本。 チョコバナナシェイクを添えて
窓から見える空はすごくきれいなのに、壁一枚挟んだオフィスの中は吐き気がするほど空気が重かった。
天井に押しつぶされそうな空気に、退勤までのあと数時間耐えきれる自信がなかったので、今日は窓の向こう側に行くと決めた。
「体調不良」という便利な言葉を駆使して、まだ空が明るい時間に職場を離れた。サボりの罪悪感がなかったわけではないけど、前に大学の教授に言われた「やばいと思ったら逃げていい」という言葉を、今回自分への全面肯定の手段として使用することにした。
大きく息を吸い込んで、自分の中にある邪気を取り払うようにしながら、ゆっくりと呼吸をした。
ある人が言っていた「生きていることに意味なんてない」という言葉の意味をしっかりと噛みしめるようにして、その言葉に触れることはできないけど自分の中へと落とし込んでいった。
生きることに意味があったら、意味に沿った行動をしなければいけなくなる。生きることに意味がないと思うから、だらけたりサボったりできるんだよ。
その言葉に救われた人は私を含め何人いるんだろう、なんて思いながら、まだ明るい空の下を歩いた。
私の「体調不良」の原因となっていた場所を離れても、完全にあの吐き気から解放されたわけではないけど、まだ1日が終わるまでいつもより時間があるので、
本屋で気分に合いそうな本を買ったあと、近所のカフェに入った。
初めて入るアメリカンな雰囲気が漂うそのカフェには、女性2人組がいるだけだった。
ボックス席に通されたあと、最大限自分を甘やかすためにチョコバナナシェイクを注文した。
女性客2人組のぎゃーぎゃーとうるさい声も、感じの悪い店員さんも、注文が入ったときに否が応でも漂うキツイ油の臭いも、普段より気にならなかった。
それらさえも、いまある胸の苦しさを少しでも忘れさせてくれる材料になっていると思うと、正直そんな小さなことはどうでもよく思えた。
先ほど適当に買った本は想像以上に良く、巨大チョコバナナシェイクを読みながら、気が付くと1章は読み終えていた。
お店もなかなか忙しそうで、満席ではないけどテラス席のほうまで席が埋まっていた。
チョコバナナシェイクを半分くらい飲んだところで自分のお腹の異変には気づいていたのだけど、やはり昼間の間に弱った胃に、冷たいシェイクは追い打ちをかけていたらしい。
つらかったけどもったいないので結局全部それを飲み切って、お店を後にした。
将来に対する漠然とした不安とか、理不尽なことに対する鬱憤は、
きっと誰もが持っていて、生きているだけでついて回るものなのだろうと思う。
本の中で、ある登場人物が言っていた言葉がすごくしっくりきた。
「相手にしてもしょうがない。言ったって意味がないから。話が長くなるだけだから」
すべてのことに全力で立ち向かっていくと疲れてしまうから、ある一種の諦めも生きていく中で必要なのかもしれない。
思ったことは相手に伝えるし、変なところで正義感が強い私がそう思えたのは「大人になった」ということなのかはわからない。
けれど、今はそれが自分の中でベストな選択であるような気がした。
家に着くと玄関の前にたくさんの柿が置いてあった。
ご近所さんからのおすそ分けはすごくうれしい反面、ちょうど数日前に頼んでおいた柿が段ボールで2箱、届いたばかりなので、しばらく柿生活になるだろう。
でもそれでもいい。
いまはビタミンをたくさん摂って今後の蓄えにしようと思う。
相変わらずチョコバナナシェイクに追い打ちをかけられた胃は痛む。
言えずに溜め込んだ心の鬱憤は、明日からはシェイクではなく柿にぶつけることにした。
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