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夢を叶えるには半信半疑がベスト!揺れる心でも前に進めた話

夢に向かって挑戦していると、期待と不安が交錯します。夢を語り「うおーっ! 俺はやれる!」と高揚した夜が明けると、容赦ない朝の光の中で「無理に決まってるよね…」と白けたり。こういうのつらいです。

同じようなパターンで、夜書いた文章を翌朝読み返して気恥ずかしく感じた経験はありませんか? そういうときって、夜と昼がまるで別世界のように感じられます。夜と昼で別々のリアリティが存在していて、両者がせめぎ合っているからです。

どこにも居場所がなかった僕が「場づくり」を仕事にするまでにも書いたように、僕は子どもの頃から日本の「常識」に合わなくて、いつも居場所がなく、常識の外側でサバイバルしてきました。その過程でこの「リアリティのせめぎ合い」に苦しみました。

「リアリティのせめぎ合い」に勝利するには、才能や根性ではなく、「半信半疑で揺れる心を抱えながら戦い続けるメンタリティ」が必要です。

僕はこのメンタリティのおかげで、「186勝185敗」みたいなぎりぎりな感じでそこを切り抜け、自分らしく嘘のない暮らし=当時の夢を実現しました。そして、25年たったいま、思うところあってもう一度自分と自分の暮らしをまるごと再構築することに挑戦しています。

今回は、僕と同じようにいま挑戦しているだれかに向けて、挑戦する人に必要なメンタリティについて書きたいと思います。


東京商科学院のCMにズタズタにやられる

30年ほど前、僕はまだ学生で「就職せず、自分らしくいられる居場所をつくって、そこで生きていこう」と考えていました。

それが僕の夢であり、やむにやまれぬ進路でした。そのために色々なワークショップに通ったり、本を読み漁って研究を重ねたり、仲間を集めて場をつくったりしていました。
でも、その夢は周囲から非現実的と見なされ、「大丈夫なの?」「一度就職すれば?」と引きずり降ろしワードを散々言われましたし、大学の進路指導課からは「それは進路ではない」とまで言われました(ひどい)。僕は一般的な生き方から、かなり思い切ったコースアウトをしつつありました。

そんなある日の深夜、そろそろ寝ようか横になったとき、ふとテレビCMに目がいきました。画面には、公務員や会計士など様々な専門職に就いた若者たちが映し出されています。続いて「就職を考えた。商科にした!」というコピーが流れ、社会に出て頼もしく働く若者たちの映像が続きます。当時、ガンガン流れていた東京商科学院のCMです。

そのしっかりとした感じ、ちゃんとした感じ、僕より年下なのに就職している彼らは、とても大人に見えました。それに比べて…

「やばい…! やばい、やばい…!!」

僕は、弾かれたように起き上がり、夢みたいなわけのわからないことばかりやっている自分の日常を呪い、頭を抱えました。同学年の友だちはみんな就職活動をしているのに、僕はリクルートスーツさえ持っていないのです。

「なんでもいいから資格を取って、英語が何か勉強して、いまからでも就職活動をがんばるしかない! やばいやばいやばい!!!」

すごく頑張ってきたつもりだったのに、あっという間に不安と焦り、そして恐れでいっぱいになってしまいました。

2つのリアリティに引き裂かれる

ここで僕の個人的体験から離れて、「リアリティ」の話をしましょう。
リアリティ=現実は、複数存在しています。ここでは「夢と理想のリアリティ」と「常識と社会通念のリアリティ」の2つを示します。

【夢と理想のリアリティ】
目標とする人の話を聞いたり本を読んだりすると、気持ちがぐっと上がりますよね。創造的なアイデアが浮かんだり、いままで躊躇していたことに取り組む勇気が湧いてきたりします。
例えば、行きたかったけど思い切れなかったセミナーに申し込めたり、noteに「この夢、実現させます!」みたいな文章を上げたりしてしまうかも。このときあなたは、「夢と理想のリアリティ」を生きています。

【常識と社会通念のリアリティ】
しかし、数時間〜数日が経過すると当初の鮮烈さは減退し、ちょっとしたきっかけで「夢と理想のリアリティ」はかき消えてしまいます。きっかけは、不安や恐れを呼び起こす小さな出来事です。例えば…

カードの請求金額が思ったより多くて「ちゃんと支払えるかな?」と不安になる。会社を辞めようと思っていたら、同僚がローンで家を買った話を聞いて気持ちがざわつく。自分なりにキャリアを積んでいたら、親から「それで、いつ結婚するの?」と言われて気勢を削がれる。

…などなど。このとき既にあなたは「常識と社会通念のリアリティ」を生きています。不安を抱えながらエネルギーを落とし、「夢みたいなこと考えずに、ちゃんとやらなきゃ…!」と自分を戒めたりするのです。

常識と社会通念のリアリティから脱出するには?

