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独りが終末

一人で生きているつもりで、そんな嘘の孤高を誰にも理解されずとも誇っていた時もあったものだ。さらに前までは自分の周りにもっと沢山の人がいたことを自覚しているが、当時はもっぱら寂しく生きていた。

高校時代のぼくには友だちがいなかった。いや、友だちではあったかもしれない。親友がいなかった。そもそも、学校内という限られたコミュニティの中で半ば強制的に友人関係を築かなければならないというシステム自体が誤りのようにも思えるが、ぼくのような者がマイノリティであることは確かであろうから、これがこの世の理であると納得せざるを得ない。当時のぼくに親友がいなかったというのは、信用できる相手がいなかったとも言える。親友に満たない友人であっても、中には心の内を語れる者もいた。しかし、それは部分的なものに過ぎず、心そのものを、全てを認知されても構わないと思えるほどではなかった。ぼくがあの者たちにそう思っていたように、あの者たちからしてもぼくはそこまでの信用に値する者ではなかっただろう。

無闇矢鱈に自分を晒すようなことをぼくはしないが、そうしなければ落ち着かない時があるのは確かだ。共感はしてくれなくとも、ただ頷いて話を聞いてくれるだけで有難い。その者なりのアドバイスをくれようものなら、それが受け入れられるものかどうかはさて置き尚有難い。自分の、所謂メンケアを担わせてしまうことは申し訳なくも思えるが、そういった人間が近くにいて欲しく思うし、そういった者に頼りたいのはずっと確かだ。

数ヶ月前からぼくは自身がとても女々しい人間なのではないかと思うようになった。最近はそれが確かなことなのだと思う。恋愛において、男性は半年付き合えば飽きてくるが、女性は一緒にいればいるほど好きになると友人から聞いた。誰しもがそうでないのは分かりきっているが、少なくともそういう傾向にはあるのだろう。ぼくは恋愛においてとても女々しい。とても依存してしまうし、束縛気味になってしまうし、嫉妬深いし、どんどん好きが増してしまう。ちょっとしたことで怒ってしまい彼女を困らせたり嫌な気分にさせてしまうことも沢山ある。付き合い始めた頃はあまりぼくの求めることを押し付けてはいけないと思って何も言うことが出来なかった。ある意味我慢していた。しかし付き合っていくうちに彼女のことを信じたいと思うようになり、  そして死ぬまで一緒にいたいと思うようになり、そうであればここは直して欲しいなど、我儘が増えるようになった。

世界にどれだけ人間が溢れかえっていようと、完全に信用し合えるという人間関係を築くことが出来るのは良くてたった数人だろう。ぼくは初めてその一人が見つかった。ぼくは本気で彼女のことを運命の人なのだと思っている。こんなにも馬が合い、こんなにも面白くて、こんなにも可愛くて、こんなにも好きになれる人は他にいない。こういう台詞を他人から聞かされても、まぁ今はそうなるよねみたいに冷笑的に考えていたが、やはり自分のこととなると違うし、ぼくのこれまでの人生から考えてもこのように言い切れる。死ぬまでに沢山の思い出を一緒に作りたいし、死ぬまで一緒にいたい。ぼくはもう独りでは生きられない。

これは自戒なんだ。

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