Ginga Otake

俳句を書きます。おすすめの本など

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続・洗礼について

キリスト覚書 ・罪を教え、パンとなられる ・羊に古き良き道を教えている ・若者に年寄りの知恵と年寄りに若者の活力を与える ・御霊によって人となられる ・死の病の淵から立ち上がられる (ないものを証明することは、難しいが)聖書は、神の言葉としてあり、真理と自由(リベラル)の源泉である。

    • 悩める牧者

      居酒屋には、レコードやお酒のほか、スピリチュアルや心理学の本が並んでいる。 店主 : 「いらっしゃい」 カウンターに仕事帰りのサラリーマンや銀行員、若い大工らが入って来る。 客 : 「お、よっちゃん。元気かい。久しぶりだね」 よっちゃん「相変わらず元気にやってるよ」 女将: 「先生、雨は大丈夫でしたか」 先生と呼ばれた男 :「ちょっと降ってたが、すぐに止みました」 店内で喧嘩がおこる。 先生と呼ばれた男、牧師 :「無学な者たちよ!」 喧嘩者 : 「哲学者さん、無学とは何だい

      • 洗礼のこと

        去年の5月、復活祭に洗礼を受けた。 教会の日曜礼拝や祈祷会、学び会に出る中で日々の思い煩いがとれて気持ちが軽くなった。 間違いもあるかもしれないが、学んだことをこれから記帳する。 聖書には、旧約と新約がある。 旧約聖書は、ユダヤ教と同じ聖典であり、新約聖書は、キリスト教の礼拝などに用いられる。 ユダヤ教とキリスト教は、両方とも一神教であるが、一神教は、大人の宗教だと言われる。 イエスは、そのユダヤ教の主と民の約束を子どもや罪人でもわかるように天の御國と人の子の比喩

        • 巡礼の人

          誰でも子どもになって、ある家庭を想像してください。 親が用意してくれた衣類や食物、住まいがあり、教材があります。 お父さんの映画が置いてありますが、この映画は、見てはなりません。 本棚の中央には、聖書が置いてあります。 今この広い世界に目を止めたとき、中央にいるその人は、キリストです。 かつては、エルサレムであり、会見の幕屋であり、エデンの園でした。 戦争に行っては、なりません。 そして、この家庭は、この世界です。 これからは、永遠まで天にある王国です。 巡

        続・洗礼について

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        • 雑記帳
          60本
        • 鑑賞
          8本
        • 俳文
          5本
        • 自由俳句
          27本

        記事

          甘い蜜柑を作るには、甘い蜜柑の枝を接木しなくてはなりません…この箱を覚えている方がいるでしょうか。自由に手に取って読んで良いと言われている書籍です。

          甘い蜜柑を作るには、甘い蜜柑の枝を接木しなくてはなりません…この箱を覚えている方がいるでしょうか。自由に手に取って読んで良いと言われている書籍です。

          ギリシャの花

          先週は、T博士のモデルの人(?)から古代ギリシャ語(コイネー)の新訳聖書を開いてもらった。 「エン アルケー エーン ホ ロゴス…」 田中美知太郎(※)に私淑した元牧師の方で、実際には、7 年ほど教会でご奉仕されていたようす。 1時間ほどであったけれど、田中美知太郎「ギリシャ語入門」で単語やアルファベットの練習をした。 後日、お土産に缶パンを持っていったところ、訪問看護の方が来ていた。 前より元気そうで良かった。 20 歳から進学までの数年を四国で過ごされ、神学の

          ギリシャの花

          詩篇104

          わがたましいよ、主をほめよ。 わが神、主よ、あなたはいとも大いにして 誉と威厳とを着、 光を衣のようにまとい、 天を幕のように張られます。 水の上におのが高殿のうつばりをおき、 雲をおのれのいくさ車とし、 風の翼に乗りあるき、 風をおのれの使者とし、 火と炎をおのれのしもべとされる。 詩篇104:1-4 旧約聖書1955年改訳(日本聖書教会)

          博士の哲学

          T 博士は、信仰を持って古代ギリシャ・ローマの哲学や西洋思想を学んでた。 その老博士は、「哲学者」と揶揄されていたけれど、神を信じていないわけじゃないんだ。

          博士の哲学

          永井隆「この子を残して」

          「カラマーゾフの兄弟」に出てくるスメルジャコフは、養父に対して「星が創られたのは4日目でしょう。では、なぜそのまえに光があったのですか」と答える。 大戦中の1945年8月9日、長崎上空から原子爆弾が投下され、多くの死傷者を出した。 それは、ヨブのもとに遣わされた悪魔のごとく、野にある生けるものを焼き尽くしてしまった。 このとき、大学病院で放射線医師をしていた永井隆の著作が青空文庫で読める。 糸賀一雄「この子らを世の光にー近江学園二十年の願い」という少し題名の似た本もあ

