Happy boy

冗談半分

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最近の記事

お天道様の気分次第

他人の笑顔を気持ち良く観られるほど余裕無いわ。誰がどこで何をしていたってどうでもいいし構わない。例え、明日お前が死のうとぼくには関係の無い事だと思っているし、少し気分は暗くなるかもしれないけどそれは悲しいとはまた別のものだと思う。 必死こいて生きてるわけじゃないくせに、自分のことしか考えられないし、しかも自分のことも蔑ろにしてる。諦めのようなものも感じるし、何かしらの希望があるようにも思えてしまうせいで。やりたいことはやってるし、やらなきゃならないってことはやらなきゃって思

    • 一緒に汚ん楽聴いてらんね〜

      ぼくが好きなものがみんなとちょっと違うだけなのに、逸脱した趣味嗜好であると捉えられるのは甚だ遺憾である。ぼくと同じ様な感性の人間がごまんといるのは事実であるし、そんな奴らの世界の中で見ればぼくはちっぽけな存在でしかないのに、より広い海に出てみるとぼくは奇形だ。奇形でありたいと願う時もあるし、そうある自分を信じたいとも思うが、不便が故に失敗作であると認めざるを得ない。 お前らの良いと思うものが良かった時なんてそうそう無いんだ。ぼくが聴いてる音楽のみが良い音楽だし、ぼくが着てい

      • 桜を観てバカを見る

        他人から認められずとも己を貫いていただけのはずなのに、いつしか認められるようになり、自分も相手を受け入れてしまう。そんなことあってはならない。何故ついこの間までは自分が如何に周囲の人間と違うのか、センスに溢れた人間であるかを見向きもされずとも誇示していたはずなのに、何故そう簡単に掌を返せるか。 春になるとおかしい奴が湧く。環境が変わり、身の回りの人間がまるっと代わり、凡人は天才となり、天才も凡人となる。変わったなぁとか、そんなんじゃなかっただろとか言われても、今の自分が天才

        • 独りが終末

          一人で生きているつもりで、そんな嘘の孤高を誰にも理解されずとも誇っていた時もあったものだ。さらに前までは自分の周りにもっと沢山の人がいたことを自覚しているが、当時はもっぱら寂しく生きていた。 高校時代のぼくには友だちがいなかった。いや、友だちではあったかもしれない。親友がいなかった。そもそも、学校内という限られたコミュニティの中で半ば強制的に友人関係を築かなければならないというシステム自体が誤りのようにも思えるが、ぼくのような者がマイノリティであることは確かであろうから、こ

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          クソみたいなエモnote

          最近のぼくのnoteは他人が書いたものならぼくが読んで不快になるような事しか書いてない。noteを始めたきっかけは、日々生きる中でふと抱いた疑問を文字にしたためがてら、自分なりにより深く考える機会を作ると共に、単純に文章を書くのが好きなのと、より上手な文章を書けるようになりたいという考えからであった。飽き性なぼくがよくもまぁここまで続いているなと思うが、noteを始める前からスマホのメモアプリに思ったことを書き連ねたりはしていたため、媒体が変わっただけでやっていることは何ら変

          クソみたいなエモnote

          SNSはマジ思考テロ

          マジでツイートってテロ行為だよ。感情や考え方ってのは感染するんだ。新作のアニメや映画が酷評されてたら、自分がいくら楽しみにしてたとはいえつまらなかったような気がしてしまう。こういう時にこう思っちゃうとかこうすべきとか、そんなの自分で考えればいいんだろうにそれを正解と誤解してしまうことがある。一度自分が経験したことのある事象に再度遭遇したら、先ずは前回の方法で改善を試みると思う。誰かのツイートで見たそれを、さも経験かのように自分の一つのストックとしてしまう事が良くない。でも良く

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          ぼくの全てを置いて逝く

          ぼくの幼少期の写真が収められたアルバムが発掘された。フィルムカメラで撮られ現像された写真たちを見て、当時の自身の可愛さにゾッコンであった。まつ毛がぶりんぶりんで、おめめがぱちぱちで、全身ムチムチなその様はまるでキューピーちゃん。あまりにも可愛すぎる。母に、「あんなに甘えん坊だったのにね〜。」と言われ、反抗期はとうに過ぎ去ったものの、この頃に比べれば圧倒的に可愛げのない今の自分が少し申し訳なくも思えた。 過去の写真を見ていると記憶にある時のものであれば懐かしさを感じるが、そう

          ぼくの全てを置いて逝く

          田舎モンの東京旅行記

          高速バスに乗って4時間が経つ頃、ぼくは東京都に上陸していた。バスに乗り込んだ地元の街並みとは打って変わって、高いビルで敷き詰められた街。マンションの明かりのついた部屋をなんとなく眺めていると、こんな小さな部屋一つ一つにも家族がいて生活が存在するんだと、世界の広さ、己の小ささを実感した。東京に全く行ったことがなかったわけではなかったが、最後に行ったのは高校の修学旅行でマレーシアへ向かうため空港に行ったぐらいだ。観光したのは中学の修学旅行の班行動の時ぐらいで今の価値観を得てからは

