その「好き」は、体から?心から?建前から?
このあいだ、「大切な人」との別れがありました。
括弧つきなのは、世間一般にはそういう類なのだろうけど
私にとって彼をそう呼ぶには歯がゆくて、
一緒にいた2年間は何だったのだろう、と思うくらいの関係性しか築けなかったから。
もちろん私は彼を好きだったし、彼も私のことを好きだったと思う。
でも彼は愛情表現が多いほうではなかったし
いままでのタイプとはあまりにも違うものだから、
どこかで私とは全く違う未確認生物を観察しているような感覚にもなった。
2年にも及ぶ未確認生物の観察は楽しかったし、
一緒にいて色々思うことがあっても、一周まわって帰ってきて、
自分が何にこだわっているのかも分からなくなって
「まあ、いっか」の一言ですべてが片付くような気もした。
それでも結果としてサヨナラをすることに決めた。
幸いにもこれまでの人生で感じてきた胸が張り裂けそうなくらいの悲しみに比べれば、今回はおそらくかすり傷程度だろうと冷静に判断ができるくらいピンシャンしている。
ただタイミングが違っただけのこと。
ただ、それだけのこと。
人の本質的な部分ってそんなに変わらないと思うから
そもそも相手に変わることを求めること自体が不毛だと思うけど、
それでも誰かと一緒にいる中で、相手に期待してしまうときだってある。
この先、どんな経験をして、どんな人と出会って、
転機が訪れて、どのように変化していくかは分からないけど、
少なくとも彼を変える存在が私でなかっただけ。逆もまた然り。
そんなことを考えていたら、昔観た「500 days of Summer」が
今になってしっくりきて、なんとなく意味が分かったような気がした。。たぶんだけど。
生きていく中で、色んな経験をして失敗したり成長したり、
前進しているかと思えば後戻りしちゃっているときもあるけど、
意味付けをしていくのは自分だと思うから、
これからもゆるりと生きていこうと思います。
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