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魔法少女の系譜、その161~『機動戦士ガンダム』を八つの視点で分析~


 今回も、前回に続き、『機動戦士ガンダム』を取り上げます。

 これまで、『魔法少女の系譜』シリーズを読んできて下さった方には、おわかりでしょう。『機動戦士ガンダム』は、複雑に練り込まれた創作物語です。神話や民話といった、伝統的な口承文芸からは、遠く隔たっています。もはや、比較して分析することは、ほとんど意味がありません。よって、口承文芸とは比較しません。

 今回は、八つの視点で、『機動戦士ガンダム』を分析します。

[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?
[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?
[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?
[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?
[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?
[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?
[7]魔法少女の魔法は、秘密にされているか否か? それに伴い、視点が内在的か、外在的か?
[8]魔法少女は、作品中に、何人、登場するか?

の、八つの視点ですね。
 『機動戦士ガンダム』には、複数の魔法少女=ニュータイプの女性が登場します。ここでは、彼女たちのうち、ニュータイプの能力が強くて、比較的、目立っていた二人を取り上げます。ララァ・スンと、ミライ・ヤシマです。


[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?

 ララァもミライも、ニュータイプの能力は、生まれつきですね。

 ララァのほうは、フラナガン機関で訓練されて、能力を増しています。このため、ララァは、生まれつき型と修業型との、混合型の魔法少女ですね。
 ミライのほうは、生まれつきの才能だけで、訓練はしていません。とはいえ、戦争という厳しい事態に放り込まれて、否応なく、ニュータイプの能力を磨かれています。彼女も、ララァよりは弱いですが、生まれつき型と修業型との混合型と言えるでしょう。

 『機動戦士ガンダム』の世界では、主人公のアムロ自身が、優れたニュータイプです。そして、彼の能力も、戦争の中で磨かれて、ますます突出してゆきます。この世界でのニュータイプとは、そういうものなのですね。


[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?

 ララァのほうは、少女のうちに戦死してしまうため、大人になれません。
 ミライのほうは、ブライト・ノアと結婚し、普通の妻、兼、母親になります。『機動戦士ガンダム』より後のガンダムシリーズでは、ミライはほとんど登場しませんが、夫のブライトを介して、彼女の情報が伝わります。それによれば、幸せに普通の主婦をしているようです。相変わらず、勘は鋭くて、ニュータイプの能力は、失っていないようです。

 ララァとミライとの先行きは、対照的ですね。ミライは、好きな人と結婚して、幸せに生き続けているのに、ララァは、シャアと結ばれるどころか、早々に死んでしまいます。

 もし、ララァが戦死しなかったとしても、ミライのように、好きな人と結ばれて、幸せに主婦ができたかどうかは、怪しいですね。
 彼女は、ニュータイプの能力が高いため、間違いなく、彼女を利用しようとする人物が現われたでしょう。といいますか、彼女の恋人であるシャアが、すでに彼女を利用しています。
 シャアが、本気でララァを愛していたことは、疑いありません。けれども、同時に、彼女を利用していたことも、確かです。
 一年戦争が終わって、シャアもララァも無事に一緒にいられたとしても、シャアは、何らかの形で、ララァを利用したのではないかと思えます。

 ララァとミライとのあり方の違いは、「能力の高すぎる魔法少女は、幸せな大人になれない」ことを暗示するかのようです。
 これは、「少女」に限りません。傑出したニュータイプ少年だったアムロは、『機動戦士ガンダム』より後の作品では、一時期、不遇な立場に置かれます。そのニュータイプの能力を、危険視されたためです。アムロ自身、ララァを殺してしまったことがトラウマになっており、再び宇宙に上がることをためらいます。
 ララァに置いていかれたシャアは、いろいろ迷走したあげく、結局、「ジオン公国を自分の手に取り戻す」野望を果たせずに終わります。最期まで、ニュータイプの才能は優れていましたが、それを、良い方向に使ったとは言えません。そして、最期まで、ララァへの思慕に取りつかれたままでした。

 『機動戦士ガンダム』で、ララァの最期を見て、劇場版の『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を見ると、「人間、能力が高くても、幸せになれるとは限らないよな」と感じます。魔法のようなニュータイプの能力を持つララァでも、あっさり死んでしまうのですから。
 シャアとアムロと、生き残った二人のニュータイプは、生涯、ララァの影から逃れられません。彼らの前に現われるララァの面影は、ララァ本人の霊魂なのか、彼らが見ている幻覚なのかは、判断できません。

 『機動戦士ガンダム』では、高い能力を持つ人間(ニュータイプ)であろうと、そうでなかろうと、戦争が激しく人を傷つけるものであることを、描写しています。
 運よく、ミライは幸せになりましたが、彼女は、まれな例でしょう。ララァのように命を落とす人、命はあっても、運命を狂わされる人が、おおぜい出るのが、戦争です。この点、とてもリアルですね。


[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?

 ララァもミライも、変身はしません。『機動戦士ガンダム』の世界でのニュータイプは、変身しません。

 ララァの場合は、変身する代わりに、エルメスに乗ると言えます。エルメスは、高度なニュータイプ能力をいかんなく引き出す戦闘機であり、ララァは、これによって、目覚ましい戦果を挙げます。
 「変身する」代わりに、「戦闘機に乗る」のは、『機動戦士ガンダム』が、魔法少女ものではなく、ロボットものだからでしょう。


[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?

