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会いたい人に会えない、コロナ禍での想い・・・

新型コロナウイルスの新規感染拡大が止まらない。

愛知県に住んでいる我が家は、増え続ける県内の感染者数に、自分や家族や近所の方がいつかかってもおかしくないな、という思いで日々生活している。

思い起こせば昨年度末、緊急事態宣言が出て、約3ヶ月もの間息子たちの小学校は休校になった。主人の会社もテレワークを推進し、今もなお、職場の皆さんは基本的にテレワーク状態だ。


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「人が動けば感染が広がる」

そう理解した私たち家族は、買い物回数を減らしたり、習い事を休会にしたりズーム学習に切り替えたり。外へ遊びに行くときも、密にならない場所や密にならない時間帯を意識して動いてきた。休校が解除されてからも、家族でのお出かけは県内にとどめ、夏の家族旅行も県内でのキャンプとした。関東に住む親族には未だ会えておらず、この先やってくるお正月も「ズームで繋がろう!」ということで話はまとまっている。


自分たちが感染することが、正直、怖い。未知なるコロナ。かかった時にどれだけ苦しいのか、どれだけ大変な病気なのかが分からない。家族が感染し、例えば入院したとして、その間会えないのも辛すぎるし、私が感染したら家事のできない夫・ウシオと小学生息子2人では、生活が回らないであろう、と思うだけで心底心配だ。


本当は、GO TOなんちゃらを利用して、お安さ重視で遠出したい!そうなのだ、我が家は旅行が大好きなのである。こんなお得な時期、この先やってこないかもしれない!でも、先にも述べたように、感染して日常生活を今までのように送れなくなったらと思うと怖いし、自分たちが保菌者だったら遠くの誰かを感染させてしまうかもしれないというのも辛い。


「人が動かなければ感染はそうは広がらない」

そう思うからこそ、我慢している部分がある。我慢をする人がちょっとでも増えれば、またマスクなしで自由に動き回れる生活が少しでも早くやってくるのではないかと、思うからだ。

経済を回すことはとても大切。だが・・・(言い方が悪くて申し訳ないのだが)自由気ままに旅行を楽しむ方々だけが得をしているように感じてしまう私は、心の狭い人間だろうか・・・我が家のように狭い範囲で行動を制限しながら生きている人たちに、恩恵を受けられる何かがあっても良いのにと、そう思ってしまう私はわがままで欲張りだろうか・・・。


実は、先月からウシオが入院している。


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病を患い、約8時間の手術を受けた。無事に終わったものの、まだ完全に回復できておらず、今もなお退院できずにいる。


このコロナ禍で、私はウシオの妻なのに、手術中近くにいることができなかった。術前の説明は一緒に聞けて、ウシオが手術室の扉の向こうに歩いていく姿を見送るまではできたが、新型コロナ感染拡大防止策ということで、長時間院内に身内の者が留まることはあまり良しとされておらず、一度自宅に帰ることとなった。

終了予定時刻頃再度訪れて、術後に執刀医の話を聞いたり、麻酔から目覚めたウシオと対面したりはできたが、やはり長時間滞在はよろしくなく、後ろ髪引かれる思いで病院を後にした。

術後のウシオにもっと寄り添っていたかった。それすらできないこのコロナ禍を、恨んでも恨み切れない。今日にいたるまで、お見舞いも数回しか行けていないのだ。最低限でと言われており、着替えのやりとりをする程度。患者は病を抱え、不安や心細さを持ちながら、一人、回復に努めている。患者も見舞客も、会いたいのに会えない日々が続いているのである。


ウシオの手術当日の話だが・・・術後1時間半くらい待たされた私は、麻酔から目覚めたウシオとやっと対面し、少し話ができた。

よく見ると、身長の高いウシオの足が狭いベッド内にうまく収まっておらず、見ていて窮屈そうに感じた。様子をちょくちょく診に来てくださっていた看護師さんに「ちょっと辛そうなので、身体をもう少し上の方に移動してあげることはできませんか?」とお願いしてみるも、即座に「あ、今、人手がないから、後でにしてもらえます?」との回答が。間髪入れずのその言い方がとても素っ気なく感じ、ウシオの身を案じている私としてはムカッとする思いがあった。

だが、このコロナ禍。看護師不足が連日ニュースで流れていることを知っている身としては、この程度のことは我慢しなくてはと感じてしまったのだ。

「ええ、勿論です。後ででかまいません。ちょっとこのままではかわいそうと感じてしまったので。お忙しいのにすみません。」そう伝えたが、結局、私が傍についている間に、ウシオの体位を変えてくれることはなかった。

コロナのせいで、人手が足りない。コロナのせいで、こうやって我慢を強いられたり、順番が後回しになる患者や病人がいる。コロナのせいで、会いたいのに自由に会えない人がいる。これが悲しき現実。


今の日本、コロナ禍での行動は、各自の判断に任されていると感じる。まだまだ分からない部分も多い新型コロナウイルス。その対策として個人個人のとる行動が、コロナ観の違いから、トラブルに発展することも少なからずある。

何を基準にどう考え、どう行動するのか、正解はどこにあるのか。とても難しいけれど・・・どのように行動したら悲しむ人が少なくなるのか、一人一人が優しさをもって行動出来たらいいのかな、と私は感じている。


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・・・あくまでも一主婦の個人の想いである・・・

20201212




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