一杯の牛乳を、一杯の牛乳として飲むこと。
これは僕の感じたことをまとめておく、備忘録だ。
まず用意するものは、グラス一杯の牛乳。これだけ。
次は机の上を、まっさらに片付ける。この牛乳と一対一で対峙するためだ。
片付け終わったら、牛乳を机の中心に置く。でもまだ口をつけてはいけない。そのコップに入っている元は血だった液体の、色、重み、香り、ゆすったときの動きまでを、詳細に観察する。
やがて牛乳の輪郭がはっきりとたち現れ、解像度がこれ以上ないというくらいに高まる。目を瞑っていても、牛乳の存在感が脳裏に焼きつくまで。
そういうところにまで到達すれば、ようやく一口目。
ここでももちろん、すぐには飲みこまない。口の中で、体温によって変化する味を楽しむのだ。
そしてようやく一口目が終わる。
でも待った!
飲み込むときの、喉の感覚を受け取るのを忘れずに。
そうしてゆっくり、一口二口とグラスを傾けていると、あることに気づくはずだ。
そう。いつもより牛乳の減りが遅いのだ。
「なにを当たり前のこと言ってんだこいつは?」「遅く飲んでんだから減りが遅いのは当然だろ!」「最近暑いからねえ……」と思われるかもしれないが、ちょっと待ってほしい。
減りが遅いのはただの結果なのだ。
ではなぜ減りが遅くなるのか。
それは僕たちが『一杯の牛乳を100%受け取ったから』だ!
このことは重要なことを教えてくれる。
それはたとえ一杯の牛乳であっても、これだけ真摯に向き合うことで、そこには計り知れない満足がある、ということだ。
そしてそれこそが、本当の満足というものなのかもしれない……。
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