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さぶすクラシック日誌。2022年版...

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毎日、1タイトル、スポティファイでクラシックの新譜を聴いてみた。
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#20世紀

12月17日、脱西洋の魔法使い、パーチの日本とアフリカ... 『怒りの妄想―夢と妄想の祭典』。

ドイツ、気鋭の現代音楽アンサンブル、ムジークファブリークの演奏と歌で、アメリカ、実験音楽の旗手、ハリー・パーチのシアター・ピース『怒りの妄想―夢と妄想の祭典』。 WERGO/WER6871 1966年に完成された、ハリー・パーチ(1901-74)のシアター・ピース『怒りの妄想―夢と妄想の祭典』(初演は1969年、ロサンゼルス、UCLAプレイハウスにて... )。序と2幕からなり、1幕は、能、『敦盛』をベースに、2幕は、エチオピアの民話『正義』をベースとする奇作。奇作だけれど

12月12日、西洋と東洋が嫌味なく調和するマジック... イサン・ユン、晩年の境地の魅力!

オスモ・ヴァンスカ率いるソウル・フィルの演奏で、韓国出身、ドイツで活動した20世紀の作曲家、イサン・ユンのオーケストラ作品、「新羅」、3番のヴァイオリン協奏曲、1番の室内交響曲... BIS/BISSA2642 韓国出身で、コミュニストで、軍事政権により国外追放となり、ドイツを拠点に活動したイサン・ユン(1917-95)。その、1992年の作品、管弦楽のための伝説「新羅」と、3番のヴァイオリン協奏曲、1987年の作品、1番の室内交響曲という、作曲家、晩年の3作品... かつ

12月11日、ヴァインベルク、厳しい時代を生き抜いて磨かれる洗練...

リトアニアから新たな逸材、ミルガ・グラジニーテ・ティーラの指揮、ドイツ・カンマーフィル、バーミンガム市響の演奏で、ヴァインベルクの7番と3番の交響曲、そして、1番のフルート協奏曲。 Deutsche Grammophon/4862402 第二次大戦(1939-45)、ソヴィエトへと亡命(1939)したユダヤ系ポーランド人、ヴァインベルク(1919-96)。ナチスのポーランド侵攻から逃れるための亡命だったが、その先にもまた困難が待ち構えていた... というソヴィエトの抑圧下、

12月10日、転換点、1948年、東側の音楽のパノラマの興味深さ...

ツォルト・セフツィク(ヴァイオリン)が率いる、ハンガリーの室内管弦楽団、エルデーディ室内管の演奏で、ヴァインベルクにバツェヴィチ... 東欧の作曲家の1948年を切り取る、"1948"。 DUX/DUX1802 近頃、よく目にする2人... ポーランド出身、ソヴィエトを生きたモイセイ・ヴァインベルク(1919-96)に、ポーランドの女性作曲家、グラジナ・バツェヴィチ(1909-69)。そして、このアルバムで初めて知った存在、20世紀、ハンガリーの作曲家、セルヴァーンスキ・エ

12月9日、ドヴォルザーク、マルタン、マンスリアン、民謡がもたらすケミストリー!

オランダの気鋭のアンサンブル、デルタ・ピアノ・トリオの演奏で、ドヴォルザークの4番のピアノ三重奏曲、「ドゥムキー」など、民謡を素材とした3作品... "Origin"。 CHALLENGE CLASSICS/CC72901 スイス(フランス語圏... )の作曲家、マルタン(1890-1974)が、アメリカのアイルランド系の支援者から委嘱された、アイルランド民謡による三重奏曲(1925)に、現代、アルメニアを代表する作曲家、マンスリアン(b.1939)の5つのバガテル(198

11月13日、マエストロ、ルイジの、ただならないアプローチが導く、息衝くニールセンに圧倒された!凄い...

ファビオ・ルイジ率いるDR交響楽団(デンマーク国立交響楽団)が、デンマークを代表する作曲家、ニールセンの交響曲のシリーズをスタート!その第一弾、4番、「不滅」と、5番。 Deutsche Grammophon/4863475 第一次大戦(1914-18)、デンマークは中立を宣言しながらも、大国、ドイツの圧力を受け、バルト海の封鎖に協力、結果、物流が寸断、厳しい状況に陥り... という最中、作曲された、ニールセンの4番の交響曲(1914-16)。国家存亡の危機を前に、滅ぼし得

11月12日、シベリウスの豊かなサウンドが洪水のように押し寄せてくる!ロウヴァリによる3番と5番、楽しんだ!

