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エッセイ_LINEのアイコンを赤ちゃんにする人たち

 LINEのアイコンが唐突に人間の赤子に変更されたのを見ると、私は疲れます。誰なんだよお前は、お前はお前であって、赤ちゃんと喋らされるこっちの身にもなってみなさい。お前は誰なんだよ。私の知っているお前は、お前であって、見ず知らずの他人では無いのだから。

 だた、アイコンを赤ちゃんに変更した人間は例外なく育児で超忙しいのと私の思想のせいもあり、実際に赤ちゃん(アイコンの人)とメッセージをやりとりしたことは今のところない。

 何故一部の人間は自分が子をもうけると、アイコンを我が子に変更してしまうのか。一緒に映っているならまだ理解可能である。私が知っているあなたとあなたの近親者が写っているのだから、違和感はない。恋人と映っている写真をアイコンにしている人と同じだ。多少の違和感はあれ、本人が居るからまだわかる。

 これは、客観性が欠けているから起こる現象なのだろうか。LINEのアイコンは、自分を象徴する何かであり、そこから吹き出しが出て喋る仕様になっています。ただ、自分からは自分のアイコンが見えず吹き出しだけになるので、客観性が乏しいと違和感を覚えないのかもしれない。
 私の友達リストにはいくつか赤ちゃんのアイコンが並んでいるが、私にはその人間の赤ちゃんの差が、全然わからない。親が自分の子を識別できるのは当たり前だ。しかし、他人はそうではない。少し試してみればわかる。赤子であればあるほど、識別が難しい。我が子ではない、関係ない赤ちゃんは全部同じに見えるのでは。なんだか、ツイッターの初期アイコン、SNSの初期アバターを見せられている気分だ。とにかく同じに見える。しかもこれは、思想としてはおそらく本人(赤ちゃんアイコンの中の人、つまり親、つまり友人)には絶対言ってはいけないことになっている。失礼に当たる行為になるのだ。そこまでわかっていて、アイコンに実子を置くだろうか。いや、考えていない。おそらく、嬉しさが勝ち、幸せを共有しようというそういう「純粋な気持ち」が先行して、アイコンを変えてしまう。
 それはお前だけの幸福であり、お前の幸福に素直に同調できない、私、が存在することになり、それに対して私は罪悪感まで覚えることになる。だから、疲れていく。でもわからないでもない、私も幸福の絶頂を感じた際、それを共有してしまいたいという気にはなるから。でも、それは絶対に共有できない。それに、我が子という唯一存在に関する幸福は絶対に本人にしか理解し得ないだろう。逆に言えば他人に理解できてはいけない感情である。

 赤ちゃんが全部同じに見える問題に話を戻す。これは当たり前と言えば当たり前で、赤ちゃんはまだ人間としての個性をこれから自ら獲得していく存在だから、同一民族(私で言えば純日本人)の他人から見ればすべて同じ、初期アバターに見えるはず。顔に滲み出る個性も人生経験を経て変わってくる。何もなしえていない人間の顔は年を取っていてものっぺりして似たような顔になるのと同じことだ。とにかく、何を着せられていようが背景が何であろうが、それは赤ちゃんが自ら獲得した個性では無く、親の投影。しかし、親自身では全然ない。近親者にとっては、自分と関わりがあるから、他の赤ちゃんとは違う赤ちゃんにみえるだけなのだ。

 一方面白いのが、動物及び自分の飼育しているペットをアイコンにしている人に対しては違和感が起こらない。これは、一つとして同じに見えないから。例えば猫一匹とっても全く初期アバターの猫というのは想像しがたい。猫のイデアはあっても。そして、その動物と中の人間を重ねても違和感が無い。人間をやめて動物になりたい、自由な動物に自己を投影している、自分が似ているとされる動物をアイコンにする、そういう人間が多い。だから、このアイコンからは、本人の人となりがわかるように思える。また、自分のペットであったとしても、これも実子の赤ちゃんをアイコンにするのとはずいぶん意味合いが違う。ペットを我が子として扱う人間もいるとはいえ、やはり生物として異なるのがポイントだと思う。

 まず、LINEで動物のアイコンと話していても不愉快さや不自然さがない(ここでは、動物全般や特定の動物が嫌いな人間は例外とする)。また映すのも常識的に見て可愛いと思える動物の画像が多い。例えば蜘蛛を飼っている人間も、社会性が高い場合は、いくら自分が飼育している蜘蛛が可愛いと思っていても他人に不愉快さを与える可能性を考え、LINE等のアイコンを敢えて蜘蛛にはしない可能性が高い。
 そして、○○が飼っているペットは、○○の子ども、より趣味の度合いが大きい。育児は趣味ではない。大きなくくりで言えば子産み子育ても趣味なのかもしれないが、人を生み出し育てるというあまりにも大きな行為を、ペットを飼育するのと同列の趣味としてくくってしまうのは難しいし炎上するだろう。とはいえ、人間だろうが人間じゃなかろうが生物を育てる行為には責任が伴う。それでも動物ならまだ趣味でよいのは、YouTubeにペット動画が蔓延しているのを見ても、わかることだ。誰が見ても癒され、面白いわけだ。これが人間の子どもだったらどうだろうか。おそらく育児チャンネルのようなチャンネルは存在するのだろうが、ペットの面白映像集みたいに気軽な気持ちでは全く見れない、食指をそそられない。そこに生々しい生活の重い気配と人生を感じてしまい、不愉快になるだろう。動画の内容によっては即炎上するだろう。ママタレブログなども、あれは一部の育児経験者がわかるわかるといって読むものであって、子育てと趣味のグレーゾーンの気配がある。だから辻希美はいつでも炎上するし、殆どの人間は興味が無い。

 あと、勝手に親に許可なしにうつされる赤ちゃんの人権の問題もある。そう、初期アバターの人権が。お前それ許可とった?
 自分が赤ちゃんの立場で、成長してから親が自分をアイコンに使っていたのを知ったら、ほっこりするかもしれない、反対に嫌悪感丸出しになるかもしれない、それはわからないが。

 まとめると、赤子のアイコンはあまりにも、生活過ぎるし、同じ肉塊過ぎて第三者から見たら差がわからなすぎるし、赤ちゃんの人権が無さすぎるし、私の知ってるお前はお前であって、お前の子、ではないのだ。
 本人にとっては自分の分身だから違和感が無いのかもしれないのだが、一度、客観性を持って、アイコンを見つめなおして欲しい。赤ちゃんが生まれたことをLINEのアイコンで知るより、写真を送られてきた方が余程自然と純粋に祝福できる。急に赤ちゃんになった人間に自分からLINEを送るのは怖く、私はまだ、できていない。

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