とみぃ

フィクションのなかのノンフィクション。 こちらは、わたしの成長記録。 https:/…

とみぃ

フィクションのなかのノンフィクション。 こちらは、わたしの成長記録。 https://youtube.com/channel/UC2w8JSVyPAL94WLRffJ8tBQ

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本。 チョコバナナシェイクを添えて

窓から見える空はすごくきれいなのに、壁一枚挟んだオフィスの中は吐き気がするほど空気が重かった。 天井に押しつぶされそうな空気に、退勤までのあと数時間耐えきれる自信がなかったので、今日は窓の向こう側に行くと決めた。 「体調不良」という便利な言葉を駆使して、まだ空が明るい時間に職場を離れた。サボりの罪悪感がなかったわけではないけど、前に大学の教授に言われた「やばいと思ったら逃げていい」という言葉を、今回自分への全面肯定の手段として使用することにした。 大きく息を吸い込んで、

    • ぜんぶ、大した問題じゃない

      このあいだ、仕事を辞めた。 ハサミでブツリと、何かを断ち切られたかのように仕事を辞めた。 それと同時に会社との縁も連絡も途絶えた。 まるで私という存在が最初からなかったかのようで、 それは暗に「あなたは特別必要じゃなかったんだよ」とでも言われているようで、 最初は言葉に出来ない気持ちを浄化するのに時間がかかった。 人生はフェアじゃないという事実に打ちのめされたり、 「上手いことやる」ことができない、自分の不器用さに落胆したり、 世にあふれている「HSP」とやらの枠に自

      • 他人への絶大なる信頼で成り立っていること。

        ついこの間、運転免許証の更新に行ってきた。 前回の免許更新時は、仕事で日本を離れなければならなかったので、 その関係で本来の期日よりも早めに更新した。 その結果、今回の更新時にはあと数か月足りないという理由でゴールド免許取得には至らなかった。 例によって初回更新者向けの講義を2時間みっちり受け、命の大切さを叩き込まれた後の帰路、きれいな秋晴れの空の下で安全運転を心に誓った。 まだ私が車を運転し始める前のずっと前のこと、 歩行者という立場でしかなかった高校生時代。 横

        • 心のなかだけは邪魔されない

          金木犀のいい匂いで、「秋だ!」と気づいた。 何も言わずとも木や空や虫が、季節を教えてくれて、そして心がふっと軽くなる。 そんな感覚が最近、すごく愛おしくて大事であるような気がするから、 辺り一帯の金木犀の匂いを独り占めするように吸い込んでいく。 まいにち毎日通っている道なのに、こんなにも近くにあるのに、 キンモクセイ君たちからの主張があるまでそんなことには気づかなかったので 彼らに感謝の意をこめて秋が終わってもいい匂いじゃなくなっても、いつもの道にいる彼らのことは覚えて

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        本。 チョコバナナシェイクを添えて

          セミと私と、7月18日

          「生きた心地がしない」なんて言葉があるけど、 わたしは、苦しい時とか悲しい時とか 体調面でも精神面でも万全でないときのほうが、自分は生きているんだ、 と実感させられる気がして そういう意味では、私はいまとても生きた心地がしている。 誰かの死はいつだって衝撃とか悲しみを伴うけど、 この1週間ほどは、会ったこともない人の死がなぜかとても苦しくて、悲しくて、 意識していないとふと涙がでて止まらなくなりそうな時間だった。 しばらくはズンと悲しみに浸っていたい気分なのに、 それで

          セミと私と、7月18日

          夢と現実のあいだ

          「自分からいろんなことに挑戦していかないと、生き抜いていけない時代だよ」 と、私の友達に言われた。夢のなかで。 そもそも、その子とは久しく会っていないし、 世間的にいうとちょっぴりヤンチャで、「ギャル」という括りに入るだろうその子になんでそんなことを言われたのかは分からないけど、 その言葉がやけに心に残ったまま今日の朝、目が覚めた。 でもなんとなくその言葉を覚えていなきゃいけない気がして、 その辺にあった紙にその言葉をメモして、起きて30分で家をでた。 帰ってきたと

          夢と現実のあいだ

          体は疲れても、心は疲れちゃだめだよ。

          何かを見たり感じたりした時に、 その時出てきた自分の気持ちが、他の誰かときっと一緒で、 「あ、以心伝心かも」と勝手に思う時、ないですか? 私にはそんな感覚があって、そしてその感覚はきっと誰もが共通して持っているものだと思っている。(だってそうじゃなければ私の以心伝心は成り立たなくなってしまう。。) 最近満開になった桜をみて思うことは、 こんな状況だけど、この桜で束の間の幸せを感じれていること。 そして、来年はもっとみんなが笑顔で幸せな気持ちで見れたらいいなと思うこと。

          体は疲れても、心は疲れちゃだめだよ。

          その「好き」は、体から?心から?建前から?

          このあいだ、「大切な人」との別れがありました。 括弧つきなのは、世間一般にはそういう類なのだろうけど 私にとって彼をそう呼ぶには歯がゆくて、 一緒にいた2年間は何だったのだろう、と思うくらいの関係性しか築けなかったから。 もちろん私は彼を好きだったし、彼も私のことを好きだったと思う。 でも彼は愛情表現が多いほうではなかったし いままでのタイプとはあまりにも違うものだから、 どこかで私とは全く違う未確認生物を観察しているような感覚にもなった。 2年にも及ぶ未確認生物の観

          その「好き」は、体から?心から?建前から?

          山の中の村での出来事

          去年の夏、ある山奥の村で2か月くらい住み込みで働いた。 前職の船を下船した後は、人との関わりに疲れて、住む家もなく、今後どうするかもわからないまま、 とりあえずお金よりも居場所と自然を求めてたどり着いた。 前職では人間の嫌な部分をたくさん見てしまった気がして、 人とコミュニケーションをとりたくないくらい、人嫌いになっていた。 それでも人と関わらずに生きていくことなんて出来ないので、とりあえず働いた。 畑で野菜を収穫したり、釣った魚を捌いて囲炉裏で焼いたり、今までやった

          山の中の村での出来事

          好きな事と嫌いな事

          好きなこと、興味とか関心。 やってみたいこと、行ってみたい場所。 その時々でコロコロ変わるし、 私の歴代の好きな人だって、小さいときから遡って数えてみると もう、数えきれないほどいる。笑 でも、 周りの環境で好きなことは移り変わったりするけど、 自分が嫌だと思っていることは昔からずっと頑固に変わらなかったりする。 私は、 人混みも、満員電車も、みんなに合わせなきゃいけないんだみたいな同調圧力も、人の大きな声も、すごくすごく嫌だった。 ただ社会人になる前の私はまだそのこと

          好きな事と嫌いな事

          本来の目的地からだいぶ逸れて、、

          昔から引っ越しがとても多かった私にとって、「地元」と呼べる場所がないけれど、 それでも、たまに訪れると当時の思い出と共にすごく懐かしい気持ちになる場所がいくつかあるので 今日はそのときの出来事のうちのひとつを書こうと思う。 その日は9月の半ばのよく晴れた日で、夕方になってもまだまだ暑かった。 本当はその日買い物をするはずだったのだけど、 たまたま昔住んでた場所の近くまで来たので、なんとなくプラプラすることにした。 昔よく行ってた大きな公園も、気の遠くなるような長い坂道も

          本来の目的地からだいぶ逸れて、、