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いろいろあるから人生楽しい 楽しく生きる vol.17 ~ 復学

寄せ書き

事故の時に、クラスのみんなが寄せ書きをくれた。ありがとう。

もちろん、事故後は、休学していたため、ひとつ下の学年での復学となった。

たぶん、いきなり一つ上の学年だった先輩が、事故に遭い義足で自分たちのクラスに復学してきたから、後輩たちは、物凄く気を使ったと思う。
でも、持ち前の明るさと、社交性で何とかなるもんやね。

復学して、義足の辛さを痛感することとなる。

講義は、今まで同様に受けれるが、実技系の講義が難しい。

今までと体の使い方が違うからだ。

移乗動作一つにしても、今までのやり方では出来ないし、関節可動域測定でも体の使い方がわからない。さらに、日常生活動作練習(ADL訓練)も自分の体を使って模擬的な動きを見せることもできない。
どうしよう・・・どうしよう・・・

何とかするべく、教科書を読みまくった。
教科書を読みまくって、口頭指示で出来るようにやってみた。
だから、記述式のテストの点数は上がったと思う。

でも、ほんとに難しかった。
今までの実技練習が全く通用しない。
難しい・・・
この時は、本当にどうにかしないといけないと思い、
色んなことを考え試したと思う。

友人などの力も借り、何とか形にはなってきていたと思う。

その自信も全崩壊することが後に起こる。

ハビリの専門学校のカリキュラムには、毎年、病院などに実習に行かせて頂き、実施の患者様に触れさせていただくものがある。
私が学生だった当時は、1年次介護実習(2週間)、2年次見学実習(2週間)、3年次評価実習(3週間)、4年次身体障害領域(8週間)、精神科領域(8週間)、老年期領域(4週間)のカリキュラムだった。

復学しての評価実習では、一人暮らしのアパートから遠い病院だったため、レオパレス生活を3週間。
そこで地獄を見ることになる。

担当患者様の評価をリハビリ室や居室で行うが、
義足の膝折れが怖くて、うまくできない。
もし、自分が手伝いをして転倒させてしまったら・・・
など、ネガティブな考えが先に出てしまい。
気持ちと行動がバラバラな状態だった。

ほぼほぼ、寝る時間もなく3週間が過ぎていく。
何もできない自分に半端なく大きな、ふがいなさと、悔しさが出たのを覚えている。

この時は、さすがに脚があれば出来るはずなのに・・・
と思ってしまっていた。

もちろん、実習は不合格。
留年を言い渡された。

留年したことで、また、親に迷惑と心配をかけてしまうと思い。両親に「もう辞めるよ」と伝えた。
しかし、母親から強烈な一言が、

「辞めて何するん?あんたが出来ること、あんたにしかできない作業療法があるやろ。人と同じにしなくていい、人と同じに出来なくていい。でも、あんたがした経験は絶対まねできない経験なんやけ、それが強みやろ。諦めたらだめやろ」と・・・

確かに、その通りやん。
人と同じやり方をしようとしたから、出来んかったんやん。
人と違うやり方でも患者様に、出来ることがあるやん。

むしろ、

俺にしかできない作業療法があるやん。

ここで覚醒する。

私にとって、この実習の失敗は、良かったと思う。
1年間、義足での体の使い方や、自分にしかできない患者様との距離の詰め方などを学ぶことが出来たからだ。

翌年、2度目の評価実習。必死やったね。
誰よりもやったと言い切れる自信があるくらい必死やったね。
プライドなんか捨てて、必死にたくさんの質問をし。
自分の会うキルアップを図ったね。
結果、実習は見事合格し、最終学年の四年生への進級が決まった。

人の真似はしなくていい。
人からいいところを学び、
学んだことを自分なりにアレンジして、
より自分なりに磨がいていくことの方が
たいせつだもの

            ロボとーちゃん

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