さて、僕自身の話の続きです。

破壊力抜群の東京商科学院のCMは深夜に繰り返し流れ、僕を痛めつけました。観ていると不安になるのでテレビを消すと、しーんとしてそれはそれでまた不安なので再びつけると「就職を考えた!」といきなり例のコピーが流れるという…もう完全にコメディですが、当時の僕はこれにズタズタにやられ、「常識と社会通念のリアリティ」にすっかり囚われてしまいました。

夢はすっかり現実味を失って、遠い世界の出来事のようでした。こうなると問題は、どのようにして再び「常識と社会通念のリアリティ」から「夢と理想のリアリティ」へとシフトするかです。

僕にとって、「夢と理想のリアリティ」にシフトする一番良い方法は、当時僕を魅了していた身体的世界の広がりに触れるワークショップなどの場に参加することでした。
鳥山敏子さん津村喬さん見田宗介さんなどが開催していた一連のワークショップの場では、身体と言語、非言語コミュニケーション、人の全体性など、「からだ」という視点から自分や世界を見たときのめくるめく広がりを体感出来ました。僕は「こここそが自分の生きる場だ!」と確信しました。

揺れ切った後に見えた景色

「夢と理想のリアリティ(A)」と「常識と社会通念のリアリティ(B)」の間で引き裂かれ、その間を振り子のように揺れるのは、想像以上に辛い体験でした。失恋や挫折の辛さなら歌や映画になっているのに、「こんな辛さ知らなかった!」と思いました(ミスチルあたりが歌っていてもよさそうなのに…なんて思ったものです)。

リアリティの間を揺れるのが辛い原因は、迷って決められないというような話とは次元が違いました。両者のリアリティは、互いが互いを否定し合う関係性=相剋関係にあるからです。

ふりこ

リアリティAにいるときの自分は、リアリティBにいるときの自分を全力で否定します。その逆もまた然りで、反対側に振り子が揺れると、AとBが入れ替わるだけで同じことが起こります。なかなかの地獄です。

僕にとって一番手近な「正解」は、師である鳥山敏子さんの近くで働き、生活することでした。鳥山さんの周囲には、僕が憧れていたリアリティがいつも展開されていたから、僕がそこに留まればいいのです(望めばそこで働くことが出来ました)。

でも…、もし頼りの鳥山さんがいなくなってしまったら?

僕はまた揺れのなかに戻っていくことになるはずです。僕の脳裏に、高い位置で止められた振り子が浮かびました。誰かに依存することで振り子を高い位置で止めても、その人を失えばまた動き出す──それでは困ります。

日常をワークショップ化する

そこで僕がやったのが、「場づくり」でした。

鳥山さんたちのワークショップの場で感じる「あの感じ」を、片鱗だけでもなんとか自分の力で再現出来ないだろうか? 「苦しい日常」から」楽しいワークショップ」に逃げるのではなく、「日常をワークショップ化」することは出来ないだろうか?

僕がつくる場は、最初のうちは「シェルター」でした。社会から隔絶され守られた場。安心感はあっても、窓を開ければ外から強く冷たい風が吹き込んで、ぜんぶが吹き去られてしまいそうでした。だから、時間をかけて力をつけて、少しずつ社会化しました。

自分たちでお金を出し合って場と場所を維持していましたが、事業を始めてお金を稼ぎました。最終的には「場づくり®」の考え方とやり方を、積極的に発信して、積極的に社会とかかわるようになりました。

「リアリティ=現実」は自分でつくれる

揺れて揺れて揺れ切っていつの間にか振り子がほぼ止まったとき、僕の周囲に広がっていたのは、驚くべきことに「夢が実現するリアリティ」でもなければ、「常識と現実のリアリティ」でもありませんでした。そこにはなんと、「自前のリアリティ」が広がっていました。

対極にあると思っていた2つのリアリティは、いずれも「借りもののリアリティ」であり、根源的には同じものだったのです。自分で「場」をつくることを通して、結果的に僕は「自前のリアリティ」に辿り着きました。

常識の外側でしか生きられなかった弱い僕が、なんとか自分らしさを失わずにサバイバル出来たのは、場をつくり、場を守ることを通して自分を守ってきたからです。そしてそれは、新しいリアリティ=現実をつくることでもありました。既存の選択肢から選ぶのではなく、選択肢そのものから自分でつくるのです。

おわりに(いま揺れているあなたへ)

いまいる場所の居心地が悪いなら、我慢や妥協なんてしなくていいと思うのです。僕は正直、近年はとても居心地の良いところにいましたが、そこに妥協があることに気付いてしまい、もう一度揺れに身を投じています。

僕は子どもの頃からずっと目立たないはみ出し者でしたが、その「はみ出し」を積極的に場に昇華させることで、人とつながり自分らしく生きられる日常を獲得することが出来ました。既存の選択肢に依存せず、揺れることが出来たから辿り着けたと思います。

もしいまあなたが半信半疑で揺れているなら、きっと挑戦にはベストな状態です。夜と昼、光と影、理想と現実、やれそうな自分と無理そうな自分──両者の間で思い切り揺れて、揺れながら一緒に前に進みましょう。

両極の間に (Between extremities)
道を定めて人は走る (Man runs his course;)
たいまつが、或いは燃える息が (A brand, or flaming breath.)
やってきて破壊する (Comes to destroy)
昼と夜との (All those antinomies)
二律背反を (Of day and night;)
肉体はそれを死と呼び (The body calls it death,)
魂は後悔と呼ぶ (The heart remorse.)
でももしそれが正しいと言うのなら (But if these be right)
喜びとは何だろうか? (What is joy?)

(W.B.イエーツ 『動揺/Vacillation』より)

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