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もう元に戻らない

小学校の図工の時間に造った粘土の置き物。ぼく以外のみんながペン立てを造っている中、唯一そうでない物、且つオリジナリティに富んだ物を造ったぼくをみんなが褒めてくれた。担任の先生も、乾かすために廊下に置かれたそれを見たどの先生もみんなが凄いねと言ってくれた。どんな意味があるのとか、なんでこの形にしようと思ったのとか聞かれても、そんなことは一切考えていなかったし、なんとなくかっこいいなと思ったからに過ぎなかった。初めっから、みんなペン立てしか造ってないからぼくは別なものを造ろうとか思っていた訳では無い。恐らく、ぼくの逆張り人生はここから始まった。

数週間前に部屋の片付けをしていた時、ふとそれを見てみたらヒビが入っていた。言うても紙粘土的な物で造ったに過ぎないし、そりゃ長いこと放置されてたもんだからそうなったって仕方ないけど、少し残念な気持ちになった。ヒビが入ったぐらいなら直せる。指に少しだけ水をつけて擦ってみた。そうしたら表面の粘土が溶けて、上手いことヒビが見えなくなった。でも壊れてしまった。所詮、ヒビは隠れていただけに過ぎなかった。片付けを終えて元の場所に戻しておいたが、割れていた。見てくれだけを直しても、根っこの部分が腐っていたんじゃボロが出る。

壊れたあの置き物はもう元に戻らない。大事にしていたどころか愛着があったわけでも無いが、前述の通り、今のぼくの素となったとも言える物であるから少しばかり寂しい。ボンドでくっ付けるなりすれば直せはするだろうが、それでもあくまで一度は壊れた物なわけで、直したものでしかない。この感覚分かるかな?穢れてしまった物と捉えてしまうというか、完全体でなくなってしまったという感覚。要はさ、一度壊れたり失ったものはもう元通りにはならないんだよ。修理したりまた買い直したとしても、一度は無くなってしまったものなんだ。ぼくはあの置き物を大事にしていたわけじゃないから大した問題では無いけど、これが本当に大事にしてたつもりのものだったらとても悲しいと思うんだ。大事にしていたつもりでも、バッグに雑に放り込んだり、トイレに行って手を洗わずに触れてしまったりとかしているんだろうけどさ。そういう積み重ねで簡単にものは壊れてしまうんだろうし、手放さなければいけなくなってしまう。二度とそんな風に扱わないから、どうか元の状態で戻ってきて欲しいと願ってしまうね。

どうせ意味分かんないでしょ。

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