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さぶすクラシック日誌。2022年版...

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毎日、1タイトル、スポティファイでクラシックの新譜を聴いてみた。
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#19世紀

12月9日、ドヴォルザーク、マルタン、マンスリアン、民謡がもたらすケミストリー!

オランダの気鋭のアンサンブル、デルタ・ピアノ・トリオの演奏で、ドヴォルザークの4番のピアノ三重奏曲、「ドゥムキー」など、民謡を素材とした3作品... "Origin"。 CHALLENGE CLASSICS/CC72901 スイス(フランス語圏... )の作曲家、マルタン(1890-1974)が、アメリカのアイルランド系の支援者から委嘱された、アイルランド民謡による三重奏曲(1925)に、現代、アルメニアを代表する作曲家、マンスリアン(b.1939)の5つのバガテル(198

12月8日、ピリオド・オーケストラによる『我が祖国』が描き出す、チェコの情景の驚くべき瑞々しさ!

毎年恒例、プラハの春音楽祭の開幕を告げる、スメタナの『我が祖国』によるオープニング・コンサート。昨年、2021年の開幕を飾ったのは、ヴァーツラフ・ルクス率いる、チェコのピリオド・オーケストラ、コレギウム1704!そのライヴ録音... ACCENT/ACC24378 チェコを代表する作曲家、スメタナ(1824-84)。その代表作にして、国民楽派の記念碑的作品、連作交響詩『我が祖国』(1874-79)。"モルダウ"でお馴染みの第2曲「ヴルタヴァ」を含めた6つの交響詩で織り成す、

12月7日、弦楽四重奏というストイックな編成から、改めて見つめる、早熟の天才、メンデルスゾーンの凄さ...

フランスで結成された気鋭の弦楽四重奏団、ヴァン・カイック四重奏団が、新たにスタートさせるメンデルスゾーンの弦楽四重奏のための作品全集、その第1弾、1番から3番まで... Alpha/ALPHA873 番号が付された弦楽四重奏曲、1番から6番までの、最も早く18歳で書かれた2番(1827)から始まり、20歳の時の1番(1829)、そこから10年ほど開いての29歳で書かれた3番(1838)という、作曲年代順による演奏... とはいえ、2番の冒頭から、もう、その音楽、すでに完成さ

12月6日、"Signor Gaetano"、ドニゼッティとはどんな作曲家だったのか?改めて見つめ直すアリア集の興味深さ...

メキシコからやって来た、新たな逸材、テノール、ハヴィエル・カマレナが、リッカルド・フリッツァの指揮、ピリオド・オーケストラ、リ・オリジナリの演奏で、ドニゼッティのアリアを歌う"Signor Gaetano"。 PENTATONE/PTC5186886 ドニゼッティでテノールのアリアと言えば「人知れぬ涙」!は、もちろん歌われるのですが、必ずしも「名アリア集」という雰囲気ではない、"Signor Gaetano"。1幕モノのブッファ、『ベトリー、またはスイスの山小屋』のアリアに

12月5日、ナポリ楽派とロッシーニの間を埋めるマイールの、けして侮れない、充実の『アルフレード大王』!

フランツ・ハウク率いるコンチェルト・デ・バッススの演奏、マリー・ルイーズ・ドレッセン(メッゾ・ソプラノ)のタイトルロールで、マイールのオペラ『アルフレード大王』。 NAXOS/8.660483 ジモン・マイール(1763-1845)。 ドイツ、バイエルンの小さな町、メンドルフに生れ、オルガニストだった父から音楽を学び始めるマイール。その後、最寄りの大きな街、インゴルシュタットに出て、1774年、イエズス会の学校へ入り、1781年には、インゴルシュタット大学に進み、神学、法学

12月4日、正攻法のロマン主義の輝き!もはや、正義!魅了されます、歌のレーヴェの交響曲!

ジモン・ガウデンツ率いる、ドイツ、イェナ・フィルの演奏で、シューベルトのひとつ年上、もうひとりの歌曲王とも言える、ドイツ・ロマン主義、前半を生きた作曲家、レーヴェの、歌曲でなく交響曲。 カール・レーヴェ(1796-1869)。 ドイツ中部の小さな町、レーベユーンで生れたレーヴェ... 町のカントルだった父の下、音楽を学び始め、1807年、ケーテンの聖歌隊に加わると、その美声は評判を呼び、やがて、ヴェストファーレン王(ナポレオンの弟... )の耳にも届くと、王国の奨学金を得て

12月3日、シューベルトのソナタを、シューベルトが所有していたピアノで弾いて生まれる魔法!

