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強さとは何か? - オセロで負けるAIからみる、これから求められるAIの強さ

SNS等で、「世界最弱オセロAI」が話題になっていた。自分も試してみたが、綺麗に角を必ず取らされて、最後は必ず勝ってしまう。

特に注目すべきは、開発者がインタビューで答えたこの一言です。

最初は強さを求めて作っていましたし、こちらでは強いAIと対戦できます。もちろん、強いAIは他にもたくさんあるのですが、〜〜(中略)〜〜 そこで、私のコードは1行変えれば、とことん弱いAIを学習できることに気づきました。

機械学習に詳しい人であれば、納得感の深いところだと思います。作者が利用している深層強化学習では、「どういう状態になったらよしとするか」を定義して学習を始めるのですが、「自分の駒が最終的に相手の駒より多ければよい」としていた部分を、「自分の駒が最終的に相手の駒より少なければよい」と変えるだけで、最強のAIは最弱のAIに早変わりするのです。

では、どのようなゲームでも、最強のAIを少しいじっただけでこのような面白いコンテンツになるのでしょうか?

私は、そうとは限らないのかなと思います。

オセロは、相手の駒をひっくり返せる場所にしか駒を置くことができません。したがって、明らかに意味のない手を打つことができません。

一方で、例えば同じボードゲームである将棋であれば、自陣の駒を意味もなく動かし続けるなど、意味のない手をさすことができたり、負けようと思うとゲームが進展しなくなる可能性があります。

オセロにおいて、勝つことと負けることは同質に近いゲーム性を持っていたために、このAIが実現し、人々が面白いと感じたのではないでしょうか。


さて、一方で負けることの重要性は今後高まっていくかもしれません。エンターテイメント性を重視するならば、上手く人に勝たせるような工夫も重要な可能性があるからです。他にも、ギリギリで勝つ/ギリギリで負けると言った取り組みも面白いかもしれません。

今回の事例において、「最強のAI」と「最弱のAI」がになった人間に提供する価値は同質でした。しかし今後、人間に提供する価値自体が変化した場合(接待、教育、その他にもまだ見つけられていない価値があるかも)に、どのような技術的進展が求められるでしょうか。

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