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「母の日」の白い花


「母の日」が過ぎ、
花屋の店頭からカーネーションが消えた。

一週間前は、赤や黄色のリボンに飾られた鉢植えが、
ところ狭しと並べられていたのに。


私は、14歳の春に母を失くした。

家は父と兄と私の三人暮らしになり、
私は仕事を持つ父を助けて家事を分担するようになった。

母を失った悲しみは例えようもなかったけれど、

毎日、下校後に買い物をし、夕飯の下準備をする、
その役割を全うすることが、涙を忘れる手助けになっていた。


一周忌が近づいてきた頃、
仏前に供える花を買いに行くと
いつもの花屋はカーネーションだらけになっていた。

店先には鉢植え、ショーケースには切り花があった。
「お母さんありがとう」と書いた紙もひらひらしていた。
数日後が「母の日」なのだ。

私の姿を見ると、店の人はいつものように一対の花束をバケツから出し、
渡そうとして
手を止めた。

花束の中には真っ赤なカーネーションが一輪ずつ、入っている。
「白、だよ……ね?」と、私の顔を見た。
奥のショーケースの中には
数本の白いカーネーションがある。


「別に、構いませんよ」私は言った。

花束を受け取り、
家へ帰り、
赤いカーネーションを庭に投げ捨て、
残った花を仏壇に飾り、
座り込んで
一年分、泣いた。



今でも白いカーネーションが存在するのか、
それすら私は知らない。
私はあの日以来、一度もカーネーションを買ったことがないのだから。


あれから何度もの5月がやってきて、
何度もの「母の日」があった。
大人になり、歳を重ね、
立場が変わっても、
私は母の日を、心からの笑顔で過ごすことが出来ない。


花屋でカーネーションを見ると、
そこに14歳の私を見てしまうから。

私と同じように、思春期に母を失った子が
足早に通り過ぎていくような気がしてならないから。