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ことばの価値観ってびっくりするくらいズレてる

最近、心理学の本を読んでる。

読んでて思うのが、
「この人はどんな意味でこの言葉を使ってるんだろう」ってこと。


努力
結婚
恋愛

天才
人生


感謝
日課


なんでもそうなんだけど、
わたしにとっての「努力」と
周りの人の「努力」は定義が違うって、
最近気づいた。


ロザンの菅ちゃん。
努力は、他人から見ると努力に見えるけど、
本人は普通にできること

って言ってた。

歯を食いしばって、嫌なことを頑張ること。
ではないのだ。


こんなふうに、
自分の価値観を見直すことを
もしかしたら内観っていうのかもしれない、
と、
まだまだ小さなわたしは思う。


「努力しないわたしには生きてる価値がない」
という、
わたしの幼児決断がある。
小さいときに決めてしまったらしい。

でも、
TA心理学では、
再定義ができるんだ。
大人のわたしが、再定義したらいいのだ。


再定義しようとして、気づいたの。

「努力しないわたしには生きてる価値がない」
つまり、わたしにとって

努力ってなに?
わたしってなに?
生きるってなに?
価値ってなに?

ってこと。

自分に聞いてみたら、

努力とは……100%の力を出すこと。
わたしとは……頑張ってはじめて価値があるもの
生きるとは……生かされてること
価値とは……人の役に立てること

いやぁ、
これじゃぁ生きにくいわ!
基本的に100%以外、出せないじゃん笑
80点もテストでとってるのに
「あと20点が取れない」と落ち込む思考回路じゃん。


そんなことを思ったら、
たくさん変わった定義が出てきた。



ーー

感謝とは、
他人に100%を渡してありがとうと言われること。

愛とは、
相手を大事にすること。

ーー


ねぇ、わたしよ。
わたしって視点はないのかい?

と、
セルフツッコミをいれた。



なら、
どんな定義なら、
わたしはわたしを許せるんだろう。


休みの日は、
元気でもグダグダしていいし、しなくてもいい。

と、
再定義した。
わたしね、
休みの日には、やりたいタスクをどんどん入れて動くタイプ。
ぐだぐだするのは、体調不良のときのみなのだ。
でも、
元気でも、ぐだぐだしてもいいじゃん?


だから、
努力も再定義した。

努力とは、
わたし自身は呼吸するように手軽にできて
いつまでも続けられること

にした。

だから、
わたしが努力してできることは、

レシピをつくること
文章を書くこと
人前で講演をすること
子どもとあそぶこと
考察すること
分析すること
本を読むこと
暑くないときにチャリに乗ること
ストレッチすること
ロザンの楽屋を見ること



一回、深掘りしてみてほしい。
感謝って言葉でも、
自分の価値観が入ってるから。

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