OTAFUKU

中学生と高校生の思春期男子、マメで優しい夫(絶賛単身赴任中)との暮らしはいつもバタバタ…

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中学生と高校生の思春期男子、マメで優しい夫(絶賛単身赴任中)との暮らしはいつもバタバタ。 2年前に亡くなった母と父のことも色々ありすぎたけど、やっとゆっくり振り返ることが出来そう。

最近の記事

思い出し泣き笑い23〜母の手術

母の施設から連絡があった。 部屋で転んで、股関節を骨折したとのこと。 入院しボルトを入れる手術をすると。 今まで元気だったけど、もう既に80後半。何があってもおかしくない年齢だ。 病状を説明したいので、来て下さい。ただしコロナの影響でお母さんにら会えないと思って下さいと言われた。 私が病院に着いた頃は手術が終わっていた。 全身麻酔ではないから意識はあるとのこと。手術は無事に終わったようだった。 先生から、入れたボルトはもうこのまま残すこと、もう自力で歩くのは難しいこと、食事が

    • 思い出し泣き笑い22〜生かされている。

      父のいる施設から、時々連絡が来るようになった。 熱が上がり、肺炎を起こしている。 施設にはお医者さんがいるみたいで、すぐ診てもらえるから安心だった。 こういう連絡があれば、会いに行っていた。 「おと〜さ〜ん」と話しかけても、特に返事はない。 目も半開きで私が見えているのかわからない。 今、父は何かを思っているのだろうか? ただ生かされているように思える。 お父さん、お母さんに会いたい? もう楽になりたい? と思ったところで、どちらにも応えられない。 ごめん。 ひたすら

      • 思い出し泣き笑い21〜罪悪感と言い訳

        父と母は別の施設で暮らしている。 母は5分と記憶がもたないので、時間の感覚もあまりないようだ。 私がいつ面会に行っても「久しぶり〜。いつぶりかしら?」となる。 1週間ぶりだろうと2ヶ月ぶりだろうとそうなる。 母「お父さん、いつ帰って来る?」 私「今入院してるから、治ったら帰って来るよ」 このやり取りを何回しただろうか。 父はきっと、もう母と同じ施設には帰れない。 あんなに仲の良かった父と母が、このまま死ぬまで会えないのは私のせいだ。他に方法があったかもしれないけど、私は自分の

        • 思い出し泣き笑い20〜父の転所

          父の胃ろうの手術が終わり、退院に向けて病院のソーシャルワーカーさんと面談をした。 完全寝たきりになってしまったから、元居た施設には戻れないと。 最初の施設、亡くなるまで見てくれるって言ったのに…。そこはある程度自分のことが出来ないと入れないらしい。そんなこと聞いてない! 母だって、父の帰りを待っているのに。 でも決まりだからしょうがない。 ということで、今の父が入所できて比較的私の家から近いところを3箇所探してくれた。 早速それぞれの施設へ見学と施設担当者との面談を兼ねて行

        思い出し泣き笑い23〜母の手術

          思い出し泣き笑い19〜母の日の前日に思うこと

          お母さん、会いたいなぁ。 二年前に亡くなってるからもう会えないけど、会って話したいな。 とにかく愛情が溢れていて、時々受け止めきれなかったな。 母に対しては永遠に思春期だったかもしれない。 たくさんの愛をありがとう。 そして色々ごめんなさい。 私は親孝行出来ていなかったかもしれない。 私が結婚してからは「良い人と結婚したねぇ。幸せでなにより。」と会うたびに言われた。 今私が幸せでいることが唯一の親孝行かもしれない。 お母さん!私は毎日幸せだよ!!

          思い出し泣き笑い19〜母の日の前日に思うこと

          思い出し泣き笑い18〜お墓のこと

          父は5人兄妹の末っ子だが、墓守している。 私はそのことを良く分かっていないまま、施設入所後落ち着いた頃、色々相談に乗ってくれていた従姉妹のお姉さんから連絡をもらい、その事実を知ることになる。 順当にいけば兄が後を継ぐのだが、 兄にお墓の話をしても「無理」の一点張り。 そこで従姉妹と相談し、永代供養することにした。 でもお墓の中に、私の知らない人も数人入っているようだし、父の両親も入っている。 これは父の兄妹に許可を取らねばいかん。 ということで、何十年振りかに話す父の兄、姉に

          思い出し泣き笑い18〜お墓のこと

          思い出し泣き笑い17〜歳を重ねるということ

          認知症について考えてみた。 テレビ等で見ていた認知症のイメージは、徘徊、ご飯を食べたことを忘れる、乱暴な言動…。 私の勝手なイメージだった。 父と母が認知症と診断されてからも、普通に会話も出来ていたし、乱暴な言動はほとんどなかった。 お金のことに関しては多少責められたことはあったが…。 ただ、今思い出すと認知症と診断されるかなり前から、母は時々無神経な発言をすることがあったような気がする。 元々優しい人で、世話焼きで温かい人だった。 そんな母が相手を思いやれず、空気を読ま

          思い出し泣き笑い17〜歳を重ねるということ

          思い出し泣き笑い16〜延命ってどういうことなのだろうか?

          父の入院は高熱が続いたからとのこと。 そして食事が出来ていないらしく、主治医から「胃ろう」をすすめられた。 いや、すすめられたというより、胃ろうの手術をするしかないと言われた。 そう言われれば「お願いします」としか言えなかった。今思えば、他にも選択肢があったかもしれないな。 でもここはお医者さんにお任せするしかない。 ちなみに「胃ろう」とは、口から食事が取れない人がお腹に穴を開ける手術をして、普段その穴から直接栄養を流し込む仕組みらしい。 父は、もう声をかけても反応がほと

          思い出し泣き笑い16〜延命ってどういうことなのだろうか?

