就活を立ち止まり、離島に飛び込んで見つけた私だけのキャリア
今回お話を伺ったのは、
2022年4月から12月まで(一社)隠岐ジオパーク推進機構(以下ジオパーク)で勤務していた竿尾さん。
「島での経験は、この先の自分のキャリアにおいてずっと続いていくものだと思うし、自分の人生にフィットした気がする。」
そう話す竿尾さんに、これまでの9カ月間を振り返っていただきました。
一度立ち止まって
隠岐島前に来る前は、就活をしていたという竿尾さん。
大学3年の夏に参加した気仙沼でのインターンで広報関連の業務に関わったことがきっかけで、広告系やメディア系での就職を当時は考えていたと言います。
「ただ、就活を進める中で”自分の本当にやりたいことを話せているのか”がだんだんわからなくなったんです。嘘をついているような気持になったというか…。それで一度立ち止まってみようと思い、島へ来てみることにしました。」
「祖父母が瀬戸内海の隠岐より小さな離島で暮らしていたので、小さい頃はそこに何度も帰省していました。なので、島への不安感や抵抗感みたいなものはなかったですね。むしろ「自分が知っている島よりも、色々あって都会だ!!」って思いました笑
右も左もわからないけど、取り敢えずやってみる
実は、ジオパークでの勤務は当初全く考えていなかったという竿尾さん。 観光系の事業所で広報や企画といった業務ができる場所を探していた時、ジオパークを紹介してもらったそうです。
「観光周りの事業所ということでEntôの人事の方とお話をしたんです。その時に「自然は好きか」と尋ねられて。「ジオパークの事務所で働いてみるのはどう?きっと面白いと思うよ。」と紹介していただいて。「⁇…はい!」と正直あまりよく分かっていないまま、Entôジオ事務所に配属が決まりました。今振り返れば、勢いと直感でジオパーク飛び込みましたね。」
竿尾さんのジオパークでの主なお仕事は大きく分けて3つ。
1つはジオラウンジやEntô Walkでの解説業務。島に滞在してる方や視察できた方へ”隠岐がどういう場所なのか”をジオの目線で解説する業務。
2つ目は、イベントの開催。ジオパークに入った大人の島留学生・島体験生は必ず1つ、イベントを企画することになっているそう。企画を起案するところから集客、スケジュール設定、場所取りやアポ取り、当日の運営まで全て1人で進めることも多いと言います。
「自分が企画したのは「国際博物館の日」にあわせた”ジオパークでヨガとアート。”というイベントで、芸術に触れながらジオパークを身近に感じてもらうきっかけ作りが目的でした。まだまだ島民に"ジオパーク"って浸透していないなっていうのは肌感で感じていたので、気軽に来てもらいやすいようにヨガのプログラムも。来島して1カ月半くらい経った頃に開催したので、右も左もわからないけど、取り敢えずやるという感じでしたね。」
一番、苦労したのは集客だったそう。
島ならではなのかもしれませんが、島のイベントは「○○さんがやっているから顔出してみよう」「知り合いが行くから自分も行ってみようかな」といった人脈で集客されることが多いと言います。
「けど、島に来たばかりの自分にそんな人脈は当時なくて。自分がターゲットとしたい層にばっちりとはまるかも分からないし、不安もありました。」
主な業務の3つ目は、広報・企画。
これは、竿尾さん自ら希望して携わっていた業務だったといいます。常に軸にしていたのは「島民とジオパーク活動を繋げること」。普段何気なくみている風景や学んでいる歴史文化そしてこの土地で営んでいる産業から暮らしまで、実は"ジオパーク"に繋がっている。それを知ったらきっとまた違う見方でこの土地を見れるのではないか、と考えて、その橋渡しになればとガイドイベントや写真展の企画から開催まで、そしてジオパーク推進機構のnote立ち上げなどを行ったそうです。
「上司の方から「海士町に住んでるから海士町のことを考える。それだけではなく、ジオパークで働くなら隠岐島前の枠組みで何でも物事を考えないといけないんだよ」と教わっていて。滞在期間中最後の企画も「隠岐島前3島の枠組み」で考えて。”島前まるっと博物館ミニ写真展”を3島同時開催しました。」
「西ノ島や知夫の活動では取材のお仕事が多く、忙しい日は島前3島全部行く時もありました。内航船が出ない、とか島が離れていることで起こるハプニングや不便さも十分に体感しましたが、その多様性が楽しいという思いの方が大きかったです。その土地ごとに見せてもらった景色や聞かせていただいたお話はずっと忘れないと思います。」
