ふうふになっちゃう

顔を上げると派手なピンク色の地下鉄がホームに滑り込んでくる。キティちゃんとバツ丸くん。その姿が先ほどまで一緒にいた、友人夫婦に重なる。

仕事を終えて、四谷に向かった。今日は友人と、パフェを食べる約束がある。雑居ビルの細い階段を上がり扉を開けると、どこか昭和じみた空気に包まれた。レジ横の、懐かしいピンクいろの共有電話。壁に貼られた、彩りゆたかなフルーツのイラスト。たくさんの人に愛されてきた時間を感じながら味わうパフェは、もちろんすごくおいしかった。わたしはメロン、彼女は桃。

近所のスーパーに寄ってから友人の家に行って、オーブン焼きを作った。パフェ、からのオーブン焼き。キャベツ、玉ねぎ、茄子、ミニトマト、かぼちゃ、オクラ、ブロッコリーを一口大に切っていく。豚バラの間にローズマリーを挟み込んでオリーブオイルをどばどばとかければ、あとはオーブンが頑張ってくれる。

おうちには友人の旦那さんもいた。会うのは三回目。わたしの人見知りを凌駕する勢いで、とてもたくさんしゃべってくれる。野菜の焼き上がりに合わせ、在宅の仕事を切り上げて彼も一緒に食卓についた。大きなテレビで、3人で映画を観る。うわあ、おぉ、えぇっ。わたしはその映画を観るときたくさん声をあげてしまう。途中から、旦那さんが一言も発さずに観るタイプだと気づいたのに、なんだか後戻りができなくてむしろ言葉数はどんどん増えていく。

食事を終えると、旦那さんはすぐに洗い物をしてくれた。友人もその周りをせかせかと立ち働く。あ、帰ろう。そう思って、腰を上げた。夫婦の時間が見えた気がした。

見送りをしてくれるふたりを背にして、大通りをすくすくと歩く。どこか切なくて、でもとても、幸せだ。

「あなた本当に結婚したいの?」とどこか得意げに言い放ったのは、妙齢の女性占い師だった。新宿マルイ3階、友人ふたりと行った。なんでも、わたしの手相やら運命やらには、結婚願望が刻まれていないのだという。恋人ができますか、と聞きたかったのにそんなことを言われて、目が回った。

一緒に行ったうちの一人は、わたしの友達の中で最も結婚が早かった女の子だ。かわいらしい彼女の旦那さんは、ものすごく素敵なひとである。アイドルみたいに整った顔立ちで、顔中に"爽やか"と書かれている。なにより驚かされるのは、内面までも爽やかだということで、例えば妻が誰かの愚痴を言っていると、彼は「そんなことを言っているとろくな死に方をしないよ」と嗜めるのだという。悪口を言っているときに己の死に方を心配してくれるひとなんて、わたしは生きていて出会ったことがない。

もう一人、旦那さん含めて仲良くしてくれる友人は、オランダにいる。わたしのルーツにはもちろん関係なく、たまたま恋に落ちた相手がオランダ人なのだった。一昨年、オランダに行った際には彼女たちの家まで足を伸ばした。友達がパートナーと暮らす家に行ったのは、もしかするとそれが初めてだったかもしれない。

駅で友人に出迎えられ、道中いろいろな話をしながら、恋人の待つおうちにお邪魔する。当時、彼らはまだ恋人同士だったけれど、交際年数も長く、ほとんど夫婦のような信頼関係が築かれていた。家に上がると、かわいいマグカップにお茶を淹れてくれる。それで手を温めながら話し込んでいると、恋人の彼が夕飯を用意してくれた。ブロッコリーのパスタ。美味しい料理でおなかを満たし、赤ワインを飲み進めるうちにわたしの心はするするとほどけていった。そうしてすっかりくつろいでしまって、本当にいろんなことを話している。恋人に浮気されたこと、上司とそりが合わないこと、日本で女性の生きづらさを感じること。気づけば帰りの電車の時間が迫っていた。暗い夜道を友人と並んで歩いた。

今日、友人の家でご飯を食べて、初めて結婚のなんたるかを垣間見たような気がした。だけど振り返ってみると、わたしは意外と結婚した友人夫婦に囲まれている。しかもだいたいの場合、ちょっと引かれるくらいに心を開いているようなのだ。

わたしにとって、これは少し意外なことだ。

もともとわたしは友達の恋人に会うのがあまり得意ではなかった。友人にではなく、その恋人の視線の色味にどうしても気後れしてしまう。わたしの友人に向けられる、はちみつみたいな熱視線。

それはおそらく、わたしも放ったことのあるものだ。だからわたしは、恋人の友人に会うのもあまり好きではない。無理矢理に彼が場をセッティングしたものだから、大喧嘩をしたこともあるくらいだ。二人でいるときと、友人を交えたときとでは、恋人の周りにただよう空気の成分が少しだけ変わる。それに順応するのは難しくて、わたしは普段通りの視線を恋人に向けてしまう。その戸惑いと熱をはらんだ独特の視線を、友人の立場からみているのもまた苦しくなるのだ。

だけど結婚した彼らの視線はそれとはなにかが違った。いったいそれはどうしてなのだろう。その違いはなんなのだろう。

ふむ。

わからない。

だけれどそれもまた、当然のこと。わたしはまだ「結婚」を知らないのだから。相手のことが好きだとか、自分のことを見てほしいとか、そういう恋愛のいろいろは少しだけ知っている。でも「健やかなるときも病めるときもなにやらを誓います」といった覚悟をもったことは、ない。長い人生を共に過ごしていくという覚悟。わたしが触れあう夫婦たちの視線の底には、それがあるような気がする。それによってはちみつ光線は別のあたたかななにかに姿を変えているのかもしれない。

いいな、それ。帰りの夜道で思った。それは、なんだろう。わたしもいつか、それと出会う日がくるのだろうか。そんな未来もあるのかもしれない。まだ片鱗も見えないその気持ちを、味わってみたい、と強く思う。

そう考えたら初めて結婚に手触りを持った憧れを抱いた。だから今占い師に聞かれたら、わたしは胸を張ることができる。「結婚願望、あります」。

結婚はおろか、恋人ができる気配も全然ないのだから、今のわたしはちょっと切ない。だけどそれ以上に、そんなふうに素直にうらやましいと思える時間を、友人が過ごせていることがうれしい。そう思える友人がいることもまた、うれしい。結局はみんなハッピーなのだ。そして今夜も、コーヒーはおいしい。

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