注目のフィンランドの次世代マエストロ、サントゥ・マティアス・ロウヴァリ率いる、イェーテボリ響による、シベリウスの交響曲のシリーズ、第3弾、3番と5番の交響曲。 ロウヴァリ+イェーテボリ響のシベリウスの交響曲のシリーズ、最新盤、待ってました!という第三弾は、第一弾(1番)の衝撃を再び味わうようなフレッシュさを放ち... 第二弾(2番)から1年の間(嗚呼、コロナ禍... )を置き、改めてシベリウスを、いや、音楽そのものを見つめ直すのか、ロウヴァリ+イェーテボリ響... ただシベ

11月11日、ラトヴィア、新旧世代による、シンプルさ、瑞々しい響き、惹き込まれます。

ギドン・クレーメル率いるクレメラータ・バルティカ、創立25周年記念盤、プラキディス、ペレーツィス、ペーテルソンズ、新旧ラトヴィアの作曲家、3人の"p"の作品を集めた、"ppp"。 ペトリス・プラキディス(1947-2017)の、2つのヴァイオリンのための小協奏曲、ゲオルクス・ペレーツィス(b.1947)の、フィオーリ・ムジカーリ、ソヴィエト時代に学んだ、ラトヴィアの巨匠の作品に、ラトヴィアの次世代、クリスタプス・ペーテルソンズ(b.1982)の、グラウンドに、"π=3.14

11月8日、ビザンツ聖歌とラフマニノフの『晩祷』... 東方教会における教会音楽の大きな流れを捉え、深い音楽世界、響かせる!

シモン・ピエール・ベスティオン率いる、フランスの声楽アンサンブル、ラ・タンペートが、ビザンツ聖歌を織り交ぜながらラフマニノフの『晩祷』を歌う大胆なアルバム、"NOCTURNE"。 第一次大戦(1914-18)が勃発した翌年、1915年に作曲されたラフマニノフ(1873-1943)の『晩祷』。それは、ロシア革命の2年前の作品で... ソヴィエトの成立により宗教が全否定されたことを考えれば、連綿と紡がれてきた東方教会における教会音楽の最後の作品、なのかも… というラフマニノフの

11月7日、それは、ナニモノでもないラフマニノフ... ウィルソン+シンフォニア・オブ・ロンドンの密度とライトさが生むニュートラル、最高!

今、一番、気になるチームかも... ジョン・ウィルソン率いる、シンフォニア・オブ・ロンドンの演奏で、ラフマニノフの「死の島」、ヴォカリーズ、3番の交響曲。 象徴主義の画家、ベックリン(1827-1901)の『死の島』にインスパイアされ作曲された、交響詩「死の島」(1909)で始まり、お馴染み、ヴォカリーズ(1915)の、作曲家自身のアレンジによる声無しオーケストラ版(1919)、そして、3番の交響曲(1935)、という3作品... 作曲家、ラフマニノフの、骨太な面をしっかり

11月6日、2つの交響曲にピアノ・ソナタ... 異色の組み合わせだけど、スクリャービンをよりワイドに楽しめる!

ラン・シュイが率いたシンガポール響の演奏で、スクリャービンの4番の交響曲、「法悦の詩」、エフゲニー・スドビンのピアノで、5番のソナタ、そして、5番の交響曲、「プロメテウス」。 BIS/BISSA2362 スクリャービンの代表作、4番の交響曲、「法悦の詩」(1908)と、ピアノ・ソロに合唱、オルガン、さらには色光ピアノ(光を放つ楽器というか装置... )までを用いた大作にして奇作、5番の交響曲、「プロメテウス」(1910)。まさにスクリャービン!という2作品の間に、スクリャー

11月5日、ソヴィエト、1930年代、スターリンの恐怖政治が過酷になる中、書かれた、美しきハープ協奏曲...

ウィーン・フィルの首席ハープ奏者を務めたグザヴィエ・ドゥ・メストレが、ナタリー・シュトゥッツマンの指揮、WDR響の伴奏で、グリエール、モソロフのハープ協奏曲を弾く... ソビエト連邦作曲家同盟の議長を務めた、社会主義リアリズムの模範的作曲家、グリエール(1875-1956)のハープ協奏曲(1938)に、そのグリエールの教え子で、ロシア・アヴァンギャルドの旗手として世界的な注目を集めるも、前衛=反ソヴィエトとして逮捕され、強制労働へと送られたモソロフ(1900-73)の、釈放

11月4日、ヴァイルとショスタコーヴィチの1930年代、不穏な時代... 困難な状況を跳ね返し書かれた交響曲。

イスラエルの新鋭、ラハフ・シャニ率いるロッテルダム・フィルの演奏で、ヴァイルの2番に、ショスタコーヴィチの5番... 1930年代の交響曲、2曲。 1920年代、旧時代から解放されての束の間の自由を謳歌したヴァイマル共和国時代(1918-33)を象徴する『三文オペラ』。1928年、ベルリンで初演され、大成功!作曲家、ヴァイル(1900-50)は、一躍、時代の寵児となるものの、ユダヤ系だったために、1933年、ナチスが政権を掌握すると活躍の場を奪われ、パリへと移り、さらに2年

11月3日、いや、ジャケが気になってしまって、聴いてみたら、おもしろかった!ユダヤ風味の擬古典主義、ベン・ハイムの洗練。

ガブリエル・アドリアーンの指揮、バイエルン・カンマーフィルの演奏で、ドイツ出身、イスラエルの作曲家、ベン・ハイムの弦楽のための作品集。 パウル・ベン・ハイム(1897-1984)。 ミュンヒェンにて、弁護士をしていた父の下、ユダヤ系の家庭に生まれた、パウル(当時の苗字はフランケンブルガー... )。ミュンヒェン音楽アカデミーで学び(1915-20)、ワルター、クナッパーツブッシュのアシスタントを経て、アウグスブルクの指揮者(1924-31)を務める。その後、ミュンヒェンに戻