平安のバチェラー・ハイスペイケメン&クズ男物語「源氏物語」
私は源氏物語にハマってる。
と言えば、まあ大人の趣味として品があるように思われるかもしれない。
知的に映るかもしれない。
知的映えな趣味。
だがしかし、源氏物語はまあまあゲスい。
コンビニで芸能人の熱愛話をニヤニヤしながら立ち読みしてるのとそんなに変わらない。
芸能人の熱愛の方が数倍綺麗だ。
だって源氏物語はゲスいのだから。
アマゾンプライムビデオでバチェラー観てる方が品がいいかもしれない。
そのくらいゲスい。
光る君、光源氏が若くてエリートで知的で踊っても歌っても喪に服しても服が乱れても泣いても、とにかく美しい人間でなかったら、世にも恐ろしいほどのゲス男だ。
不倫も不倫、いろんな女と恋に落ちるからゲス、というよりも、女に対する態度が露骨過ぎてゲスなのだ。
ゲスの極み。
コンプライアンス度外視。
というか、ハイスペックなだけで性格はまーー普通過ぎる男の子のまま遊んでる感じ。
遊びたい!女と寝たい!美人な彼女欲しい!
そういったシンプルな欲に従順に動くだけの男。
例えば50代後半の典侍(ないしのすけ)に対する感情。
若作りしてるおばさんにノリで話しかけてみたら本気で受け止めてきた。
めちゃくちゃしつこい。
二人でいるところを誰かに見られたくないんだけど、どうしよう。
という。
好きな人には「大好きーーー!!好きーーー!!」と超肉食・光る君だが、好きでもない女相手には「歌を送るの面倒くさ」とかなり素っ気ない。
数々の女を泣かしてるのも事実。
一方で、別れに弱いという一面も持つ。
別れの場面でおいおい泣く。
「来世では一緒になろうね」くらいの歌を詠んで泣く。
「え、あなたそこまでこの女のこと好きじゃなかったでしょ!?」となるんだけど、別れに弱いのか、失う直前となって光る君は「この女、いい女だったかもしれない」と毎度毎度後悔に近い念を抱いてしまうところがある。
おせえよ。
近くで見ていたであろう頭中将ですら「え、葵の上(頭中将の妹)のこと、そんなに好きだった?政略結婚だから渋々一緒にいただけだと思ってた」となるくらいだから、私が鈍いだけじゃないと思う。
六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)に対しても、いやいやいや、あんたそこまで好きじゃなかったがな、と私は思う。
ろくに通うこともせず!!!
でも別れの場面は本当に丁寧に描かれてて、何故かめちゃくちゃ切なくなる。
三宅香帆さんが言う通りすーーーごい綺麗な風景の一幕なのだ。
そこで、光る君がクズ男じゃなかったら、と考えるとどうだろう。
まあ、源氏物語は簡単に終わってしまっていただろう。
ハッピーエンド、めでたしめでたし!
宮内で話題にもならないし、藤原道長の目にも留まらなかったのでは。
1,000年も残るのは光る君が徹底したクズ男だったから。
そして「いやいやいや、この男ないわ」「この女になんでそこまで惚れるの」とみんなであーだこーだ言い合って盛り上がれるから。
だから残ったのだと思う。
紫式部も、光源氏を外側(スペック)と内側(人間性)を書き分けてるように感じる。
スペックに人間性が追いついてないからこそドラマが生まれてしまう。
情けない、頼りない。
そんなクズ男にも振り回されてしまうダメ・ウーマン達。
この時代は辛抱強く男に従うしかなかったのかなあ。
ちょっとクズ男に裾を引っ張られたくらいで振り向いてしまうなど。
ねえねえねえねえ、ないわ、光源氏、ないわーーーー
みたいなことを友達と話したら楽しいんだろうなあ。
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