          田舎モンの東京旅行記

          永劫回帰 BAD

          細々しく遠慮がちに降る雨、寒さに凍えながら傘を握る左手。普段ならばなんの違和感もない日常的な出来事にさえ嫌気が差す時がある。どうせなら思いっきし土砂降りになってしまえばいいのに。すれば傘なんて意味をなさないからとびしょ濡れになることを受け入れられる。濡れないために傘を差す、そんな防衛的な自分に、日常に嫌気が生まれる。 小学生時代は自分が中学生になるなんて幻想程度のことであった。6年生になり、一緒にサッカーをやっていた一歳上の人達が中学校のジャージを着て練習に混ざりに来ても、

          永劫回帰 BAD

          ぼくになりたいボーイが生まれるその日まで

          自分が他人に影響を及ぼすってのは何かと嬉しいことであると思う。例えば、口癖が他人に移ったりとか、ぼくの運転する車内で流していた曲がいつの間にか友人のプレイリストにも追加されていただとか。 みんながどうなのかは分からないけど、ぼくは他人から結構影響を受けている方であると思う。ファッションや、性格というか言動や行動など内面的な部分や、ユーモア的なものも。でも実はこんな事をみんなもやっているのは分かってる。そりゃ自ら誰かの真似です、模倣ですなんて言うわけがないからね。でもぼくは敢

          ぼくになりたいボーイが生まれるその日まで

          My music never die.

          未だに音楽を聴きはするものの、今は特に質の低い消費の仕方をしていると思う。高校時代は、独りの登下校をイヤホンから耳へと爆音で音楽を流し込みながらこなしていた。電車の時も自転車の時もあったけど、そのどちらでも音楽は聴きながらだった。イヤホンで音楽を聴く良さは、その曲の世界に没入出来ることにあると思う。しかし、最近はもっぱら車での移動であるため、運転中は常に何かしらの曲を流してはいるものの、やはり車の風切り音やエンジン音が邪魔で集中して聴ける環境であるとは言えない。それに、高校時

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          ナポリタンを作った だけ

          YouTubeで「ナポリタン」と検索して1番上に出てきた動画を見ながらナポリタンを作った。 ぼくは最近、食欲が凄まじくなっている。毎日夜食を食べている。夜食を食べるようになったことでパスタを茹でられるようになったし、最低限の料理テクニックみたいなものは自己流だが獲得出来た気がする。 中学生の頃はあまりにも食べなさすぎて貧血になり、体力も落ちサッカーの試合に出させてもらえなくなるなんてこともあったぐらいに食べずにいた。顧問に貧血かもしれないから病院に行ってみろと言われ採血さ

          ナポリタンを作った だけ

          知らぬが仏の顔も三度まで

          見て見ぬふりというのは簡単に出来る。指摘するに価しない嘘であったり、指摘することで相手との関係性が崩れてしまうなんて事実であれば、知らんぷりを通すのが大人なんだろうなと思う。 ぼくは大人にはなれない。内容はともあれ、相手にとって自分が"騙してもいい者"であると認識されていることが許せないからだ。当然、嘘と冗談の判別ぐらいはつくと自負している。ぼく自身、冗談を言うことは大好きだ。それが相手にとって嘘と捉えられてしまうかもしれないと危惧しながら発言もしているつもりである。だから

          知らぬが仏の顔も三度まで

          ラブホのフロントくん

          うちのホテル特有?の女子会プランで宿泊していた女の子3人部屋で、電マ使われてるわシーツびしょびしょだわでめちゃ興奮した。 あるあるなんだろうけど、フロントと清掃はめちゃ仲悪い。互いに相手の方が楽だと思ってる。基本フロントだけど1ヶ月ぐらい清掃もしてた身からすると清掃の方が断然楽。夜勤帯なんて空き部屋で寝られるし。 デリが入ってた部屋に、明らかに齧られた形跡のあるうんこと齧られて吐き出されたであろう湿った小さなうんこが落ちていた。これがどちらのうんこにせよ、デリの子は大変だ

          ラブホのフロントくん

          季節がぼくだけを変える

          夜風が涼しくなってきて段々と心地の良い日々が訪れようとしているのを感じる。今年の夏は暑かったという印象しかない。日中は未だに茹だるほど暑いし冬まではまだ遠いのかもしれないが確実に近づいてきていることは分かる。 久しく会っていなかった者に会うと、良くも悪くもその者に変化を感じてしまう。あんなにおちゃらけてた奴でもちゃんと大学に進学してたり就職して毎日頑張ってたり、よく遊んでいた当時を思い出すとそのギャップが凄まじく笑ってしまう。 ぼくって陽キャだったのかもしれない。しかもぼ

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          他人のキラキラLIFEに嫉妬は御法度

          ぼくは他人に認められたいという気持ちを持っていないと思っていた。インスタ等SNSなんかは一度も投稿した事がなく、そもそもなんのために他人に自分の私生活を晒すのかと疑問にすら思っていた。これらの行為を、ぼくは承認欲求を満たすためのものだと考えている。友人と呑んでいるというストーリーを上げ、恋人との思い出の写真を投稿し、「あぁ、この人はこんなに幸せに生きているんだな」と、他人に思わせ自分が幸せでキラキラしていると見せつけたいのだと思う。又、他人以上に幸せでありたいのだとも思う。

          他人のキラキラLIFEに嫉妬は御法度