見出し画像

クリスチャン日記 雑感#4「ガチクリスチャンにとってのクリスマス」

画像1

⭐︎こんにちは、大城TEDです。
私は自分でこう言うのも何ですが、「ガチのクリスチャン」だと思っています。

「ガチのクリスチャンってどういうこと?ガチではないクリスチャンなんてているの?」

と思われる方も多いかと思いますが、少し説明させてください。
ここで私が言う「ガチ」とは「福音を信じて新生体験を経た・魂の救いを得た」という意味で、「名目上ではない」ということです。

「うわ、怪しい単語が出て来た。新生体験?魂の救いって何?ますます意味がわからん」

というお声が今にも聞こえて来そうですが、少し説明させてください(2回目)。
「新生体験・魂の救い」というのは「それまで死んでいた霊の部分が生き返ること、魂の生まれ変わり」のことで、「確実に天国に行ける約束を得た」ということです。これはイエス・キリストの福音を信じれば全ての人に無償で与えられるものです。
聖書を字義通りに読めば、「クリスチャン」とはこの「福音を信じて新生体験を経た人・魂の救いを得た人」のことで、逆に、福音を知らない、信じていないのであれば、たとえその人が「熱心なキリスト教徒」であったとしても、定義的に(聖書的に)「クリスチャン」とは言えないのです。残念ながら。

そしてその「福音を知らない、信じていないクリスチャン」が、ここで言うところの「名目上のクリスチャン」なのです。

対外的、社会的には、キリスト教国に生まれたり、代々クリスチャンの家に生まれたり、洗礼を受けたり、ミッション系の学校に行っていたり、毎週教会に行っていたり、「キリスト教」と呼ばれる団体に所属していれば、その人は「クリスチャン」を名乗れるし、そう周囲から思われるかも知れません。
もちろんそれ自体は悪いことではありません。
しかし、繰り返しますが、福音を信じて新生体験を経ていなければ、その人は魂の救いを得ていませんし、本当の意味での「クリスチャン」ではないのです。その人は永遠に「名目上のクリスチャン」なのです。

つまりクリスチャンと言っても、実は2種類のクリスチャンがいる、ということですね。
で、私は前者の「ガチのクリスチャン」である、ということです。

※福音とは「罪のない神であるイエス・キリストが自分の罪のために十字架にかかって死に、墓に葬られて、三日目に復活した」という良き知らせ(Good News)のことです。
詳しくは以下のリンクから。

https://harvestshop.net/jp/products/detail/390

🎄🎄🎁            🎅🍰            🎁🎄🎄

⭐︎そのいわゆる「ガチなクリスチャン」の中でも、クリスマスというイベントに関しては様々な意見や見解があります。
大きく分けて言えば、「クリスマスを祝う派」「祝わない派」がいます。
(ちなみに私は「祝う派」です。全力で祝います。お祭りですので)。

「えっ」と耳を疑われるかも知れませんが、「クリスチャンはクリスマスを祝うべきではない」と主張するクリスチャンは本当にいます。
全体に対して少数ですが、います。

何故、そう主張するのか、というと、その根拠は大体以下のようなものです。
・聖書にはクリスマスという言葉は出てこない。
・聖書にはキリストは12月25日に誕生したとは書いていない。
・そもそも「クリスマス」というものは異教的な祭りから発したものである。

それらの見解そのものは全く正しいです。
聖書のどこにも「クリスマス(キリストのミサ)」という言葉も出て来なければ、それを祝った、という記述もありません。
またキリストがベツレヘムの洞窟(少なくとも馬小屋ではありません)で誕生された日も特定はされていません。

そもそも「クリスマス」というお祭りは、紀元3世紀ごろまでの初代教会時代には存在しなかったと考えられています。
しかし4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教と定められて以降、当時のローマ世界で既に存在していた土着の農耕祭と、冬至を祝うミトラス教とが融合する形で、自然と「12月25日のクリスマス」が定着したと考えられています。
これには宗教的な融和を図ろうとする権力者による折衷案的な性質が強く、キリスト教がローマ帝国の国家宗教として根を下ろすのに一役買ったのですが、それ故に「聖書の記述を第一とする」福音派のクリスチャン(ガチのクリスチャン)にとっては、クリスマスは「人が作った世俗的な祭りである」という認識を持ってしまうのは否めないところです。

簡単に言えば、「聖書に書かれてないことを根拠に祝うなよ」というのが「祝わない派」の主張であり信念なのです。

しかし、クリスマスの起源が聖書とは関係のないものから来ている事実は認めますが、一方で「キリストの誕生日が12月25日ではない」とも絶対には言い切れないのです。
キリストが一年のどこかで誕生されたことには違いありません。
誕生された日の記述がない以上、365分の1の確率で、「12月25日かも知れない」のです。
第一に「キリストの誕生日を祝うかどうか」という発想の出発地点からどこか間違っているように私は思えます。
「神の御子であるキリストが人となって人間の世界に降って来られた」という「神の究極的なへり下り」を記念し、その神を讃えるのが、クリスチャンがクリスマスというイベントに向けるあるべき精神なのではないかな、と思います。

そのような精神でクリスチャン道を歩むのであったのなら、「12月25日のクリスマス、大いに結構。クリスチャンとして喜びを持ってお祝いし楽しもうではありませんか」というスタンスを取ることが出来ますし、実際に私はそうしています。

画像2

(私が以前所属していた教会でのクリスマス会の様子。お子さんたちがミニクリスマスツリーを作っていました。
教会にもよると思いますが、大抵の教会のクリスマスイベントでは、讃美歌の合唱と礼拝メッセージ、また他にお子さんたちに向けてのゲームやプレゼント交換などのプログラムが用意されているのではないかな、と思います)。

⭐︎クリスマスは普段、聖書やキリストとは無縁の生活をしている人でも、「非日常的な愛」をどことなく覚える特別な日だと思います。
「クリスマスぐらいはちょっと教会のイベントに参加してみるか」と腰を上げる人も多いのではないでしょうか。

クリスマスの起源がどうであれ、クリスチャンとしてこれは歓迎すべきことであり、一年の内で最も聖書を、イエス・キリストの愛を、一般社会にPRすることが出来る絶好のチャンスなのです。

多少言葉は悪いのかも知れませんが、ポイントがズレたクリスチャンのオタクなこだわりで、一般社会と教会との壁を作り、伝道のチャンスを失い、楽しむべきものを楽しめないのは本当に損です。
「それ、誰得ですか?」という話です。

…まぁ、それでも「私は自分の信念でクリスマスは祝わないんだ。爆発しろ」というサムライがいましたら、それはそれで素敵なことだと思いますので、その道を進んでもらいたいと思います。
他人を巻き込まない範囲内で。

…えー、少し長くなりましたが、つまりは「クリスチャンの中には色んな人もいるけど、大抵は世間と同じようにクリスマスをお祝いしていますよ」ということです。
「空気を読んだ方が、結局は自分もみんなも神様もハッピーだよ」ということは多くのクリスチャンも自覚していることだと思います。

コロナ禍で強くはお勧めは出来ませんが、もしよければ今年のクリスマスは是非、お近くの教会に足を運んでいただければ、と思います。

感謝。

サポート(献金)して頂いたお金は『イブキちゃんの聖書入門』をはじめ、イエス・キリストの福音の拡大に与するより優良なコンテンツ制作の為に大切に使わせて頂きます。