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五感がしあわせにつながる時…(五感シリーズ①)

※ この画像は、ほとみさんからお借りしたものです…ありがとうございます!

※ これから述べる内容は、差別的な誤解を生むかも知れません。でも、わたしはそういうことを言うつもりはなく、例えて挙げるならば,目の不自由な方は、視覚以外の感覚が鋭く、研ぎ澄まされて,目が見える方よりも、ずっと他の感覚が素晴らしく秀でていることを、わたしは知っています。
だからこそ、目が見えていながら,心の目がくもってしまい、真実を見抜けないような人々は沢山います。
そういう意味に置いて、聴力もしかりで,聞こえることを良いことに、耳の大切さをおろそかにして、大音量で音楽を聴いて、自らを,難聴にしてしまう人がいますし、小さい弱い人々の声を、心から全く排除して、耳障りの良い、自分の都合の良いことにしか,耳を貸さない人がいたりしますが、それは民主主義に反したり、人権無視になってしまったり、イジメに関わることになったりするのです。
そのような人々は、鳥のさえずりは耳に入らず、風のささやきさえ,聴こえないのではないかと思います。五感はつまり,心を研ぎ澄ますことかも知れません。そう言った意味合いで,以下を読んで頂ければ幸いです。

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あなたの五感は研ぎ澄まされていますか?
五感が鈍感であると言うことは、あまり良いことではないです。
あらためて言うまでもないですが、五感をおさらいしてみましょう…
目—ものが見える。色が分かる。明暗の違いを感じる。濃淡の違いが分かるなど
耳—音が聞こえる。ささやきが分かる。メロディを聴く。ことばが聴き取れるなど
鼻—かおりがする。においをかぎ分ける。くさいにおいで危険を感じたり不快を感じたり、空腹を誘発されたりするなど
舌—あじわう。美味しい・不味い等の感覚。塩味,甘い味などの五味が分かる(五味とは…甘味、酸味,塩味、苦味,うま味だが、六味としてはえぐみも加えたいところ…)など
皮膚—痛い,痒いなどの感覚を得るところ。くすぐったく感じる。ツルツル,すべすべ、ゴツゴツ等の質感が分かるなど

五感が研ぎ澄まされると、生きている感覚が増します。
五感が研ぎ澄まされると、苦しみも楽しみも倍増するでしょう。
五感が鈍っていると言うことは、不健全と言うことです。
人がほんらい持っているはずの感覚が、機能していないのですから、
機能不全です。
健康で,五感が研ぎ澄まされるためには、
早寝早起き,規則正しい食事、適度な運動,適切な水分摂取などが考えられるでしょう。
しかし,何より肝心なことは、
自然がある場所,土のある所にいること
なのです。
ここで、五感は研ぎ澄まされます。
何故ならば,風の音や風のつよさ、
風のぬくみ,風から来るにおいや、
木々からもれ出る空のかがやきの美しさ,空気のかおり、
その他もろもろの感触を、イヤでも感じさせられるからであり、
人間が生まれたのは、自然からなのであり,
自然が全ての原点・母だからです。

つまり,舌で言うと、
あまり甘いものばかり食べていると,甘さを感じる舌がマヒして、
通常でも、砂糖の濃いものを平気で食べられるようになってしまいます。
甘いお菓子を食べた後に、甘さはあっても酸味が強いミカンなどを食べると、
甘くないと感じてしまうのですが、そこでリセットされて,
本来の甘みの濃度を感じられるようになるのと、同じような現象です。

人は、文明と言って,
コンクリートジャングル・ビルの谷間にちんまりとおさまって満足しています。
しかし、気付いている方はいらっしゃるでしょう。
それではストレスになっていると…。
そうなのです。
わたしたちには、環境を守るなどと言うおこがましい考えではなく、
自然が重要で,生きて行くためには必要不可欠な存在なのです。
自然が震災を起こし,津波が襲い、
山火事を作り,人を災害に巻き込むようなこともありますが、
それは自然の摂理であって,あらがえないこと。
そうした大自然の中で,人も生きさせてもらっていると言うことに過ぎない。
そうした冷酷でもあり、やさしく包み込むように,
わたしたちを迎えてくれることもある自然のすがた。
それは、わたしたちが否応なしに受け入れなければならないもの。
地球という1つ屋根の下で,他の動物たちと平等に生かされ、
生きとし生けるものとしての生きざまを全うする,ただそれだけなのです。生かされていると思えば、喜びもおのずと湧いて来る。
自然から乖離してしまった人たちは、だからよろこびもかなしみも、
縁遠く,にごってしまうのです。
自然に回帰し,わたしたち自身の手で、
喜怒哀楽を生き生きと感じ
てみませんか…。
それは、自然の恵みを享受すると同時に,
わたしたちが対話して,営みを謳歌していくことでも可能
です。
ご一緒に,さぁ…!

                           (終・2000字)


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