 ララァのほうは、上記のとおり、エルメスが、一種の魔法道具となっています。大道具ですね。
 エルメスは、『機動戦士ガンダム』の世界では、科学技術の産物ということになっています。が、事実上は、大きな魔法道具です。
 エルメスは、高いニュータイプ能力を持つ人物にしか操縦できない戦闘機です。一年戦争の段階では、ララァの専用機です。ララァのために作られ、チューンナップされた戦闘機と言えます。
 並みいる魔法少女の中でも、ララァは、ことに、贅沢な魔法道具を持ちます。

 ミライのほうは、魔法道具は持ちません。


[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?

 ララァもミライも、個人としては、マスコットを持ちません。

 ただ、地球連邦軍の軍艦ホワイトベースの中では、カツ、レツ、キッカという三人の子供が、マスコット的役割を果たします。彼ら三人に、ハロという、ボール型のロボットが加わって、ホワイトベース乗員たちのマスコットになっています。
 ハロは、アムロが作った遊び用のロボットです。カツ、レツ、キッカと一緒に遊んでいることが多いです。『機動戦士ガンダム』より後のガンダムシリーズでも、長く、マスコットとして登場しますね。

 カツ、レツ、キッカは、一年戦争で孤児になってしまった子供たちです。一時は施設に引き渡されそうになりますが、三人のたっての希望で、一年戦争が終わるまで、ホワイトベースに乗り続けます。親を失ったにもかかわらず、彼らは、その無邪気さで、ホワイトベース乗員の心を和ませます。
 『機動戦士ガンダム』テレビシリーズの最終話で、彼ら三人は、ニュータイプの片鱗を見せます。ここでは、彼らのような若い世代をニュータイプにすることで、ニュータイプの能力が、未来への希望に重ねられています。

 『機動戦士ガンダム』は、魔法少女ものではないにもかかわらず、「マスコット」が重要な役割を果たしています。


[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?

 ララァもミライも、呪文は唱えません。


[7]魔法少女の魔法は、秘密にされているか否か? それに伴い、視点が内在的か、外在的か?

 ジオン公国では、ニュータイプは、秘密にされるどころか、公にされて、尊重されています。シャアやララァは、優秀な兵士として、褒賞の対象になっています。

 地球連邦のほうでは、ニュータイプの研究が、ジオン公国ほど、進んでいません。ニュータイプという人間がいることは知られていますが、その人間を積極的に探し出して、利用したり、訓練して、より優れた能力を引き出したり、といったことは、行なわれません。
 正体がわからなくても、ニュータイプの存在自体が、秘密にされているわけではありません。アムロの活躍により、地球連邦軍の中でも、ニュータイプが、いかに有用な存在であるか、広まりつつあります。

 ニュータイプが秘密にされていないため、ララァやミライの活躍は、外在的な視点でも、内在的な視点でも、描かれます。
 この点も、『機動戦士ガンダム』が、魔法少女ものではないからこそ、こうなったのかも知れません。
 『ファーストガンダム』放映当時の一九七〇年代から、二〇二〇年代の今に至るまで、「魔法少女もの」というジャンルでは、「魔法少女は、自分が魔法少女であることを、秘密にしなければならない」というお約束が、とても強固です。二〇二一年現在の『プリキュア』シリーズでも、これが受け継がれていますよね。
 『ガンダム』は、魔法少女ものではなく、ロボットもの、もしくは、戦争ものです。ジャンルが違うおかげで、お約束に縛られなかったのでしょう。


[8]魔法少女は、作品中に、何人、登場するか?

 これは、数え方によりますね。一人ではないことは、確かです。少なくとも、ララァとミライとで、二人です。
 最後のほうになって、能力を発現するセイラやキッカまで入れれば、四人ですね。

 作中のニュータイプの設定からすれば、『機動戦士ガンダム』の世界には、まだまだ、おおぜいのニュータイプ少女=魔法少女がいると考えられます。非常に複雑で、豊かで、広がりのある作品世界ですね。だからこそ、『機動戦士ガンダム』には、延々と続編が作られて、シリーズ化できました。


 こうして見てみますと、『機動戦士ガンダム』は、魔法少女ものではないおかげで、事実上の魔法少女=ニュータイプ少女を、自由に表現できています。「魔法少女もの」のお約束に縛られる必要がないからですね。
 ララァのように、変身しなくても、戦闘機に乗って戦い、魔法少女と戦闘少女とを兼ねた存在は、一九七〇年代には、斬新でした。のちの魔法少女の在り方の、先駆的なキャラクターです。

 『機動戦士ガンダム』は、魔法少女ものというジャンルではないために、これまで、ニュータイプ少女が、魔法少女の一種として考えられることが、ほとんどありませんでした。ジャンルにとらわれると、このような盲点ができます。
 ここまで、『魔法少女の系譜』シリーズを読んで下さった方なら、ララァやミライなどのニュータイプ少女を、魔法少女の一種とすることに、御理解いただけるものと思います。

 『機動戦士ガンダム』は、日本のアニメ界の歴史を画する、巨大な存在となりました。『ガンダム』のない日本アニメ史なんて、考えられませんよね。
 これだけ巨大な存在になると、別ジャンルのアニメにおいても、影響は避けられません。ララァやミライのような魔法少女の在り方は、のちのアニメ作品に、響いてゆくことになります。

 今回は、ここまでとします。
 次回も、『機動戦士ガンダム』を取り上げます。



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