          永井隆「この子を残して」

          律法以前

          神学の隠遁教師がいっときといえどなぜ乞食の暮らしをしなくてはならなかったんだ? さあ。あの人の罪は、どんなものであろう。 律法以前は、先生のことを神の子と信じればそれで良かった。なぜならば、異邦人だったときは、共に十字架にかかるものであったからだ。しかし、律法が与えられた今、わたしたちの罪について考える必要がある。

          りんごの草木染め

           りんごの草木染め  青森は、りんごの名産地として知られている。10代の僕は、しばしば青森へ訪れた。あるとき、お土産で購入したりんごの葉染めブックカバーがある。このブックカバーは、文庫本サイズで絞りの模様が表紙についているのであるが、文庫本を収めるには、幅が余りすぎだ。あるとき、口語訳の聖書につけたところ、その厚みにカバーがピッタリと収まった。それから、あたたかみのあるこのカバーを愛用している。ところで、りんごとは、原罪を象徴する果実らしい。りんごのブックカバー、いかがなも

          りんごの草木染め

          K君のこと

          小学校4年生に進級したある日のこと、それまで学童保育に通っていたため、近所には、まだあまり友達がいなかった。 おつかいを頼まれ、歩いているところを同級生が遊びに誘ってくれた。 それからは、よくその少年グループで遊ぶようになった。 その中のひとりにK君がいた。 夏休みのこと、午前中に遊んでいるとき、互いに喧嘩をして、K君ひとりが公園に残されてしまった。 午後うちに来たら、と僕は声をかけた。 すると、午後1時に玄関のチャイムがなった。 K君が喧嘩していた友人らとみな

          K君のこと

          信仰の裏通り / 博士をキリストと呼んではならない

          高層ビルの建ち並ぶ大路を避け、狭き門より裏道へ行けば、家並みの低き民家が並ぶ。 君は、そこで本当の貧しさと信仰がひとつの暮らしを発見するだろう。 写真撮影は、禁止されているに違いない。 それでも、君は、こっそりとガラパゴス携帯から写真を送ってくれる。 文面には、メッセージの代わりに有名な聖句が入っていた。 『力を尽くして狭き門より入れ。滅にいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おほし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見出す者すくなし』 力を尽して狭き

          信仰の裏通り / 博士をキリストと呼んではならない

          誰がその中に?

          あなたは、鍵穴の形をしています。 鍵が鍵穴より大きければ、その扉を開けることは、不可能です。 わたしを閉じ込めていた扉には、鍵が挿しっぱなしであったと後に母から聞きました。 父もまた、まだ幼いとき納屋に閉じ込められたことがあるのだそうです。 そうです。 鍵穴は、魚の口に似ています。 しかし、あなたは、貪欲な魚の口でありません。 魚の口から出てくるのは、空虚な言葉に過ぎないからです。 それは、もし例えるならば小さな小さな魚の口であるべきです。 空っぽの鍵穴に、空っぽの墳墓に、あ

          誰がその中に?

          Do ut des

          「その人は、五日間何も食べていなかったようだよ。もちろん、パンと水は、与えたさ。それなのに『コーラが飲みたい』って言うんだもの」 「” Do ut des “ か」 「どういう意味?」 「与えよ、さらば与えられん」 「それをいうなら、求めよ、さらば与えられんだろ」 「ラテン語の読み書きは習わなかったのか。Do ut des(ド・ウト・デス)。それでコーラは、買っていったの」 「どうだったか。さっきのは、聖書の言葉だよ」 「ラテン語は、ともかくだ。君はその人から信

          T 博士のこと

           T 博士は、四国の高専を出て7年間会社員として勤めたのち、献身を決意して神学校で学び、宇都宮のとある教会で奉仕された。 働き盛りでの編入学に対して、周囲の同僚からは、反対もあったようだ。 神学校卒業後は、出版社に勤めながら「宗教改革著作集」を出版されたと聞いた。  先に奥様を天に召された博士は、身持ちを崩してアパートの一部屋で年金生活をされていた。 洗濯物と買い物のお手伝いをしたある日のこと、博士は、  「ラテン語の読み書きなら教えられる」 と僕に向かって言われた。

          T 博士のこと