に、パワハラ&抑うつ経験者の関連で、
一度も書いて来なかったことを書きます。長いです。
うつになった途端、
周りにいた多くの人が離れていき、
実親や実弟からも絶縁されて、
実家倒産後のいざこざで、祖母とは会うことも出来ず、
虚しさで一杯だった時も、
夫だけは、ずっと傍で支えてくれていました。
2013年に最初のパワハラがあり、
その時既にうつ症状を自覚していました。
でも心療内科に通うのは怖い。
もう仕事人生が終わってしまうと恐怖でした。
その時も「こんな漢方があるよ」と薬局で見つけてきてくれて、確かにそれを飲むと少し症状が和らぐ。毎週末38度の熱を出して寝込んでも、そういう時にまで家事をしろとは言わず、淡々と寄り添ってくれていました。
※※以下、2024/05/24追記※※
ちなみに・・・この時に所属長に訴えたい!旨、夫に相談したけれど、
「それはさすがに…理不尽な上司は幾らでもいる。今は頑張り時ではないか」と。同じ会社だしね。仕方ないかとも思った。
ただ!!!
それでいて、こうも言うのですよ。「子供のいない人生は欠陥だ」って。
また毒親だと知っているのに「お義母さん保育士なんだから頼めばいいじゃない」って。彼の子どもが欲しいとは微塵も思えなかった。全部私に降ってくる。とても受け留めきれない。
私は働きたい。実家の倒産を経験したからこそ。誰かのために役立てているという実感を持ちながら働けるという、素晴らしい場所を決して手放したくは無かった。(ってとこまで、夫に話せなかったよ。闘えなかった。当時の私は。ダメだよね。)
※※追記以上※※
2015年4月。色々あってメンタルダウン。3カ月ほど休ませていただきました。
その時も、最初に心療内科を探し、「薬をあまり使わない病院だからいいと思う」と連れて行ってくれたのも夫でした。
会社に対しては、内科に行って相談をし「慢性疲労症候群」の診断をもらっていました。心理士さんにも沢山相談した。あくまで内科で通したかった。怖かった。
その頃一度、会社側と向き合って話せる機会がありました。
隣に同席してくれていたのは夫でした。
そして色々あって、2015年9月、本格的な休職に入りました。
実親や実弟から本格的に絶縁されたのはこの時。
弟が結婚し、こどもも生まれたころ。
実家の倒産後ずっと支えてきた自負があったので、その仕打ちは非常に悲しかったです。
私が、「毒親」や「機能不全家族」を知ったのはこの頃。
本の中で『お前は毒親だ!って親にぶつかると、まともな親は子供に向き合うもの。毒親は「我々は何も間違えていない!」と言うもの』とあったので、夫に相談して、その本を持参してもらいました。
すると、見事に我が実親は後者。
本を届けた夫をその場で罵倒し、翌朝には毒母が電話をかけてきて「お前らは非常識だ!訴えてやる!」と言われて終わりました。
やっぱり毒親だったんだ、とはじめて実感したとき。
会社には内部通報をしました。
担当部署と直接、やり取りをしたのは夫でした。
その翌年。
私が組合側にメールで「会社として、こういう意識の管理職をどう思っているのか??せめてこの経験を活かして、何かできることは無いのか??」と会社に直訴したい言った後、直接、組合事務局で専従と話をしてくれたのは夫でした。
さらにその後、人事側と「今後どうするんだ?」という話を直接するのも、毎日出社していた夫でした。
言いたくもなかったであろうことを、我がことのように人事側に言ってくれたのも夫でした。夫は相当、割を食ったと思っています。
それでも「私との人生が一番大事だから」と言って、対応を続けてくれていました。
夫はSNSが嫌いです。基本的に興味も無いです。
自分のこともあまり言わない人です。
だから今まで書いて来なかったけど、
自分が一番お世話になった時期のことを一切書かないのはズルいなと思って、書きました。
うつになり、自分をゼロから立て直すとき、ずっと寄り添ってくれた夫。
私は、夫のおかげで毒親とはじめて絶縁して、
その後娘に恵まれて、
重度知的障害という不運はあったけど、決して不幸ではなく、
幸せな人生を送れています。
夫よ、本当にありがとう。私も、もう一度頑張りたいよ。
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・・・毒親について、夫に共感を求めすぎるのは、
私自身が、世間からの批判を怖がっているからだと気付いた昨日。
だから、プロフィールに明記しよう!と腹をくくりました。
音楽活動と同様に
「私はこうなんです!」「既に幸せなんです!」と言えるようになりたい。一歩一歩。
(ただ・・・同じレベルの共感はできないだろうけども、
現在進行形で私が「困る」と言った事は、ちゃんと受け止めてほしいわ。
さらに、我らが娘が受けた毒についてはもっと怒りを感じないのか?!と思う。親なんだったら。どっちが大事なんだ?!ってなるぞ。失礼~。)
最後に、少しだけ違う話を。
「親を大切にするべきだ」
「親子はいつか分かり合える」
「親子問題は難しいよね」等 よく耳にする言葉。
これら言葉は全て
「親は必ず、子どもを無条件に愛している」という前提条件がある。
世の中クソな親もいるんだよ。
上記のような言葉を、
虐待育ち・毒親育ちに平気で投げかける人たちに知って行ってほしいと切に思う。私も沢山傷ついて来たから。
大体、児童虐待死は「特殊事例」だと思われ過ぎてる。
児童虐待死と虐待育ち・毒親育ちには「ハインリッヒの法則」が成り立つんじゃないの?
「1件の重大事故の裏には
29件の軽傷事故と、300件の無傷害事故が隠れていると考える。」工事現場等の安全管理などで良く知られているハインリッヒの法則。
…ニュースで児童虐待死を知り、
Twitterで生き残れた身体的虐待や心理的虐待エピソードを見てると、
1:29:300の法則をひしひし感じる。
「虐待=超特殊事例」と思われすぎ。
虐待育ち・毒親育ちの後遺症は、あらゆる弊害を生む。
せっかく健常児が生まれる幸運に恵まれておきながら、
あんたら何してたんだと親に言いたい。
夫への共感を求める以上に、私自身が腹くくって行かねばならないし、
もしまた夫が「親を大事にすべき」と再度言おうものなら・・・(略)。
■娘との日々を大切に過ごしたい。色んな事一緒に試したい。
重度知的でも一歩一歩の積み重ねが活きる日々を実感してるからこそ。
■親亡き後の娘のために、出来ることを積み重ねて行きたい。お金も大事だが、環境づくりとそこにつながるまでの経験が大事。
■娘の前で前向きな自分であるためにも、自分の心身の健康のことも考える余裕を持って生きていきたい。(ピアノも作曲も、私にとって心身の一部)
ここが人生の3本柱。
「専業主婦になったんだから、夫の世話を…」はもうございません。
できません。私には無理です。
重度知的障害の娘との日々は、幸せだけどタイト。非常にタイト。
一生続く、私のメイン業務。
だから夫よ、同じ立ち位置のパートナーとして、
共働き時代のスタンスで、改めてよろしくお願いします。
(・・・あれ?最後若干趣旨変わった???まぁいいや(笑))
長文をお読みいただき、ありがとうございましたm(__)m