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あの日と生きる

性暴力を受けた、その日が私にはたくさんある。

”あの日”と私が区別しているのは、2018年に出版した本に書いた15歳の時に起きた性被害。
あの日から、私自身も私の人生も大きく変わってしまいました。だから、あの日と私が区別して指すのは当然で、性犯罪被害者になった日もあの日なのだと認識していました。けれど、私は小学生の頃に性暴力を受けています。その時は生命の危険を感じる被害内容では無かったからか、PTSDなどの症状は起きませんでした。幼すぎたのかもしれないし、理由はよく分かりません。ただ、現在はそのことについてもフラッシュバックを起こします。大人になり、あれも私の身に起きた性犯罪だということを理解したからかもしれません。

そのことはショックでした。15歳の時の被害も、そんな年齢から自分自身を奪われているという事実を大人になり症状が落ち着いてきてから再認識し、私は人生を奪われたんだと改めて理解したし、怒りとその事実への恐ろしさとで心がえぐられる思いでした。本を書くことになり、小学生の頃の被害についても考え、この心の痛みの始まりは15歳のあの日からではないと気が付きました。幼いあの日から私の心には歪みが生じています。子供だったから、理解できていなかったからといって傷付いていないわけではない。心への影響は大きく、一度歪んだものはもう取り返せません。

小学生のあの日も、中学生のあの日も、15歳のあの日も、17歳のあの日も、大人になってからの数々のあの日も、どれも私がフラッシュバックを起こす”あの日”です。被害内容・事件の大小がフラッシュバックを起こす理由ではなく、現在は厄介なことに全てのあの日が連なり終わりのない記憶となって、私を苦しめています。些細なことでフラッシュバックを起こせば、その連なった長い記憶が再生される。性犯罪や女性への暴力事件のニュースを見聞きすれば、全てのあの日の記憶の再生が止まらなくなる。その再生された時間が自分の人生であることに毅然とする。この人生を生きている事実への現実感はあまりなく、しかし自分自身の苦しみであるという現実感はある。この感覚は、私自身とは物であると感じる感覚と、私自身は権利のある人間であると感じる感覚が同時に現れることと似ていると思う。

本を出版してから性犯罪被害のことについてメディアからコメントを求められることもあったけれど、その要望に応えるのはやはりしんどくて、こうやって自分の意思で自分のタイミングで話すことは心の状態をはかってでのことだから問題はないのですが、そのモードでない時には話せることではありません。誰かの役に立ちたいけれど簡単に色んなことに挑戦は出来ませんでした。

毎日のように性犯罪のニュースが流れてきます。その一つ一つに心が反応し毎回全てのあの日の記憶に沈む。私があまりテレビのニュースをつけたくないのは、そういう理由からです。同じような方は多いのではないかと思います。

以前、テレビから性犯罪についての特集が流れてきた時は数日間何もできなくなりました。正常で過ごしている時に過去を投げつけられたくはないですし、認識の甘さからか誤解を広める内容であったことに強い怒りとショックもあり、心を日常を強く乱されました。
そういった報道や被害者の症状の説明が記載されているサイト等には必ずと言っていいほど[性暴力被害者は異性を怖がり性行為を避ける]という内容が書かれています。そういう方向の人もいるし、なんでもないことだったと認識しようとそれまで以上に性行為をするもいる。自殺する人もいれば、被害者から加害者になる人もいる。人間の性格はそれぞれなのだから何万通りの症状があり、被害者のその後の人生もそれぞれに存在する。症状から起きる行動は本人の明確な意思ではありません。記憶がなくなる人もいますが、本人の意思で記憶がなくなったわけではないのと同じです。心が、脳が、どういう行動を起こすのかは人それぞれで、安易に症状を紹介するのは勝手なイメージを植え付け、セカンドレイプを生む原因となってしまうと感じています。ドラマ、映画、小説等の被害者像は、自殺、男性不信、性行為の拒絶、引きこもりが多いです。一見そのイメージに当てはまらない行動をとる私は「お前が男好きだから寄ってきたんじゃないか?」なんて、よく言われました。もの凄い認知の歪みから生まれる台詞だけれど、こんな認知の歪みを生んだのはいったい誰なんでしょう。私はこれを個人の問題ではないと思っています。

私は今でも、あの日と生きています。
どれだけ優しい日常でも、その下にはあの日が埋まっています。どれだけ楽しい時間でも、あの日に奪われるかもしれないと落ち着きません。
絵を描いていても、写真を撮っていても、常に私の人生はあの日に支配され、常に過去がまとわりついています。それが私の日常生活です。

PTSDが治るとか治らないとか、私にはよく分かりません。一生治らないのかと前は苦しんだけれど、記憶が完全に消えることはありませんから、思い出さないでいられる時間が増えていくことが回復なのだと受け止めています。


こんな風に少しずつ、自分自身に起きたことや起きていること、考え方や回復のことを書いていけたらと思っています。同じ思いをしている方や、その家族や周囲の方の役に立てたら嬉しいし、こんな人がいるというだけでも楽になることもあると思うから、書ける時に書いていきます。実際、私みたいなタイプの例は少なくて、自分は異常なのか?と悩んだことがあります。異常なのは偏った被害者像ばかりの世の中だと思うんですが、女性への偏見が強い社会だしセカンドレイプに繋がるから発言者も少ないのかもしれません。私は自分と同じようなタイプはいないのかと、不安で仲間が欲しくて安心したくてたまらなかった。だから、私が書くことが誰かの安心になればと願っています。

私は1つの例です。

ゆっくり更新します。

誰かの心と繋がれますように。














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