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推し活翻訳6冊目。Island、勝手に邦題「キキクタルク — ハーシェル島の精霊たち —」

原題:Island
原作者:Nicky Singer
勝手に邦題:キキクタルク  — ハーシェル島の精霊たち —

概要と感想
 
カナダ北部、北極圏の海に浮かぶハーシェル島。イヌイットが、キキクタルクと呼ぶその島の夏空に、死を呼ぶといわれるウークピク(シロフクロウ)が舞う。時を同じく、北の海からピスグトゥク(ホッキョクグマ)も島にもどり、島の守り人であるイヌイットの老婆アトカに姿を変える。
 
ツンドラが緑におおわれた白夜のその夏、大都会で生まれ育った13歳のキャメロンが、科学者の母パスカルとともにそこに降り立つ。パソコンや携帯電話といった文明の利器から切り離され、ひどく退屈するだろうと思っていた。けれど、イヌイットの少女イヌルクに出会い、これまで知っていた世界とは全く異なる現実を、イヌルクがいざなう不思議な「夢」のなかで体験するとは想像もしていなかった。
 
アトカは、気の遠くなるような長いあいだ、世界を融かすカルナート(南の白い人)に警告を続けてきた。しかし、その声はだれにも届かない。ウークピクの飛来で自分の死期が近いことを悟ったアトカは、孫娘のイヌルクを眠りからゆり起こす。心が固まっていない子ども同士なら、声が届くかもしれないと考えたのだ。
 
まったく異なる文化背景を持つキャメロンとイヌルクは、はじめは、おかしなほどかみ合わない。キャメロンには、イヌルクが語る「ワタリガラスの創世記」が荒唐無稽に思えるし、いっぽうのイヌルクは、キャメロンが持っている地図では、記憶や夢や物語や歌のなかでささやかれ、分かち合うものは決して見つからないと呆れかえる。

それでも二人は、子どもらしい柔軟さと互いへの興味から、ゆっくりと距離を縮めはじめる。キャメロンは創世記の続きに耳を傾け、イヌルクはiPodのイヤホンに恐るおそる手を伸ばす。
 
大人たちはこれと対照的だ。アトカには、iPodの音楽も、キャメロンの瞳を通して見たロンドンの光景も、カルナートの愚かしさとしか思えない。そして、キャメロンからイヌルクのことを聞かされたパスカルもまた、無人島にいるはずのない少女のことを、島の文化を次世代に伝えるための「継承プロジェクト」の参加者だと思い込む。
 
はたしてイヌルクは、イヌイットの教えを伝えきれるのか、そして、キャメロンはそこからなにかを学ぶことができるのだろうか。そして、島の、世界の運命は——。
               ☆ ★ ☆

悲劇の記憶にとらわれ、島を破壊する歪んだ文明社会を許すことのできないアトカと、温暖化という課題に科学的に向き合うがゆえに、イヌイットの精神性を理解しえないパスカル。二人には決して乗り越えられない大きな溝を、キャメロンとイヌルクはみずみずしい感性で飛び越えてゆきます。子どもが持つはかり知れない可能性を照らしだす作品で、読むたびに魂を揺さぶられます。
 
クリス・リドルの繊細なイラストで、静謐さすら漂う佇まいの本ですが、イヌイット文化、クジラの乱獲などの史実、地球温暖化と永久凍土の流出など大きなテーマに、親子の愛情といった普遍的なテーマをも取り込み、深いメッセージを発しています。
 
もとはお芝居の脚本で、2012年にロンドンのナショナル・シアターの公演で成功を収めたのち、40を超える学校でも上演され、ファンの声に押されてクラウドファンディング方式で出版されました。
 
この作品には、イヌイットの教えが4つ示されています。

一つ目は、「ワタリガラスの創世記」。人間は、ワタリガラスが植えた豆のさやから生まれたというものです。ワタリガラスは人間に食べ物を与えようと、アザラシやセイウチを生み、川を魚で満たし、鳥を空に放ちましたが、強欲な人間が世界を食べつくしてしまわぬように、畏れるべき存在としてホッキョクグマを創りました。
 
二つ目は、「先祖を敬うこと」。イヌイットの世界では、祖先はあの世ではなく、この世にいて、夢で一緒に旅をして過去からの知恵を授けてくれる存在です。
 
三つ目の「夢と理解」の教えを使って、キャメロンがクジラになった夢を見るシーンでは、豊かな北の海の情景がダイナミックに描かれています。キャメロンとイヌルクが夢で海氷を呼び寄せてその上を飛び跳ね、大氷河や氷山を仰ぐ場面、そして、ホッキョクグマとの対峙も、幻想的でありながら現実を超える臨場感で胸に迫ります。イヌイットのものの見方に、少しだけ近づけたような気がする場面です。
 
そして、四つ目が「畏れ」。カッピア、イルクシ、イリラなどの言葉が紹介されていて、このうち、イリラは「畏怖の念」に近いものです。作中では、ホッキョクグマに出遭ったときの骨に染みる、血も凍る恐怖としても描かれています。

私たちが見慣れているものだけが真実ではない…本当は、だれもが気づいているのに、直視を避けている大切ななにかを、考えてみたくなる作品です。

参考図書:
・Herschel Island Qikiqtaryku : A Natural and Cultural history of Yukon’s Arctic Island (Christopher R. Burn, Editor)
・The Other Side of Eden (Hugh Brody)、『エデンの彼方』(草思社、池央耿訳)
・Arctic Dream (Barry Lopez)、『極北の夢』(草思社、石川善彦訳)

クリス・リドルによる装画
幻想的な場面が多い作品ですが、地理や動植物、史実などはこの報告書よっています。

☆おまけ☆
イヌイットとカルナートにかかる風刺の効いた映画ありますので、紹介しますね。古いドキュメンタリー映像とインタビュー、架空の〈カルナート研究所〉を舞台にした白人研究のショートムービーの3パートで構成されています。1時間近い長さもあって、私は聞き取りに苦労しましたが、なかなか面白い。字幕付きです。


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