ヨーグルトになっちゃう

体重計に乗ったら、昨日と変わっていなかった。昨晩のドカ食いで、とんでもなく増えるかと思ったのに。胸を撫で下ろして、キッチンに向かう。

普段、朝食にはトーストとヨーグルト、それにおかずを用意する。だけど、とにかくお腹が重い。罪悪感もあるし、夜には友達との予定があるから、それまでは軽めの食事にしよう。フルーツを多めに乗せたヨーグルト、と心の中でつぶやき洗面所を出る。

昨晩、実家に帰った。最近はよく帰る。一つは母が海外に出ているから心配で、もう一つは純粋に心許せる空間を欲して。年末年始にかけて、わたしはずるずると実家で過ごした。家を心地がいいと感じるのは初めてのことだったので驚いた。「帰ってあげる」と、あたかもいいことをしているような顔ができるのもうれしい。そんなぬるい気持ちで出向き、おばあちゃんの得意料理のお鍋をオーダーしたらとんでもない量を作ってくれてしまい、残した時の寂しそうな顔が目に浮かんで、信じられないほどたくさん食べた。お腹は大いに膨れ、手を当てると胃の場所がわかった。けっこう、上の方だった。

冷蔵庫から、ヨーグルトと、半分のバナナを取り出す。それと、果物カゴからりんごを一つ。お気に入りの黄色い陶器皿にヨーグルトを広げ、きなこをかけた。きなこは、大豆だからたんぱく質で、なんか良さそう。少しだけと呟きながら、メープルシロップをけっこうかけてまな板に向かい、バナナはラップを外して薄めに、りんごは半分の皮を剥き櫛形のような形に。残りの半分は、きっと明日の朝ごはん。

先に飲み切らなきゃいけない白湯を一口すすってベッド脇に戻し、わたしはヨーグルトを食べ始める。

実家ではいつも、高いヨーグルトを食べていた。わたしのお気に入りはフジッコのカスピ海ヨーグルト。粘り気が強く、お腹にいい感じがする。大学1年生の頃、部活で20キロ近い減量に挑んだわたしはこのヨーグルトを、2日に1パックのペースで食べていた。あのヨーグルトを、今スーパーで見るとけっこう高い。確か200円強するんじゃなかったっけ。

普段わたしが買っているのはトップバリュの無脂肪ヨーグルト128円だ。本当はパルテノが食べたい。舌触りが良く味も濃厚、でもお値段は300円以上する。毎日食べるとなると、一週間に2パック弱。少し懐が気になってくる。安い中で一番おいしいものをとたどり着いたのがこのプライベートブランドのヨーグルトだ。本当はもちろんノーマルタイプを買いたいけど、せっかくなら、と無脂肪を選んでいる。

ダイエットに励んでいたあの頃、ヨーグルト以外にもわたしはいろんなものを母に用意させていた。サラダが主食になるから、たくさんの野菜を買ってきてもらい、夜はフルーツしか食べなかったのでいろんな果物を切っておいてもらった。特にスイカとパイナップルが好きだった。一人暮らしをして気づくけれど、あれらの食材、全部、高い。実家だからできたダイエットなのだな、としみじみ思う。

わたしは当時、母親に礼を言っていただろうか。むしろ疲れと空腹で苛立って、「お腹すいた!」とスニッカーズのCMばりに、怒鳴り散らしていた記憶しかない。ブチギレながら猛然とスイカを貪る娘。今思うと本当に母が不憫だ。

かつて、家族を単なる同居人と認識していた時期があった。おばあちゃんを除くと、我が家は姉と両親の4人家族なのだけれど、いまいち会話のテンポが合わず、一人で過ごすことが多かった。そもそもわたしと他の家族とでは主言語が違う。みんながリビングの大きなテレビで外国の映画を見て盛り上がっている。その音を聞きながら自分の部屋で日本語の小説を読んでいるような娘だった。だからとにかく一人暮らしをすることが夢で、インテリアショップを覗くのが何より幸せだった。

だけどその夢の一人暮らしをするようになり、5年の月日が経って、あの頃の自分がきちんと”家族の一員”として生きていたことを身にしみて感じる。今は実家にいても”帰ってきている”状態だ。家族の全員が我の強いひとなので、喧嘩にならずに夕食を終えるのはけっこう大変だ。取り分けの箸を握って離さず「ああ、鍋奉行って何にも楽しくない」と曰う叔母。頑として日本語を話さずにわたしにだけわかる言葉で大声で話し続ける父。なぜか突然テーブルの下で足を蹴り合う喧嘩を始めるいとこたち。誰か道を譲ってくれ。穏やか一派のわたしと叔父は徒党を組み、父の話に耳を傾け、いとこたちにプレゼントをあげ、おばあちゃんにおいしいよと声をかける。そこには果たすべき役割が生じて、だからこそ最近は帰りやすくなっているのだけれど、高校生のわたしが風景としてそこにいた頃との違いを強く感じる。

絶対に分かり合えないと思っていたひとたちと過ごすのが心地よくなっている。大人になるという冷たい響きとは違う何かがそこにある気がする。

母のことは、実はあんまり好きじゃない。なんか、でかいから。でも礼を言いたいな、と思った。ヨーグルトのお礼。

「ママ、あの頃、毎日カスピ海ヨーグルト買ってきてくれてありがとう」。そんなことを突然言ってもきっと訳がわからない。なので言わない。礼は後から言うのがすごく難しいものだ。その瞬間に言えないと、チャンスを失う。ありがとうを言う力はもちろん、ありがとうを見つける力も養わなくてはいけないな、とりんごをしゃりしゃりやりながら思う。

ただ、この気持ちが心の中にあれば、次に母に会うときもう少し素直に話せる気がしてくる。これまで嫌だな、と感じていた振る舞いも大目に見れてしまう気がする。だって、高いヨーグルト、たくさん買ってくれてたし。そう思うと、会うのが楽しみな気持ちになる。

ちょうど買い置きのヨーグルトを食べ切ったし、今日は久しぶりに少し高いヨーグルトを買ってもいいかもしれない。カスピ海ヨーグルトが懐かしい。スーパーにあるだろうか。きっとある。無脂肪タイプと普通タイプ、どっちを買おう。あの頃のわたしに無脂肪タイプの存在を知らなかった。母が教えてくれなかったから。教えないまま、普通の、おいしい方を買ってくれていた。

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