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その時は突然にやってくる

介護について考えながら涙した翌朝
スマホが鳴った。

この日は朝から会議資料をまとめようと
6時に目覚ましをかけていたが、まだ早い。
よく見ると、母(71)からの着信。
この時、朝4時半。

普段なら気が付かないこともあるがこの日はパッと目が覚めた。

父の具合がおかしいから始発で帰ってきてもらえないか。
布団から起き上がれないんだ、と。

聞けば夜中の2時ごろ目が覚めて、寒いって、手足が冷たい。
トイレに行くのも力が入らず立ち上がれず。
母が手伝っても起き上がれない。
いつもと様子が何か違う。

近くにいる弟は、息子を朝から病院につれていく
というミッションがあるらしく、母からは連絡をしていないとのこと。
ま、それは仕方ないか。

父には持病がある。
大きな病気は、膠原病と心臓病。
5年くらい前にペースメーカーを入れている。
この電話の数日後、ペースメーカーの電池を入れ替える手術をするために入院予約をしていて
外への外出なども控えて風邪や流行病には人一倍気をつけていた。
何が起きた?どうした、どうした?

わけもわからぬまま
とりあえず会議資料を作成し
最低限のものだけ持って家を飛び出した。

両親のとこまでは電車とバスで小1時間。
かかりつけ医に連絡をして、車椅子でも借りられないかなとか色々考えを巡らせる。
この電車内のロスタイムも勿体無い。
これは遠隔操作で外から電話をできる人を、、、

弟しかいない。
両親は連絡しないで、とはいうがそんなこと言ってる場合ではない。
わりとあっさり早朝LINEで弟夫婦と連絡がとれ
かかりつけの病院(主に膠原病)とのやりとりを一任した。

弟: 病院にきかれたんだけど発熱は?

そういえば母はそんなこと一言も言ってなかった。
改めてLINEできいてみると

母: ないとおもうけど。

しばらく間があり

母: 37.9°

こうなると現代では風向きが一気に変わってくる。

車椅子の貸し出しは不可。
まずは発熱外来へ行っていただく必要がありますので、発熱から12時間はあけてください。
起き上がれないのは発熱の倦怠感ではないか。
寒気がしていた時間から逆算して、14時来院予約。
12時すぎに再度電話してくれ。
解熱剤があれば飲んでも良い、と。

駅につき、早朝からやっていた薬局で
父の病状や持病を薬剤師さんに相談したところ
タイレノール、という解熱剤を勧められて購入。

あんなに気をつけて、外から貰わないようにしていたのに、このタイミングでコロナ?インフル?
さて、私はこれをもらわないようにしなきゃならんな、、、と、道中そんなことを考え巡らせる。

家につくと、父は布団で寝ていて、
熱はあがっていて38.3°
それでも起こしてくれ、というので抱えて起こす。
そこからはなんとか自分で歩いてリビングへ。
いつものソファーに座り、なんとなくいつも通りの会話。
なにか食べて薬を、というが食べる気にならない、と解熱剤だけ飲んで再び布団へ。

小1時間やすんで、また起きたいというので
手を貸して起こす。
リビングまでもひとりで歩いてきて、ソファーへ。
何か食べる?ときくと、りんごが食べたい、というのですりおろしたりんごを出すと、りんご1/4を完食。

病院までまだ時間もあるからまた寝る、と。
この間に病院に電話をいれ、発熱外来の受付など細かい指示を受ける。

弟も仕事を休んでくれ、病院へ連れて行くことに。
起き上がろうとするも、父は全く身体に力が入らず、起き上がれない。
弟とふたりがかりで起こす。
今までとはなんだかあまりにも違う。

立ち上がってからも支えがないと歩けず。
弟とふたりで抱えるも、家の中にある段差に四苦八苦。
途中で父は疲れて休みたいというので、椅子に座らせるが、そこから身動きが取れなくなる。
考えた弟は、そのまま玄関まで連れて行こう、と。椅子に乗せたまま玄関へ。

出かける前にトイレは大丈夫?なんて確認をしていたら、父に異変が。
顔は青白く、突然痙攣し始め、意識が飛んだようだ。
家族で必死に呼びかけ、救急車を呼ぶ。

人生初の119番通報。
なんか色々聞かれたけど、いまいち記憶はない。
ただ電話口の人はすごい冷たいな、とおもうくらい冷静。そりゃそうだよね、こんなテンパってるやつ相手にしてんだから。

それから待つこと約20分。
こんなに1分、1秒が長いと思ったことはない。
その間も父は何度も意識が飛ぶ。
椅子に座っている父を動かしていいのか、ペースメーカーがはいっている父に心臓マッサージってしていいのか?なにもかもがわからない。
私たちにできることはただただ、父に届くように声をかけ続けることだった。
お願いだから早く来てよ、救急車。

救急隊がきて、応急措置がはじまった。
お父さんの持病はなんですか?ときかれ、
膠原病、というざっくりとした情報とペースメーカーが入っている。というざっくりした情報しか持ち合わせていない家族たち。

救急隊: ご家族は病気のことを何も知りません

結構、衝撃的なひと言である。

病気のことはあまり語りたがらなかった父。
数年は家族に黙ってひとりで病院に通っていた。
やっと言わざるをえない状態になって
はじめて病気を家族にカミングアウトをしたが多くは語らなかった。
もっと早くに聞いておくべきだった。後悔しかない。

お父さんはこのまま死んじゃうの?と、泣き崩れ、取り乱す母。
そう言い出したくなるのもわからないこともない。
いつもの当たり前の日常の光景の我が家で、横たわる父は、AEDのような装置をつけられ、処置が続いている中で、普通でいられるわけがない。

ただただ、頑張ってくれと願うことしかできない時間が続く。

さて、次なる問題は救急車に誰が乗るか。
母、長女、長男。手持ちの駒は3つ。
取り乱してはいるが、正確でないにしろ病気のことを一番知っているのは間違いなく母である。
もともといろいろ抜けているところがある母なので、心配は心配だったが、ここは頑張ってもらうしかない。

母を救急車に同乗させ、我々は弟の車で救急車を追うことに。

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