スイスを拠点にするピアニスト、矢野泰世による、ピリオドのピアノで弾くシューベルトのソナタのシリーズ、第2弾、19番と7番... シューベルトが所有していたコンラート・グラーフ(レプリカ)で... Ibs CLASSICAL/IBS42022 18番と16番のソナタが取り上げられた第1弾に続いての第2弾は、シューベルト、最期の年、1828年に作曲された最後の3つのソナタのひとつ目、19番と、シューベルトがそろそろ学生時代を終え、作曲家として歩み出そうという頃、1817年に作曲

12月2日、グランド・オペラを予感せさせる、魅力、盛りだくさん!ケルビーニの『レザバンセラージュ』。

ハンガリーが誇るピリオド集団、ジェルジュ・ヴァシェジ率いるオルフェオ管の演奏、フランスの新世代、アナイ・コンスタンス(ソプラノ)、パーセル合唱団らの歌で、ケルビーニのオペラ『レザバンセラージュ』。 Bru Zane/BZ1050 フランス革命の前年、1788年、音楽の都、パリへと乗り込んで来たイタリア人、ケルビーニ(1760-1842)。革命の混乱で、巨匠たちがパリから離れると、その穴を埋めるように頭角を現し、時代の気分を汲み取った救出オペラ(横暴な国家権力から愛する人を救

12月1日、生誕250年、ヴィルムス、"オランダのベートーヴェン"の、ウィーンに負けない充実の音楽。

ロナルド・ブラウティハムが、マイケル・アレクサンダー・ウィレンス率いるケルン・アカデミーとともに、"オランダのベートーヴェン"こと、ヴィルムスのピアノ協奏曲を取り上げるシリーズ、第2弾。 BIS/BISSA2524 5曲あるヴィルムス(1772-1847)のピアノ協奏曲... ブラウティハムのシリーズ、第1弾では、1799年頃に作曲されたホ長調(Op.3)、1807年に作曲されたハ長調(Op.12)、1810年に作曲されたニ長調(Op.26)と、作曲年代が早い3曲が取り上げ

11月30日、ロマン派オペラ、先取りするドラマティックさ!ベートーヴェン、唯一のオラトリオ、『オリーヴ山上のキリスト』に驚かされた...

フィリップ・ヘレヴェッヘ率いるシャンゼリゼ管の演奏、コレギウム・ヴォカーレ・ゲントの合唱、セバスティアン・コールヘップ(テノール)らの歌で、ベートーヴェンのオラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』。 1803年に作曲された、ベートーヴェン、唯一のオラトリオ、『オリーヴ山上のキリスト』。タイトルの通り、最後の晩餐後、受難を前にオリーヴ山で苦悩し祈るイエスと、山を下り捕えられるまでを描くオラトリオ(台本は、フーバーとベートーヴェンによる共同執筆... )。受難のオラトリオにしては、

10月24日、フランス革命をサヴァイヴした侯爵夫人、ピアニスト、モンジュルー... その数奇な運命が紡ぎ出す音楽の力強さ、深み...

イギリスのピアニスト、いつもおもしろいレパートリーを掘り起こしてくれるクレア・ハモンドの演奏で、モンジュルーの練習曲集『ピアノ教育のための完全教程』から、29曲... エレーヌ・ド・モンジュルー(1764-1836)。 リヨンの法服貴族の家に生まれたエレーヌ... 一家は間もなくパリへと移り、エレーヌはピアノを習い始める。が、その才能は手習いのレベルを越え、デュセック、クレメンティら、革命前のパリを彩ったヴィルトゥオーゾに師事するまでに... 一方で、1784年、モンジュル

8月29日、ショパン、ドビュッシー、ハンガリーの現代音楽、19世紀のピアノが織り成す、ケミストリーに幻惑...

ベルギーのピアニスト、ヤン・ミヒールスが、19世紀のアンティークのピアノを弾き、ドビュッシー、ショパンの前奏曲、リゲティの練習曲、クルターグの"遊び"で織り成す、不思議な2枚組、"PRÉLUDES INTERLUDES POSTLUDES"。 1894年製、エラールのピアノで、ショパンの前奏曲集(1839)、ドビュッシーの前奏曲集、第1巻(1910)、第2巻(1913)を、1876年製、スタインウェイのピアノで、リゲティの練習曲集、第1巻(1985)から2曲、第2巻(198

8月24日、シューマン×ヴィトマン、危うい魅力を放つ燃ゆる心...

ドイツのバス・バリトン、クリスティアン・イムラーが、アンドレアス・フレーゼのピアノで、シューマンの『ヴィルヘルム・マイスター』による歌曲集から4曲、レーナウの6つの詩とレクイエムと、ドイツの現代の作曲家、イェルク・ヴィトマンの歌曲集『燃ゆる心』を歌う、大胆な一枚、"DAS HEISSE HERZ"。 シューマンのリートとしては、ちょい変化球?ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』による歌曲集(1849)から4曲、レーナウの6つの詩とレクイエム(1850)。そして、クラブント、

8月23日、シューベルトの最期の年とシューマンの結婚の年を見つめる。

リートの大家(だけじゃないけど... )、クリストフ・プレガルディエン(テノール)が、ジュリアス・ドレイクのピアノで歌う、シューベルトの『白鳥の歌』とシューマンのリーダークライス(Op.39)。 シューベルト(1797-1828)、最期の年、1828年に作曲された歌曲、14曲をまとめた、文字通りな歌曲集『白鳥の歌』を、7曲ずつ前後半に分け、シューマンがクララと結婚する年、突如、歌曲を量産し始めた"歌の年"、1840年に作曲された2つのリーダークライス、アイヒェンドルフの詩に