しなやかな

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カツ丼を届けられるような人になりたい

4月になった。 SNSは新社会人や学生に向けたメッセージで溢れかえった。 説教めいた言葉に眉を顰めつつ、自分はその話しかけられる対象ではないのだということに寂しさを感じつつ、心にぽっかり穴が空いた気持ちで画面をスクロールしていた。 数日前、会社で仲の良い集まりの中の1人の方が会社を辞めることを聞いた。 転職先はその方の希望に合っているようで、本当なら喜んでお祝いの言葉をかけるべきだったのに、なんだかいなくなってほしくなくて嫌だな嫌だなと冗談を交えながら言い続けてしまった。

    • 睡眠不足って怪我してるのと一緒だよね

      • アーティストが生放送でいつもと違うアレンジで演奏するとほんものだって感じがして感動する

        • 大人になってから本の内容を必要なところだけかいつまんで飛ばして読む癖がついてしまったので子どもの頃の自分に「どうしてそんな一文一文を大事に読めるんですか?」って聞きたい

        カツ丼を届けられるような人になりたい

        • 睡眠不足って怪我してるのと一緒だよね

        • アーティストが生放送でいつもと違うアレンジで演奏するとほんものだって感じがして感動する

        • 大人になってから本の内容を必要なところだけかいつまんで飛ばして読む癖がついてしまったので子どもの頃の自分に「どうしてそんな一文一文を大事に読めるんですか?」って聞きたい

          「これになりたい」って私も思うけど対象がもの扱いだよな

          「これになりたい」って私も思うけど対象がもの扱いだよな

          決断の時に損しないかで決める自分はなんかやだな

          決断の時に損しないかで決める自分はなんかやだな

          絶対に忘れないだろうなと思った出来事を気づいたら忘れていた時から私は私を信用していない

          絶対に忘れないだろうなと思った出来事を気づいたら忘れていた時から私は私を信用していない

          生きづらさに辛くなることはあるけど生きづらさに囚われたくはないよねえ

          生きづらさに辛くなることはあるけど生きづらさに囚われたくはないよねえ

          上手いこと言おうとしなくていいし目瞑って笑わなくていいんだよ

          上手いこと言おうとしなくていいし目瞑って笑わなくていいんだよ

          あいまいで避けてきた言葉

          自分の中で意味がまとまっていなかったり、簡単に発したくなかったりして、使うのを極力避けている言葉がある。 「頑張る」「考える」「向き合う」「本質」…とか。 「寄り添う」もその一つ。 その言葉が示すものは何だか不確かで、相手によって行動が違うもので、軽々しくこの言葉を当てはめたくない。 だから使うのに慎重になってしまって避けていた。 でも最近、友達がこの「寄り添う」って言葉をすごく素敵に使っていたからはっとした。 彼女は手話を学ぼうと思っていると言っていた。 理由を聞くと、

          あいまいで避けてきた言葉

          「こうなりたい」って思う人

          強そうな女の人が好きだった。 いつも椎名林檎を聴き続け、失恋した時はYUKIとJUDY AND MARYだったし、気合を入れたい時はSuperfly。 長らくエナジードリンクは東京事変だったのだけれど、最近私の中で新たなスターが出現した。 弘中ちゃんだ。 書店でフォトエッセイが彼女のサインと共に飾られているのを見て、心惹かれて購入した。「弘中綾香の純度100%」。 どこか可愛いだけでなく芯の強さを感じさせる人だと思っていたので、エッセイはとても興味をそそられるものだった

          「こうなりたい」って思う人

          過去を咀嚼して消化したい(2)

          「自分はうまくいかなかった経験からその事柄ができない人の気持ちがわかる」という話を聞いたのだけれど、それは危ういんじゃないかと感じた。 過去の自分と重ねて自分が求められてきたことを強要してしまいかねないと思うから。 受験の時、自分にとって必死で勉強していたつもりだった私は結果を出せなかったことから、教師に「頑張らなかったからだよ」と言われた。 そう言われた時、放課後、休日、休み時間、図書館や自習室で勉強していた風景が全部崩れていくような感覚がした。 それと同時にそれまで自

          過去を咀嚼して消化したい(2)

          あの時のあの子

          あの時3日に一度の頻度で会っていた仲良かった子は今はなかなか都合が合わず会えなくて、もうすっかり会ってないんだけれど楽しくいてくれたらいいなと思う。 そう思ってくれるような人が私にもいたら嬉しいけど。

          あの時のあの子

          都合いい所を消費する

          かなり昔に解いた国語の過去問で「人は音楽を自分に都合良く部分的に当てはめて消費する」みたいな評論があった。 確かに、音楽を聴くと強く共感できるエモい部分だけ切り取って、自分の体験が合わない部分は無意識に捨てている。 芸能人に対しても一緒で、自分の理想を押し付けて理想から外れている所を見ると見なかったことにする。良いように解釈して自分の理想の中に丸め込む。 でも収まり切らなくなると離れていく。 対してゲームやアニメの主人公は理想から外れる可能性が低い気がする。 「こういう

          都合いい所を消費する

          誰かと深夜にラーメンが食べたい

          こんな事態になって今切望しているのは誰かと食べるラーメンだ。 私の中でラーメンは人と仲良くなれる1つのジンクスみたいになっている。 まずラーメンにはハズレがない。 「うまいものは糖と脂肪でできている」というような言葉があったけれど、ラーメンはこの要素を欠かさないので間違いがない。「実は〇〇料理は苦手で…」ということが起こりにくい。(勿論ラーメンの美味しさの要素はそれだけではない。) 「何系の気分?豚骨?醤油?」などと、自分の手札から相手の気分に合わせてご提案させていただくの

          誰かと深夜にラーメンが食べたい

          夜歩く

          学生時代、飲食店でバイトをしていた時、同じバイト先の友人と深夜歩いて帰ることが好きだった。 その友人はお店の最寄り駅から3駅ほど先に住んでいて、時折バイトが終わってから歩いて帰っていた。それによくついていったのだ。 彼女と話しながら歩くことは楽しかったし、そういう誰かとの思い出ってすごく大事だった。決して虚しくはなかった。 「夜歩く」のは社会人になってからもハマった。 ある会社を転職した後のことだった。 夜中に2駅先まで行ってみたり、1時間半ぐらい歩き続けたりしたこともあ