「基本的に自分が主体で進める仕事が多くて。仕事の中で行き詰って相談することはあるけど、事務所の他の方と1から一緒に企画して進めていくことは普段あまりないです。ただ、自分が本気で「助けて!!」を言ったら、助けてくれるっていう安心感はあって。そういう環境だからこそ、自分一人でもトコトコ色んな企画に進んでいけるんだと思います。」
「事務所では上司から渡される仕事が4割、自分でやりたいといって始める仕事6割という感じでした。仕事の中で”離島”っていうことを意識する機会は全くなくて、毎日慌ただしいし、打合せでは英語が飛び交うような場面もあるくらいです。だから、自分がしんどくなってもうやだっ!!って思うならいくらでもそう思えちゃう場所。」
「だけど、それは自分の捉え方次第だと思っていて。色んなことを自由にやらせてもらえるし、いいものをつくったらその分評価してもらえるから「もう少し踏ん張ろう」って思えます。」
島の人の暮らしがあってこそ
企画や広報という入り口からジオパークの世界に入った竿尾さん。ジオパークを勉強していると”すっと知識が入ってきて、「必ずしも理系的なことやジオパークに興味があるわけではなくても、意外に面白いです」と話してくれました。
また、ジオパークは隠岐や日本だけではなく世界各地に認定された地域があります。世界のネットワークで協力しながら繋がろうという動きに触れる機会も多く、長く触れる内に時間軸や規模感、すべてのスケールの大きさに面白さを感じるようになったといいます。
「自分たちはまだ20年くらいしか生きていないけれど、ジオパークって時間軸をもっと戻して考えるんです。日常生活でそこまで時間を遡って考えることってないから面白いですね。」
「外側からはこれだけ広い見方をするけれど、内では島の人が暮らしていてこそというか。雄大な大地のもとに生物やその生物が暮らす環境までが元気に機能してこそのジオパーク。そういう大きいところも小さいところも捉える点で、私自身の視野も広くなったかもしれません。」
素敵だ、好きだと感じたものを伝えたい
来島当初は、「就活で活かせる経験になればいいかな」くらいに考えていたという竿尾さんですが、島での暮らしと仕事を経てこれからの選択を考えるきっかけになったと言います。
「ジオパークの企画の中で島の一次産業に携わる機会があって。その時に感じた一次産業のかっこよさにすごく惹かれたんです。生き物を産業として、思い通りいかない厳しさを抱えながらも自分が食べていくための職業としている姿であったり、牛飼さんなら牛との関係性を大切にしながら接している姿とか。実際に見て”素敵だな”って自分が感じたものを伝えていきたいって思うようになりました。」
「ここでの経験から、自分がいいなって思ったものを誰かに伝えたいって言うのが明確になった。もう前みたいに嘘をつかずに堂々と自分の志望動機として、ここでの経験を話せるような気がします。」
島に来た頃は、発信したいものが漠然としていたけれど、
今は、誰かの想いがそこにあるものや自分自身が素敵だと感じたものを伝えたい!と伝えたいものが見えてきたといいます。
▼竿尾さんの記事
これからは、自分が暮らしたいと感じた場所でご飯が食べていけるよう経験とスキルと行動力を身に着けていきたいと話す竿尾さん。
最後に言い残したことはありませんかと尋ねてみたところ、
「一度立ち止まるという選択肢を受け入れて応援してくれた家族。ずっと私の憧れでかっこいい姐さんである職場の石原さんとヤゴタさん。そしてシェアハウスで共に暮らしてくれたシェアメイト。いい人達に恵まれて本当に楽しく過ごせました。ここで出会った全ての方に感謝しています!」
と締めくくってくれました。
あとがき
入り口がどこでも、その先で得た新しい知識や経験や出会いが必ずあって。
そこで見えてくる自分の感覚と自分の姿。
自分が大切にしたいと感じたものをもって、次の場所へ行く。
自分で選ぶ、選べる、そんな余白とその選択を応援してくれる人が
島には居るような気がします。
思い切って島へ来てみませんか?
(インタビュー・文/田中)
▼竿尾さんが利用した島体験とは?
▼こんな事業所があります!
最後までお読みいただきありがとうございました!!