          思い出し泣き笑い15〜世話焼きな母

          久しぶりに父と母に会いに施設に行って来た。 母は相変わらず5分と記憶がもたないけど、元気にちゃきちゃきしていた。 父がだいぶ弱っていた。 車椅子で移動しているし、下を向いたまま喋りもしなかった。 施設の人が言うには、同部屋にいる母が世話を焼き過ぎているらしい。 転んで危ないからと、あまり歩かせないようにしていると。 昔からそうだ。 父の歯ブラシに歯磨き粉をつけておき、パンツにアイロンをかける尽くしようだった。子供ながらに「これはやり過ぎでは?」と思ったものだ。 母が

          思い出し泣き笑い15〜世話焼きな母

          思い出し怒気⑤

          もう怒ってイライラしている場合ではない。 早いところ兄に今より家賃の安いところへ引っ越してもらいたい。 休みがない。 今度不動産屋へ行く。 来週には行く。 こんな言い訳がしばらく続いたが、会社の社長さんからも言われているらしく、やっと引越し先が決まった。 次は引越しだ。 駅は同じみたいだし、そこは自力でなんとかしてもらうとして、相変わらず今住んでいるアパートの不動産屋さんは私のところに連絡してくる。 (兄は既に信用を失っている) 兄から連絡があり、必要なものだけ運んで

          思い出し怒気⑤

          思い出し怒気④

          兄と連絡が取れなくなり、私のイライラに限界がきて、兄の働いている食堂のホームページから調べて本社に電話した。 事情を説明し、どうしても連絡が取りたいと、社長にお願いした。 (最初に電話して出たのが社長だった。) 話の分かる社長さんで、兄と話してくれるとのこと。 ありがたい。 不動産屋さんから催促の電話 ↓ 兄に電話 ↓ 繋がらないから会社社長で電話 これを数回繰り返した。 今度は不動産屋さんが限界だ。 すると、社長さんからの提案があった。 兄の滞納分と次のアパートの

          思い出し怒気④

          思い出し怒気③

          そもそも、なんでそんなにお金がないんだ? タバコは吸うがお酒は飲まない(下戸)。 付き合ってる人もいなそうだし、賭け事もしているとも思えない。 ただ、昔からスマホをしょっちゅう変えてみたり、漫画雑誌を大量に買ったり、お金の使い方は雑だったような気がする。 何故今になって? 思い当たるのはひとつだ。 母がちょくちょくお金をあげていたに違いない。 母は兄にとても甘かった。 「出来の悪い子ほど可愛いと言うじゃない」と母から何度か聞いたことがある。 施設にいる母を今更責めること

          思い出し怒気③

          思い出し怒気②

          兄の家賃滞納は何度もあり、本来なら私が払わないといけないのだろうけど、昔から関係が悪く、「助けてあげたい」という気持ちになれなかった。 時々連絡が付き、少し会話が出来てものらりくらりで、終いには逆ギレする。 昔からキレやすい性格で、思春期の頃には家で色々な物を投げつけたりもしていた。 とにかくあまり関わりたくないけど、ここは宥めすかしてでも自力でなんとかしてもらいたいので、「もう少し家賃の安いところに引越したら?その方が生活も楽になるんじゃない?引越し費用も少しなら貸すこと

          思い出し怒気②

          思い出し怒気①

          両親が施設に入所してしばらくすると、兄がアパートの賃貸契約している不動産屋さんからちょくちょく電話がかかってくるようになった。 内容は家賃の滞納で、兄に連絡がつかないとのこと。 数年前まで実家暮らし、その後一人暮らしの際、両親も私も収入がないため私の夫が連帯保証人になり、緊急連絡先を私の携帯番号にしてあった。 兄に何度も電話し、留守番にもLINEにも私に連絡するか、不動産屋さんに連絡するかして欲しいとお願いしても全然折り返しがなく、やっと連絡が来たと思ったら「不動産屋に

          思い出し怒気①

          思い出し泣き笑い14〜大家さん

          施設に入所して数日が経った頃、母から電話がかかってきた。 施設の電話を借りてかけることは出来ると聞いていた。 「皆さん、とっても良くしてくれてありがたい」という報告だった。 良かった。母が抵抗なく暮らしていることに安堵。 「じゃあまたね。今大家さんに変わるね」 施設をアパートだと思っている。 こういうやり取りがあると、認知症をいいことに騙している気になってしまう。 騙しているのかもしれないな。 施設の契約は1人一部屋が決まりだが、父と母は一部屋に2つベッドを入れても

          思い出し泣き笑い14〜大家さん

          思い出し泣き笑い13〜アパートの片付け

          両親が住んでいたアパートを引き払うため、兄と2人の従姉妹と片付けをしてきた。 施設には衣類しか持っていけないので、家具等はほぼ廃棄。 押入れから、アルバムが出てきた。父と母の若い頃、兄や私の小さい頃など。 とりあえず全部持ち帰り、抜粋してほとんど捨てようと思ったものの…なかなか捨てられず😅 想い出の詰まったアルバム。泣きそうになるものもあれば、イヤイヤ着物を着て撮ったクラブのママ感たっぷりの成人式の写真や、笑顔の引きつった思春期の頃の写真…笑えるものもいっぱい。 とりあえず

          思い出し泣き笑い13〜アパートの片付け