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待てばカイロの日和があるといっても気候変動が大きくその日和はいつくるかわからないという妄想〔メンバーのリレー投稿⑤〕

オシンテックで「テックリード」という肩書で働いている布施と言います。私のことなど覚えていただかなくて結構です、と言い添えつづけてきましたところ、友達が少なく、このコロナ禍の中、連絡をくれるのは仕事の関係者だけとなってしまいました。

斯様に人間関係が希薄な私でございます。友人、知人に食事に誘われることもめっきりなくなり、お酒もすっかり弱くなりまして、居酒屋チェーンの安いお酒を飲むと確実に翌日は二日酔いになるという身体になってしまいました。もう一人で居酒屋チェーンにいくことはできず、小料理屋の隅っこでお上さんが人肌にあたためようとして火にかけたことを忘れ、熱い気持ちをこめすぎたかのような燗の酒をいただくのが似合うような年頃となっております。

1000年以上の昔に誰かが”春は曙”と思いを述べた記録があると聞きましたが、私などは曙のみならず日光というものを浴びる機会がなくなっておりますね。普段は外出もせず、リモートワークとの名目での室内、しかも自宅で作業でございます。先に述べたように人間関係うんぬんということで外に呼ばれることもない私は、ヒッキーよろしく自室にこもり、業務するわけです。その業務スタイルたるや、世捨て人もびっくりの研究開発でございます。業務に必要と思われる公知の技術を書籍やインターネットを通じて情報を収集し、実験により確かめ、業務に応用できると思ったものは報告、ソフトウェアやハードウェアのプロトタイプを作ってリリースしていく、というものです。申しましても発明と呼べるようなものではなく、人真似の域をでません。20年前に比べれば現在は人類の情報共有量は飛躍的に増大しており、調査手段とちょっとしたコツさえ学びとれば、特別な資格もなくともできる作業であります。アウトプットが少なすぎると不要な存在と判断されてしまったり、何言ってるのかちょっとわからない変人扱いされてしまうところは数百年前のルネサンス期の研究開発者に対する世間の扱いと同じなのかもしれません。

さて、今回、私が皆さんに申し上げたいのは、「情報を知ろうと思えばそれを入手できる時代にあって、それを活かした生き方が今後も続けていけるだろうか」ということでございます。情報を生活に活かすというのは、私が改めて申し上げなくとも、すでに皆さんは日々行っていらっしゃるのではないでしょうか。いつのまにか「ネットで検索」なんて当たり前の時代になりました。25年前はこれは誰でもできるものではなかったのですよ。総務省の通信白書の報告によれば、数年前まで60歳以上の方でスマホ使ってる人なんて少数派でしたよ。時代の進化にともない、いつの間にか”当たり前”になっているコレ、当たり前になりすぎてしまってそれを”活かす”ということを意識しなくなっていないでしょうか。当たり前の存在だった友人知人に会えなくなってその大切さがわかると昔気質の方は申します(注:若者が恋人と別れる率は上がっているがその大切さを再認識した率は低い(筆者調べ))が、「検索」という情報入手方法が当たり前になった現状を、「活かす」という考え方、観点というものが口はばったいというか照れ臭いものとして扱われてしまうのは、不思議なモノだと思いませんか?

1000年後も春は曙と言えるような、「検索は生活の当たり前」が今後も当たり前であり続けるかどうか、誰が保証してくれるでしょう?いや、1年後でも当たり前でしょうか?

情報のインフラにアクセスする手段を企業が提供してくれなくなったら?政府が制限したら?検索というアプリケーションが提供されなくなったら?もしくはこれがものすごく高価な代償を要求するものになったら?

なぜ、そうならないといえますか?

皆さん、いま、当たり前と思って利用しているさまざまな生活用品、利用可能とする権利を適切に保持するために、何かしてますか?

私は、とりあえずそういう業界動向をウォッチしています。お隣の国やらでは、インターネットでアクセスできるサイトを政府機関が制限していたりするのですよ。ネットを通じたサービス、外資系のものが多いことにお気づきですか?それらが日本から撤退を余儀なくされる状況が発生したら、そういうなかでも私のような仕事の仕方、続けていけるものかどうか、などと考えてしまうわけです。

政府の方針なども気になりますね。最近日本では、日本国内通信事業者大手に対し、総務省が価格をどうにかみたいなことを言っていますが・・・大統領が交代した米国ではAmazonは悪質市場指定されるというニュースがあります。これについては、昨年以前からAmazonの偽装品販売が問題視されていたりしました。

偽造品でもいいから、それっぽいものがほしい、という向きの方にはどうでもよいニュースかもしれませんが、これらの悪評が米国政府をしてamazonの海外活動禁止とか、各国Amazonは各国内生産品しか販売しないとか、新たなルールが適用されたら、amazonの商品価格が変動して生活にそれなりに影響をあたえる、なんて妄想もしてしまうわけです。

気候変動や地球温暖化対策も気になるところです。

情報に過敏な妄想で対応してしまうような混乱はしないようにすべきだと思いますが、可能性を考慮して意思決定していくことが生き方のスタイルだと思っている私は、この気候変動が顕著な時代を乗り越えて”春は曙”と子々孫々に果たして語り継いでよいものか、”春は曙だったんだよ、昔は”と語り次ぐか、さらには”春は曙と言われしが1000年ほど続きて、今や、春から夏にかけて夜といふ”などと書き換えてしまうか・・・などと、世間様に影響を与えない範囲で一人引きこもってつぶやいたりしてしまうわけです。

皆さん、それぞれの情報の活かし方で、生きてください。

(私は、また引き篭もりますゆえ。では。)


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